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唐突に気が付いた。


それは本当に唐突としか言えない状況だった。周囲は先程までいた宇宙空間でなく、鮮やかに生い茂った木々の枝の間から青空が見える。横たわった背中にはやわらかな草や苔。植物と湿った土の匂い。時折鳥の鳴き声が聞こえる。どこかの森のようだと、男は思った。

男は数回息を整えてから、おもむろに考えた。

(自分は人間と魔属の代表として鬼神王と戦った。厳しい戦いだったが何とか相討ちに持ち込めた。鬼神王は滅び、自分も死んだ…筈だ。胸の中心を貫かれ、体内に魔力を直接叩き込まれた。どう考えても致命傷だった。ならばここは俗に言う「あの世」なのか?)

そこまで考えてやめた。痛みと眩暈で頭がまともに働きそうもない。心臓が拍動するたび視界が明滅し、息をするのも億劫だ。何よりこの体の状態こそが、今が夢ではなく現実の続きであることを雄弁に証明していた。


目を閉じて苦痛をやり過ごしているうちに眠ってしまったようだ。次に目を開けた時は夕刻だった。

眠ったせいか、何か別の要因があるのか、体調は飛躍的に回復していた。胸の穴は塞がり、痛みも随分退いている。

男はゆっくりと体を起こし、自分を目覚めさせた気配の方角に意識を向けた。

(……戦闘か。そう遠くないな。)

ここがどこで、自分がなぜここにいるのかも解らないのに、身に染み付いた感覚は持ち主を無視して勝手に見知らぬ戦場を分析してゆく。

戦いは一人対大勢。一人の方が圧倒的に強いが、大勢の方は防御力または生命力が高いらしくなかなか数が減らない。いくら能力的に勝っていても、持久戦に持ち込まれたら勝敗は明らかだ。

男は事情の解らない戦いに介入するほどお節介でも独善的でもなかったが、武人として興味を抑えることはできなかった。結局、様子を見るだけなら問題ないだろうと思い、気配を消して戦場に近付いた。

そしてその光景を目にした瞬間、激しく後悔した。


一人の小さな少女が、全身を奇妙な鎧で固めた二十人近い大男(?)を相手に立ち回っていた。小さな、というのは体の大きさだけではない。少女はどう見積もっても10歳前後だったのだ。

体に密着するつなぎを纏い、明らかに手に余ると思われる巨大な戦斧を軽々と扱い、流れるように舞うように鎧達に打撃を与える。確かにこの場においては桁違いの戦闘能力だ。

しかし男が推測した通り、鎧達は驚くほど頑丈でしぶとかった。少女の斧が正確に急所を砕いているにも関わらず、動きを止める様子はない。打撃を受ければ倒れるが、すぐに起き上がって戦闘を再開する。鎧達の武器は光る弾丸を打ち出す長い銃で、男には馴染みのないものだった。集中砲火をくぐり抜け、少女は健闘している。

(なぜ一人なんだ? 仲間はいないのか?)

どういう経緯にせよ、少女が何らかの組織に属しているのであれば、同胞や支援者がいるのが当然だ。彼らに連絡できないのだろうか。それとも、彼女は元々一人で戦っているのだろうか。

部外者である以上迂闊に手を出すことはできない。早く仲間が駆けつけてくれないかと願いつつ、男は拳を握りしめた。


10分程経過した頃、ついに少女に疲労が見え始めた。

俊敏だった動きは徐々に鈍り、斧の斬撃も鎧に撥ね返されるようになる。それでも少女の碧色の瞳は戦意を失わなかった。追い詰められながらも冷静に相手の動きを読み、巧みな体さばきで2体の鎧を同志討ちに誘導した。倒れた鎧を踏み台にし、包囲網の突破を試みる。が、鎧の一体が思いがけず発射したワイヤーを躱し損ね、足を捉えられてしまった。

地面にひきずり倒された少女に鎧達が殺到する。少女は怯えも泣きもせず、戦斧を盾代わりに頭上に掲げた。手足が撃ち抜かれたとしても即死することはない。わずかでも勝機を繋ごうと。

しかし次の瞬間訪れたのは、覚悟した痛みではなく風だった。

「え…」

瞑ってしまった瞼を開けると、大きな背中が立ちはだかっているのが見えた。それが攻撃を全て遮ったのだと理解するには、もう2秒必要だった。

鎧達は特に動揺する素振りもなく、突然闖入した異形の男に標的を変更した。大きくなった的を狙い、光線銃を斉射する。

一方、男は大いにうろたえていた。介入するつもりなどなかったのに、無意識に動いてしまった己の体が恨めしい。できればなかったことにして、この場から遁走したい、などと埒もないことを考えること1秒。四方から光線が飛んできたので、慌てて右腕の剣で弾き返した。

周囲を取り巻く鎧は9体。簡単には見逃してくれそうにない。そう判断すると切り換えは早かった。男は開き直った。まず正面の3体を剣圧でなぎ倒す。

先程からの戦闘を見ていて気付いたのだが、この鎧は機巧で動いているらしい。そのため人間ならば致命傷になる部位を損傷しても戦い続けることができるのだ。幸い男はこの類の敵と戦った経験があった。

倒れた上から装甲の継ぎ目を狙って剣を突き刺し、雷撃を落とす。

ガーッ、キュウゥゥ…

案の定、電圧のオーバーロードが起き、鎧は煙を上げて停止した。

2体目、3体目。

2メートルを越す長身が突風を凌ぐ速さで敵をいなし、殺傷であることを忘れる程鮮やかな手際で剣と魔法を振るう。

少女は立ち上がることも忘れ、呆然と見とれた。

9体全てが沈黙するまでに、2分とかからなった。


『…大丈夫か?』

男が座り込んだままの少女に声をかけた。

「……」

返事はない。

当然だと男は思った。腕から剣を生やした厳つい魔物を相手に、平然と話せる人間がいたら珍しい。とりあえず大きな怪我はないようなので、当初の目的 ―何事もなかったことにして去る― を実行しようとした。が、

「あなたこそ大丈夫か? 血だらけに見えるが。」

事はそう上手く運ばなかった。小さな人間の少女は素早く立ち上がり、男の体に触れてきた。

『もう止まっている。人のことより自分の心配をしろ。』

男はそっと少女の肩を押し、遠ざけた。

「でも…」

『そんなことより、こいつらは何だ? なぜお前一人で戦っていた? 仲間はいないのか?』

余計なことだと思いながらも聞かずにいられなかった。少女にこの先同じことが起こらないという確証が欲しかった。

「こいつらは何だって…あなたは知らないのか?」

少女は怪訝そうな眼差しで見上げ、まじまじと男の全身を観察した。そして程なく何かに思い当ったようだった。

男は墓穴を掘ったことを悟った。少女を振り切って逃げようとしたが、すぐにその考えを撤回する。自分は本当に何も解らない。ここから逃げ延びたところで、この先を乗り切る術を持っていないのだ。

『実は…おかしな話だと思うが、俺はここがどこで、自分がなぜここにいるのか解らないのだ。』

男は事実を包み隠さず答えた。不思議なことに、正気を疑われるかもしれないという不安は湧かなかった。この少女は信じてくれるという予感めいたものがあった。

「…やっぱり。よく見ると肌の色も違うし、そうじゃないかとは思ったが…」

少女の反応は男の予感を確信に変えた。

『やっぱり? どういうことだ?』

「ここにはたまに、あなたのような異世界人が飛ばされてくることがある。わたし達は“流され人”と言っているけど。」

『異世界だと? ここは俺がいた世界とは別の世界だと言うのか。』

「そうだ。現にあなたはマキナゴーレムを知らない。わたし達の世界ではあり得ないことだ。」

『マキナゴーレム…それがこいつらの名前か。』

男は足下に転がる鎧の残骸に目をやった。

『確かに俺の世界にはいなかった代物だ。だからと言ってここが違う世界だとは簡単に信じられないが…』

信じられないというより認めたくない。葛藤する男に少女が畳みかける。

「それに言葉。あなたはわたしが何を言っているか解るようだけど、本当に聞き取れている?」

『…聞き取れるからこうして話しているのではないか。』

「意味じゃなくて…、言葉そのもの、発音のことだ。」

少女の声音は子供特有の高く細いものだったが決して耳障りでなく、鼓膜にやわらかく届いた。それゆえ全く違和感を感じなかったのだが、改めて思い返すと唇の動きが脳内で再生される文字と合っていない。

『…!』

質問の真の意味が理解できた時、男はようやく己がかつてない困った境遇に陥ったことを実感した。


(どうしてこうなった? そもそも俺は死ぬ予定だったのだ。生きているだけでも予定外なのに、右も左もわからない世界に放り出されるなど、何の冗談だ!)

眉間に深い皺を寄せて黙り込んだ大男に対し、少女は憐れみと感心を同時に抱いた。

(気の毒に。こんなに強いのに怪我して血まみれで…、多分戦いの最中にいきなり飛ばされたんだ。そして訳も分からないうちにわたしを助けて、助けた相手から「ここは違う世界だ」なんて言われて…。普通なら取り乱して絶叫しても良い場面だ。)

少女の見知る限り、“流され人”の反応は程度の差こそあれ、ほぼ同じだった。本当に途方に暮れた者が理性どころか頭を働かせることまで忘れてしまうのは、古今東西共通らしい。

しばらく待っていると、男がゆっくりと口を開いた。

『…この鎧どもがどういう団体で何のために戦っているのか解らんが、現時点で俺は否応なしに奴らの敵という立場になった。お前が奴らと戦っているのなら、俺の処遇を任せてもよいか?』

妥当な提案だった。自身に降りかかった災害を嘆くこともなく、短時間で立ち直って冷静な判断を下せるのは称賛に値する。彼ほどの実力があれば、他者に頼らずとも一人で生きていくという選択も可能だろう。そうしないのは恐らく、手を出すべきでない戦いに関わってしまったという責任感からだ。

この男は聡いけれど、とんでもないお人好しなのだと少女は思った。

「もちろんだ。“流され人”の保護は我々の任務だし、何よりあなたは命の恩人だ。あなたの身柄はわたしが必ず保証するから、安心してほしい。」

少女は頬を紅潮させて力説した。もし彼女を知る者が見たら目を疑っただろう。

男は少女の気負った口調を微笑ましく感じつつ、改めてずっと気に掛っていたことを訊ねた。

『任務と言ったが、お前はどこか組織に所属しているのか? なぜ一人で戦っていた?』

これまでの行動や態度から、この少女がただの民間人の子供でないことは判った。ならば一層謎が募る。男は少女が答えにくそうにしているので、膝を折って目線を合わせ促した。

「…一人で哨戒中だった。いきなり遭遇して、食い止めなければと思った。近くに基地はあるが、応援を頼める同僚はいなかったから…」

語尾が途切れる。無茶をしたという自覚はあるのだろう。無茶せざるを得ない戦況を語るのは憚られるのだろう。

男はため息をついて右手の剣を収めた。そして少女の頭に軽く手を置いた。

『基地に報告しなければならんだろう。案内してくれ。』

報告には戦闘の経緯と結果、そして“流され人”の保護が含まれる。少女は男の手が触れたところから何かあたたかなものが滲んでくるのを感じた。それは彼女の知識にはない感覚で少なからず驚いたが、不快ではなかった。ただくすぐったかった。

「…連絡はしていないが、基地の方でもマキナゴーレムの出現を検知して出動していると思う。ここで待っていれば多分、合流できる。」

少女が俯いてしまったのを見て、男はさっと手を離した。子供だと思ってつい馴れ馴れしくしすぎた。相手は一廉の武人、気安く触れるのは礼を欠くというのに。

『ならば座って待とう。また新手が来ないとも限らない。体力を回復させなければな。』

男はそう言ってその場に腰を下ろした。


もう陽が落ちて宵の月と中の残月が出ている。頼りない月明かりの下でも視て取れるほど、男の消耗は激しかった。黒いマントと装束の胸の部分が円状に焼き切れて、青黒く引き攣れた肌が露出している。

少女は自分の配慮のなさに気付き、急いで男の隣にしゃがんで傷を触診した。男も今度は拒まなかった。

「こんな大怪我でよくあれだけ動けたな。痛くないか? 眩暈や頭痛は?」

『さっきも言ったが、表は塞がって血も止まっている。中はそうでもないらしいが…』

少女が臆面もなくぺたぺたと触って確かめるので、男は苦笑した。

『俺のことはいい。お前こそ疲れているだろう。傷も少なくない。自分の手当てをしろ。』

実際間近で見ると、少女の華奢な体はあちこち血に染まっていた。白い服を着ているだけに余計痛々しい。男は治癒魔法をまともに習得しておかなかったことを後悔した。

「この程度は問題ない。ああ、再生術が効けばいいけど。」

少女は男の話を流し、なおも手当てをしようとする。

『おい、俺はお前とは違う生き物だ。そんな効くかどうか判らない術をかけるな。』

どんな怪しい術でも死なない自信はあったが、男は敢えて断った。どうせかけるなら、確実に効果のある自分に使ってもらいたい。

「す、すまない…」

『構わん。気遣いだけで充分…ありがたい。』

少女がしおれる前に、男は言葉を継いだ。少女はぱちぱちと大きな瞳をしばたかせ、氷が融けるようにゆるりと笑った。

男は少女の大人びた言動に救われる一方、ずっと不憫さを禁じえなかったので、笑ってくれて心底ほっとした。ついつられて頬が和らいだ。

それはとても笑みとは呼べないほどの些細な変化だったが、少女にとっては劇的な出来事だった。何か言おうとして、まだ名前を知らないことに気付く。


「名前、聞いても良いか? わたしはメシエ・クープラントという。」

『俺はゼクトミューンだ。』

ゼクトミューンさん、と少女は小さく復唱した。

『ゼクトだ。“さん”はいらん。お前のことはどう呼べば?』

「メシエ。」

『メシエか。』

低く呟かれた自分の名がひどく特別なものに思え、メシエの鼓動が早くなる。

その鼓動をかき消すように、上空からヘリコプターの爆音が近付いてきた。

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