終章
小早川隆景の愛刀は、『波潜り宗近』と呼ばれている。
三条宗近の作でその名の由来は、一度海に落とした、海の中から拾い上げられた、波間に泳ぐ者を斬った――等言われているが、詳しい伝来は不明とのこと。
明治初期までとある士族が所有していたと言われるが、その後の消息は不明である。
また山口県の毛利博物館に、毛利元就のものと伝わる一振りの打刀が所蔵されている。
刃長約四十九センチ、拵入れて七十四センチの脇差と称されることもあるその刀は無名ではあるが尾道の刀匠、伝三原正家と伝わっている。
その刀は、元就の息子の元清が打ったものである――とはさすがに伝わってはいないものの、実際に元就が戦場で愛用し大切にしていたものだと鎧や軍配、扇などとともに今日まで伝来し、山口県の有形文化財として登録されている。
毛利元就 1497-1571
というわけで最終回はこの方! ゴメン本文より長いかもしれない(ぉぃ。
言わずと知れた超有名戦国武将。正妻一筋の愛妻家! ──との話で有名ですが、実は正妻妙玖の死後に三人の嫁(おまけに嫁同士が超仲良し)を迎え、さらには隠し子説のある家臣が二名。でもまぁ、愛妻家であり、家族愛の強い人であることはまず間違いない。
その原因は元就が当主に就くまで「呪われている」と周りで言われてしまうほど代々短命の当主が多く、父親(享年三十八)、母親(享年三十四)、兄(享年二十三)がどんどん死んでしまう。また兄存命中に兄の長期留守を狙って重臣に領地横領+住んでた城を追い出され、四年間孤児同然の生活を送ることになる(父親の側室に助けてもらってなんとか生き延びた)。
なお、父と兄についての死因はアルコール中毒。大変お酒に弱い体質の家系だったのか、飲む量がとんでもなかったのかはわからないけれど、それを踏まえた結果元就はほぼ酒を飲まない生活を送り、大変長生きをしている。
若い頃のその苦労故に、戦国大名の中では人一倍家族の団結に固執し、「家(毛利)」を残すことに執着している印象。
家を守るために他家を飲み込み、他所から蹂躙されないようどんどん血縁関係と領地を広げて、中国地方最大の大名家に成長していく。
また、他家に比べて毛利の記録が詳しく多いのは、大体この人が筆まめを通り越して「くどくてしつこい」と専門家に称されるレベルで手紙を残しているせいでもある。
後世の人間としてはありがたいけれど、もらった人は大変だっただろうなアレ……。




