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翌日、本部からメシエの配属されているユベナイ基地に、参謀総長の訪問が通達された。
ユベナイ基地は情勢の不安定な辺境にある割に、規模は決して大きくない。悪条件に耐えてよく激務をこなす精鋭集団という評価は美化しすぎで、実際は他で手に負えなかったり扱いに困るようなはみ出し者が集められるという噂がある。
そんな曰く付きの場所に突然、幹部将校が直々にお出ましになるというのだから、基地中が騒然となった。特に司令官は、昨晩メシエがゼクトミューンという“流され人”を連れて帰投した時以上の慌てぶりだった。
「ど、どどど、どうしよう?! 営倉送り? 査問会? ひょっとして処刑?」
涙目になってひとしきり騒いだ後、執務室に置きっぱなしにしている私物を手当たり次第段ボール箱に放り込み始める。退職の準備なのか夜逃げをする気なのか、どちらにしても飛躍しすぎだ。ちなみに司令官は28歳、階級は准将、一見立派な青年将校である。
「んな訳ないでしょう、准将。落ち着いて。昨日のデカい流され人の件ですよ。」
対して副官の方は至極落ち着いていた。状況を冷静に分析して上司をなだめる。
「だっていきなり参謀総長だよ? 連絡だって直前になって来たんだよ、ほとんど抜き打ちじゃないか!」
「だからって何で営倉送りとか査問会とかいう発想になるんですか。あといい年して『だって』とか言うのやめてください。」
「そりゃ中佐、身に覚えがあるからに決まってるだろう。あれとかソレとかコレとか、色々。」
全く自慢にならない前科を堂々と白状する准将。中佐は頭痛と胃痛に耐えながら、根性で会話を続けた。
「そこはオフレコにしてください。自分まで巻き添え食うのはごめんです。それに准将は小心者で小市民で小悪党ですが、無駄に優秀ですからそう簡単に更迭されませんよ、残念ながら。」
「さり気に酷いこと言ってないか、お前…」
部下の愛の鞭により、司令官はどうにか平常心を取り戻したようだ。腹を括ったように体を椅子に投げ出し、手元の調書をめくった。
「あのゴツい割に不健康そうなおっさん、結構使えそうだと思ったんだけどなあ…。本部に持ってかれちゃうのか~。」
内容を確かめながら、残念そうに首をひねる。
「仕方ないでしょう。我らが最終兵器・クープラント大尉と同等、いやそれ以上の戦闘能力を持っているって話ですから。」
「こうやって文字で書かれると、特撮映画か何かみたいだよね。報告受けた時は余りの有り得なさに笑っちゃったよ。現場の映像見てやっと信じられた。あ、そう言えば調査隊はまだ?」
「はい。徹夜で検証と回収に当たっています。何しろレベルEクラスのマキナゴーレム19体ですよ。すぐに技研も乗り出して来るでしょうね。」
「げ、何それ、来るな。」
「だから、やめてくださいって。そういう小学生みたいな言葉遣い。」
副官は肩でため息をついた。時計を確認すると、参謀総長の到着までもう一時間を切っていた。
「クープラント大尉はもう大丈夫かな」
「呼びますか?」
「うんにゃ。あの子はいない方がいい。ミューンさんを呼んで。」
司令がやけに可愛らしい呼び名で例の“流され人”を指定したのが、副官には意外だった。この上官はいつもふざけた喋り方で掴み所のない男だが、他人を軽々しく扱うことはしない。
「…准将、もしかしてあの男のこと結構気に入ってます?」
「あはは、さすが中佐。鋭いね。だってさー、優しいじゃない、あの人。」
「優しい…ですか。そういうの、お嫌いだと思ってましたが。」
「嫌いだよ。でもあの人の場合、度が過ぎててほっとけないって言うか…」
司令の眉間に縦皺が寄る。彼自身、不本意だが認めざるを得ない感情なのだろう。
副官の直感が厄介な事態になりそうだと告げた。部下に流され人を連れて来るよう命じながら、昨晩の出来事を思い返した。
基地のセンサーが領域衝突を観測したのは、昨日の午前10時のことだった。大きなものではなかったが、調査隊が出動し状況を確認した。その結果、界の綻びの痕跡らしきものが検出されたため、周辺を巡視することになった。
界の綻び付近では変異が発生する確率が高い。時には“流され人”という異物が混入することもある。警戒するに越したことはないのだ。
所轄エリアの巡視を終えた隊員達から「異常なし」との報告を受けたのが、午後4時45分。
その後、メシエ・クープラント大尉だけが、気になることがあると言って単独での哨戒を申請した。彼女は階級こそ高くないが戦闘能力はずば抜けており、遊撃資格を持っている。特に気にすることもなく許可した。
そして午後6時15分、基地から160km余り離れた森林地帯で変異の出現が検知された。反応の数値から、変異の種類はマキナゴーレム、危険レベルはE、数は19体と判明。
クープラント大尉からの連絡はなかったが、交戦に入ったことは明らかだった。直ちに第一級装備で二個小隊を出撃させた。対象の戦力から考えると充分とは言い難い。戦況次第ですぐに増援を送るつもりだった。
午後7時50分。部隊が現場に到着した時、すでに戦闘は終結していた。
マキナゴーレム19体は全滅。当軍の被害はクープラント大尉の軽傷と飛び入り参加の“流され人”の重傷。(もっとも後で彼の負傷の原因は別だと判ったのだが。)周辺への被害はゼロ。誰もが予想だにしない結末だった。
部隊が帰投し、クープラント大尉が報告に来たのが午後10時過ぎ。彼女は元々話上手とは言い難い上に疲労が激しく、なぜか保護されている筈の異形の男が横から補足していた。皮肉なことにそのお陰で報告は短時間で済んだ。
続いて流され人の事情聴取が始まると、今度はクープラント大尉が助け船を出した。
「司令、申し訳ないが先にゼクトの手当てを済ませて欲しい。」
『俺は平気だ。それより早く終わらせねばお前が休めない。」
正直、わが目を疑った。クープラント大尉がこれほど露骨に誰かをかばったことがあっただろうか。
驚く周囲を余所に、司令は面白がっているようだった。
「んじゃ早く終わらせよう。君の職業、氏名、年齢、趣味は?」
最後の趣味は関係ないだろうと思ったが、相手は律義に答えた。
『職業は魔属レジスタンス…武装組織の責任者のようなものだ。手短に説明するのは難しい。名前はゼクトミューン。年齢は…500年は生きていると思うが正確には分からん。趣味は畑作りとパン作りだ。』
ここで笑わなかった自分を褒めたい。
「えーと、君の種族はみんな何年ぐらい生きるの?」
『個体差はあるが、俺のように人型をした者は大体千年前後だ。』
「じゃ、僕らで言えば40歳ちょっとか。割とおっさんだね。」
『お前達の平均寿命は80年程度ということか。俺の世界の人間より長いな。」
「あ、君んとこ人間もいるんだ。ちなみに君は何族?」
『地底民の魔属だ。人間は地表民と呼ばれている。』
「地底? てことは、地下に住んでる訳?」
『そうだ。』
「だからそんな青白いんだね。日焼けすると大変そう。」
司令はとことんマイペースに通常運転だった。それに普通に附いていくゼクトミューンという男も相当侮れない。
ゼクトミューンの身の上はファンタジーじみていた。
彼らの世界は地上と地下の二階層から成り、地上には人間を始めとする地表民、地下には魔属や鬼などの地底民が住んでいる。彼らは姿形こそ似通っていたが、生活環境や身体能力が大きく異なっていたため、交流を持ちつつ棲み分けていた。人間は太陽の下でないと生きられないし、魔属や鬼は直射日光を浴び続けると体を壊して死んでしまうのだそうだ。
ところが二十数年前、長い間保たれていた均衡が崩れた。鬼神王を名乗る鬼の長が、世界統一を掲げ宣戦布告をしたのだ。鬼神王はまず地底征服に着手した。そして地底の約8割を手中に収めたところで、地上侵攻を開始した。
人間達は必死で抵抗したが戦力差は圧倒的で、わずか10年で地表の人口は半分に減った。
まさにアニメかゲームさながらの展開だが、当の地底民達は実は全く乗り気でなかったらしい。と言うのも、地上を手に入れたところで、そこに住むことはできないからだ。人間を奴隷として働かせるにしても、自分達よりずっと身体能力が劣り短命な生き物に望める成果は多寡が知れている。何よりかわいそうだ。しかし鬼神王の力は規格外れ、いわゆるチートで、逆らう者は口にするのもおぞましい方法で虐殺されたらしい。
その結果、同じく規格外と看做されていたゼクトミューンがレジスタンスの旗頭に担ぎ上げられる破目になった。彼自身としては修業は好きだが争いは嫌い、集団のトップになるくらいなら一人で隠遁生活をしたかった。しかし、同属や人間達が殺されるのを黙って見過ごすことはできなかった。
かくして彼は、平和を得る最短の手段に出る。鬼神王との一騎打ちである。
そんな単純な方法で本当に世界が救われるのか疑問だが、彼は希望通り鬼神王を打ち果たした。そして自身も命を落とし…損ねた。胸の傷はその時のものだという。
「はー…。何というか、苦労したんだね。そんな修羅場の直後なのにウチの部下助けてくれてありがとう。」
『俺の話を信じるのか?』
「嘘なの?」
『いや。』
「んじゃ、問題ないじゃん。何でわざわざ聞くのさ。」
『そちらの副官殿が納得していないようなのでな。』
意外に観察している。レジスタンスのトップだったというのは信じていいかもしれない。
「ああ、彼のことは気にしなくていいよ。元々疑り深いんだ。僕のことも全っ然信用してない。」
こちらにもバレている。人間性は色々足りないくせに、変な器量だけはあるのだから。
「司令、こちらの世界のことも説明すべきでは?」
クープラント大尉が進言した。ゼクトミューンに同情し気遣っているのがひしひしと伝わってくる。彼女は人の真実を見抜くある種の勘を持っている。少なくともゼクトミューンに悪意はないのだろう。
「そうだね。簡単に説明しよっか。」
司令は“流され人”を保護した経験があるだけに、驚くほどまともな概説を披露した。
この世界には複数の亜界が並列に存在する。界同士はそれぞれ独立しているが、何かの拍子で接触することも珍しくない。その現象は領域衝突と呼ばれ、激しいものになると接触点に穴が空き、双方の物質がぶつかって消滅する等価消滅が発生する。かつてはそれが原因で亜界が丸ごと消滅した例もあったらしいが、現在は時空間操作技術と魔法の発達により、綻びを人工的に修復できるようになった。とは言え対応にも限度があり、大規模なものや短時間で多発するケースへの対処は難しい。被害を最小限に止めるためは、常に観測を行って有事に備える必要がある。
また、亜界間のバランスの乱れは時間・空間の局地的なねじれを引き起こし、生物・物質を問わず無軌道な変異をもたらす。それは進化の例外のようなもので、変異したモノはどこにも分類できない異物と成り果てる。形状・性質・能力は様々、共通するのは、存在するだけで生態系に深刻な悪影響を及ぼすという点だけだ。
ゼクトが遭遇したマキナゴーレムは物質が変異したものの総称である。生物が変異したものはメタモルフォゼスと呼ばれる。発生したが最後、抹消するしか方法がないのだが、それは容易なことではない。
さらに別のケースとして、亜界ではなく異世界へと道が繋がり、異世界人が流されてくることがある。
これらの問題を解決すべく、各国からの出資により設立された組織が時空安定維持機構、通称「バランサー」である。領域衝突の処理を担当する次元保全局、異物の排除を専門とする標準保安局、事例の分析や科学・魔法技術の開発向上を図る技法術研究局の三部門から成り、世界各地に拠点を持つ。次元保全局の観測所と標準保安局の派出所は同時に置かれることが多く、その実態から基地と呼ばれている。
「ちなみにここは時空安定維持機構のユベナイ基地。かなり辺境にある小さな基地だよ。」
ゼクトミューンは時折頷くだけで、司令の話が締め括られるまで黙って聞いていた。
「大筋は理解できた? まあ、そっちとは状況が違いすぎるから全部は無理だと思うけど。」
『ああ。…一つ確認したいのだが。』
「何?」
『この世界は危機的状況にあるのか。』
さすがの司令もこの質問は想定外だったらしい。一瞬ぽかんとした後、考えながら答えた。
「いや、色々問題はあるけど危機的って程じゃ…。僕の説明、そんな風に聞こえた?」
感想を求められたので首を横に振った。この男は頭が切れる方だと思ったのだが、見込み違いだったのだろうか。
『そうか。ならばいいのだ。』
こちらの思惑とは裏腹に、ゼクトミューンは安堵の表情を浮かべた。
「今回みたいなパターンは滅多にないんだ。あなたが気に病むことはない。」
クープラント大尉の小声でやっと、男がこちらの世界を心配しているのだと解った。
「こーゆう厄介な自然現象をひっくるめてこの世界なんだよ。運が悪かったと思って慣れるか諦めるか、してくんない?」
司令の遠回しの最後通告を、男は正確に理解した。
『…やはり戻れないのだな。』
「うん、…ごめんね。ただでさえ不安定なこの世界で、異世界への道なんて開く訳にいかないんだ。」
『謝る必要はない。もともと死んだ身だ。こちらの世界を危険にさらしてまで帰ろうとは思わん。』
男の表情はやけに穏やかだった。故郷のために犠牲になったという割にはあっさりとした反応だ。どうも胡散臭い。
もっとも司令とクープラント大尉の見解は別のようで、しばらく神妙な顔つきで悲運の異世界人を凝視していた。
「…君の身柄はしばらく当基地に拘束される。でも、その後の生活は保障しよう。」
『面倒をかけて申し訳ない。』
事務的な遣り取りを最後に取り調べは終わった。