聞き耳の聖女
その国には聞き耳の聖女がいる。
いる、というがそれは人ではない。
それは一人の女性が残した一つの部屋を指していた。
姿も声も変えてお互いに忌憚なく意見を言い合うための部屋だ。
そうはいっても話を聞くのは教会のシスターが順番で担当しているという話は公表されている。その謎の人物が本当に謎では秘密が漏れないか心配になるからだ。その秘密を求めて少々の荒事が起こることがあるが、その対処は教会騎士が請け負っている。
今日も一人の悩める乙女がやってきた。
「聞いてくださいませ、聞き耳の聖女さまっ!」
駆け込むなり推定その女性は叫んだ。遅れてバタンと戸が閉まる音がした。その声は廊下まで響き渡っただろう。
あとで彼女はお説教だろうなとジルベルタは苦笑した。
「あの、おいでいただいてます?」
返答のないことを不安に思ったのか、先程よりは小さい声が聞こえた。
「います。戸が閉まるまで声を立ててはならないと先に説明があったと思いますが、ご記憶にありますか?」
ジルベルタの声はやや男性的に聞こえるようになっている。念入りに素性がバレぬように選ばれた、らしいのだが、選抜会議により決定といわれているので別の意図がありそうだった。
「すみませんでした!」
「元気がいいですね」
「え、あ、すみません……」
「怒りがあるというのはいいことです。活力があります」
もう、死ぬといわれるよりずっといい。そうですか? と戸惑ったような声にジルベルタは椅子に座るよう促した。
この部屋は真ん中に衝立があり室内を二分している。その衝立に薄っすらと姿が映るようになっているが、本来の姿とはお互いに違う。
ただ、見えない相手に話すというのも難しいだろうと配慮している、らしい。
「どのようなお話でしょうか?」
「あのですね……」
彼女が語ったのは、たまに聞くような話だった。
政略結婚だった。お互いが恋するようなことはなかったが、それはそういうものだと割り切って結婚した、はずだった。少なくとも彼女は、まあ、そういうものよねと諦念を抱えたまま初夜に望んだ。
ところが、……。
「あの野郎! あなたを愛することはない! 私には愛する人がいる、その人以外とはしない! とバカげたことをいいやがって、キリッとした顔で去っていったんですのよっ!」
お嬢様が言うべき言葉ではないものが混じっていたような気がした。
「その場では呆然と見送ってしまって、それからは屋敷では腫れ物扱い。なんならこそこそという使用人を見かけるようになって!」
「それは、ご心痛でしょう。
ご実家には相談されたのですか?」
「馬車の一つ、出せはしませんわ。何事も主人の了承が得られませんと!
教会に行くということを阻むことはできませんでしたけどね!」
ふんと鼻息が荒い。これは一人でも解決できそうな気がした。
間違っても泣き寝入りしない。
愛することもない、お飾りの妻、という役割をこなすような質でもないだろう。
ジルベルタはどうしたものかと思う。
「まず、2点、確認したいのですが、よろしいでしょうか」
「はい、なんなりと」
「まず、一つは離縁、あるいは、婚姻無効をお求めですか?」
「それは、私の一存では決められません。良き時期というものもあります」
「わかりました。
では、も一つ。もし、子をなすことができれば、愛人を認められますか?」
「わかりませんわ。
愛情はない、しかし、信頼は必要である。婚姻前に愛人の存在を明らかにし、認めるよう迫られたら少しは考えたかもしれません。
私は健康ではありますけど、必ず、子を産めるとは限らない。男児が必ず必要、となれば妥協はいります」
「ご自身の血が混ざらなくても?」
「嫁ぎ先の家の存続には、私の血であることはあまり重要ではないでしょう。家の資産を減らさず、次の代に引き継ぐほうが大事です。私が婿をもらったのならば、私の血は重要視するでしょうけど」
「貴族の娘ではない相手でも?」
「それを選んだのは旦那様ですので、私がとやかく言うつもりはございません。
ただ、そうですね。子どもは苦労するでしょう。私たちは性悪であるので」
自嘲気味に彼女はそう言う。肩をすくめたような仕草は、やはり貴族の娘ではないような気がした。
「私も庶子の一人なので、わかるのです」
そう言って黙った。ジルベルタはどう声をかけたものか迷った。確かに庶子に対してはどちらにも混ざれず孤立しがちだ。庶民でもなく、貴族でもない。どちらからも相手側と言われる。
生まれだけはどうしようもないのに。
「……そうでしたら、お相手の方を探しましょう。
頼れる身内や友はいらっしゃいますか」
「連絡がとれません」
「助けになりそうな方はいらっしゃるのですね。それは良かった」
ジルベルタは、教会という立場を利用することを知っている。寄付を募る訪問はよくあり、それを門前払いすることは外聞が悪い。断るにしても1杯分の飲み物くらいは提供してくれる。
苦境を伝える手紙を渡しに行く目眩ましにはなる。
また、教会騎士も揉め事の仲裁をすることはよくある。双方の話を聞き、お互いの落としどころについて話をする立場として認められているからだ。
かつて、仲裁しまくった教会騎士がいるせいである。後に聖人認定されており、天秤の聖人と呼ばれている。
そのため表に出ないいろいろな話も知っている。相手の男について探ることはできる。
通常はこういう介入はしないが、相手の男はこの国の貴族としての暗黙の了解を知ってか知らずか破っている。秩序の維持という建前である程度の正当性を認められるだろう。
この国の貴族は男女問わず愛人を持つことはよくあるが、後継の問題が片付いたあとの話だ。もし、後継が得られないなどの問題があった場合には離縁して別の相手を選ぶこともある。しかし、それは愛人とはやはり別である。
万が一、どうしても選びたい相手がいて身分差があるならば付き合いのある他家へ養子へと出して、経歴を書き換える抜け道はある。結婚前から続き、愛しているというのにそれを選ばないのは、相手にすら敬意がない。
「噂好きが少々玉に瑕ですが、世話焼きのご婦人がいらっしゃるんです。暗い顔の娘さんを放ってはおかないでしょう。
そろそろ、いらっしゃる時間です」
「え、あの」
「礼拝堂でお手紙を書いていてください。
涙目でそうしていればシスターたちは優しく事情を聴いてくださるでしょう。また、教会騎士も寄り添ってもらえるはずです。
大丈夫、多くてちょっと怖そうに見えるかもしれませんが、優しい人たちです」
「わかりました!」
「でも、ひみつですよ。
私は、ただ、聞くだけの聞き耳の聖女です」
「慈悲に感謝します!」
足取り軽く彼女は部屋を出ていった。
どこにも悲壮感はない。あれではシスターたちに怒られるだろう。想像してジルベルタは小さく笑った。
次の相談者が来たことを告げる鈴の音が響く。
「先ほど、元気なお嬢さんがいたけれどあれは大丈夫かしら」
入ってきた女性はきちんと扉が閉まってから話を初めた。
「大丈夫じゃありません。
シスターが総出でお説教してくれると思います」
「悩みが解消してスッキリしたのかしら。
あ、ごめんなさいね。詮索したいわけではないの。
今日の夕飯をね」
「焼き鳥です。
塩がいいと思います。それと一緒に野菜攻めにしてやりましょう。ちょうどよく、裏の庭園で野菜が取れまくっていて、お買い上げいただけると嬉しいです」
「……そう。
そうね! 焼いた野菜を酢漬けにしておくのも悪くないわ。さっぱりしているし。
……ところで、さくっと話を切り上げたのは理由があるのかしら」
「先程のお嬢さんがお困りのようですのでお話を聞いていただければよいなと」
「情報漏洩じゃないかしら?」
「困りごとの内容についてはお話しておりません。
また、ここは皆の困り事を聞く場なので、困っていることは確定事項です」
「詭弁」
「承知しております」
「まあ、たまには若い娘さんとお茶するのも悪くないわね」
返答まではやや間があったが、彼女はそう答えた。ジルベルタはホッとして息を吐いた。
「ではまた」
彼女はそう言って部屋を出た。
ジルベルタも席を立って部屋を出ることにした。しかし、そうした時にちりんと鈴が鳴った。予定にない来客だ。
先ほどの相談が早めに切り上げたために予定外の人が入ってしまったのかもしれない。
「よろしいですか?」
小さい声が、問う。
ジルベルタはもう一度座ることにした。
「どうぞ。
お話ください」
「ありがとうございます」
消え入りそうな声で答えたきり、声がしなくなった。話し始めるまで待つのが暗黙のルールとは言え、最終時間は決まっている。話をせずに終わりにさせられる可能性もあった。
「どのような話でしょうか」
「本当に、外に話は漏れませんか?」
「はい」
小さい声で彼女は語った。
昔からの恋人がいたのだが、実は彼は貴族で身分を偽って下町に遊びに来ていたという。身分違いを理由に離れようとするとそんな壁はないと断言し、ある家に監禁された。その彼は結婚したというが、相変わらず自分は家に囲われたまま。愛人など嫌だというと今の妻はお飾りで本当の妻は君だけだという。
「そんなのおかしいと言っても、貴族なら当たり前というのです。
監視人の目を欺いてようやくここに来ました。保護はしてもらえますか?」
ジルベルタは既視感を覚えた。
さっき、似た話の反対側を聞いた。
「監視人がというと?」
「どこに行くにもついてくるような人がいたのです。ですが、ええ、母屋で奥様が大暴れして支援に来てくれといなくなってようやく、外に出ることができました」
暴れそうな淑女は先程いたなとジルベルタは天井を見上げた。
「……わかりました。解決いたしましょう。でも、ひみつですよ」
ジルベルタは穏やかに伝えた。
部屋を出ると聖堂で倒れたふりをしてくださいという雑な指示を出し、彼女を部屋から外に出した。それから急いで部屋を出て控室で着替えた。
ジルベルタは教会のシスターではない。王太子の婚約者として、皆の考えを知るために定期的に役目を負っているだけだ。本来の服装に戻ればそれなりの立場と権力を持ち合わせている。
着替えを終えてから聖堂へ向かう途中に声をかけられる。
知り合いの教会騎士だった。
「ジルベルタ様、どちらへ」
「忘れ物よ」
ジルベルタが聞き耳の聖女をしていることを知っているのは担当のシスターたちだけだった。そのため、いつも聖堂の一室にこもって祈っている事になっている。
「では、付き添います」
律儀に申し出た教会騎士にジルベルタは頷いて了承する。
生真面目で正義感の強い彼ならば現場にいるには最適だろう。
聖堂は大騒ぎになっていた。
中心に騒ぐ人物たち、それを仲裁しようとする司祭とシスター、野次馬している者たちで三重に囲まれている。
「なにごとです」
ジルベルタは声を上げた。教会の者はジルベルタが何者か知っている。すぐに道を開けるように促す。
「ルウェリン侯爵令嬢、よいところにおいでくださいました」
皆に聞こえるようにはっきりと司祭はジルベルタを呼んだ。ジルベルタは現王太子の婚約者であるため、貴族あるいはそれにかかわる者にはその名が知れている。姿までわかっているということは少ないが、別人をそう呼ぶこともないだろうから本人とわかるだろう。
あまり望ましい使い方ではないが、教会としても扱いかねる件だということだろう。政治や権力からは距離を置いている建前がある。そのため、貴族間も揉め事も関与しないという立場をとるのだろう。
「どうなさいました?」
「ご令嬢を煩わせるようなことはございませんよ」
へらりと笑う男が答えた。その隣には怒りに打ち震える少女が一人、それに庇われるようにもう一人見えた。
「あら、では、お父様に来ていただくわ。あまり聖堂には来ようとしないから、ちょうどよかった」
ジルベルタの父は名誉、責任、品格を重んじる融通の利かない頑固おやじだった。それはもう有名なほど。私的には少々砕けていることもあるが、有力貴族として羽目を外すようなものが出ぬよう睨みをきかせている。
そのため若い貴族にはかなり煙たがられている。
「そ、そのようなご足労いただくようなことは……。
ただの痴話げんかで」
「どのような?」
微笑みながらジルベルタは問う。相手は黙ってしまったが、微笑みのまま待つことは苦ではない。相手が勝手に無限に話して、適切な相槌だけを微笑みながらするよりだいぶ楽だった。
「直言をお許しください。
この男に騙されたんです。わたしたち」
怒りに震えた少女のほうがそう言った。
詐欺というと先ほどの話とは違う。
「私はルカード家のルシアと申します。
先日、ブラナー家に嫁ぎました。しかし、お前のことは愛してはいない、子を抱けると思うなと宣告されました。これは婚姻の無効条件となるため、親族に連絡を取ろうとしましたが監禁されました。
教会へ参ることを阻むことは信者として許されざることと説得し、ここに参りました」
ルシアは淡々と、しかし、皆に訴えるような堂々として語った。彼女たちのさらに後ろで腕組みをしている漆黒のご婦人がうんうんと頷いていた。
幸いルシアはシスターや例のご婦人と相談する時間はあったようだ。
「それが誤解だ。
愛情を育むには時間がかかる、そうだろう?」
取り繕うような男の言葉には周囲から冷ややかな視線が向けられていた。同じ情に訴えるにしても弱い。いっそ嘘でも愛しているんだと言えば援軍は出るかもしれないのに。
雰囲気の変化に男は気がついてジルベルタへ笑みを浮かべた。
「顔合わせもろくにせず、愛しているというほうが薄っぺらい。そうでしょう? 令嬢」
「愛さずとも契約は履行すべきです。
その程度、覚悟も必要もないでしょう。誰でもすることです。
もう一人の方は?」
ルシアが庇うように前に立っている少女は怯えたようにジルベルタへ視線を向ける。貴族の令嬢のような服を着ているが、どこか着慣れていない雰囲気がしていた。きちんとした仕立てではなく布地が余っている。誰かのものを着させていられているように。
「代理でお話しますが、彼女ロージーは下町に住む娘です。宿屋にやってくるお客の中に彼がいて、恋人として過ごしていたそうです。身分を隠して、君と一緒だと言ったそうです。しかし、結婚すること貴族であることを知り、縁を切ろうとしました。
でも、誘拐され、監禁されていました。母屋での騒ぎ、つまり、私が騒いだことにより警戒が緩み逃げ出して庇護を求めてきました」
ルシアはロージーにかわいそうにと同情の視線を向ける。人の良さもあるだろうが、この場では相手の男、つまり夫が悪いという雰囲気を作るのに役立っていた。
ジルベルタがなにかを言う前に背後に控えていた教会騎士が離れた。おそらく裏を取るために指令を出しに行ったのだろう。ロージーは嘘をついているかもしれない。公平な調べをするはずだ。
「嘘だ。どこへでも一緒についていくと言ったじゃないか」
「この人、行商人って言ってたんです! 私はここを出たことがないから、旅に出るのを楽しみにしてたのに……」
「行商人より貴族のそば仕えのほうがずっと贅沢ができるし、苦労もない。なにが不満なんだ」
いや、全部。
とジルベルタは言わなかった。代わりに総評を述べることにした。
「つまり、愛人をもちながら、結婚して、結婚相手と初夜の務めを果たさず、今後もする予定もないと告げた。一般的婚姻条件の合意にそむくことになりますね。
また、愛人は同居に同意しておらず、拉致監禁。それから、暴力ですわね」
ルシアの手首にははっきりとした赤い痕が残っていた。また、ロージーにも同様に。
「妻を連れて帰ろうとしただけです。家族のことに介入されるのは」
「では、ご家族を呼びましょう。
司祭様、ルカード家のものを呼んでください。婚姻は教会の管轄ですものね?」
司祭が嫌そうな顔で了承したので、めんどくさい家なんだろうなとは察することができた。
「いえいえ、家に戻って話をすればわかることです。
お手を煩わせるわけにはいきません」
「司祭様、婚姻合意書と条件書をご用意ください」
「承知しました」
諦めたように司祭は部下に指示を出していた。
両家の婚姻合意書とその条件を書いたものの写しを教会で保管している。そのため本格的に揉めた時に仲裁にはいることはあるが半年に一度もない。できれば関与したくないだろう。寄進や今後の関係に問題を残すことがある。
「ここではなく、家に戻って家族のみで話をしたいのです。
ただの痴話げんかです。大げさに言っているだけですよ」
男は退路が断たれていることに焦ったのかジルベルタに詰め寄る。
「では、先に犯罪の話をしましょうか?」
「町娘一人くらいいなくなったところでどうともならないでしょう。我々とは価値が違う。そうでしょう?」
「拉致監禁ともなると見逃すわけにはいきません」
ジルベルタは微笑んだ。
自ら自白してしまうとは。
失態に気がつかない男は教会騎士たちに囲まれてさえ、不当だと叫んだ。
「皆様お騒がせしましたわ」
ジルベルタは聴衆に一礼し、二人の少女を回収して教会の控室に引っ込んだ。
最終的には、ルシアは婚姻無効となった。しかし、実家への出戻りも許されなかった。
ロージーは親元へ返され、涙ながらの再会をした。
二人は落ち着くまでは教会へと身を寄せている。そして、新入りの聞き耳の聖女が現れたと噂になっているらしい。
彼女たちに不当な扱いをしたとしてルシアの夫は賠償金を支払うことを命じられた。また、拉致監禁は処罰対象と認められより小さい領地へと領地替えを検討されている。
一件のみであり、愛情によるものと訴えが罪状を多少軽くしたのがジルベルタには腹立たしかった。しかし、社交界では白い目で見られるのは確実であり、肩身の狭い思いをしばらくすることにはなりそうだった。
そして、ジルベルタは窮地の女性を救ったとして賞賛を受けることになった。次期王妃は慈悲深いという話にジルベルタは苦笑いした。
王妃になりたくないという思いを隠して。
そんなジルベルタ嬢の初出はこちら。
続きそうで続かない短編倉庫
告白
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追記(2026・7)
ルシアとロージーのその後を微量追加しました。




