第十五話 毛利元就という人間
「今回の件、管理を怠った隆景も悪いが、そもそも一番悪いのは父上だ」
「そんなに泣くくらいなら、なんで虫けらなんて手紙に書いたんですか?」
今よりちょっとだけ若くて、感情を偽ることなく不機嫌そうに不貞腐れる隆景殿の隣で、あの元就様がしくしくと泣いている。
その二人に向かい合う形で元春殿が肩をすくめて、隆元様が頭を抱えてため息を吐いた。
ぼんやりと立ち尽くす就辰の目の前で、親子四人の会話は続く。
「アレはお前たちに宛てた教訓じゃぞ……まさか七歳の宮寿丸が読んで内容を理解し、絶縁状を送ってくるとは思わんじゃないか……」
拙い文字で書かれた手紙を大切そうに抱きしめながら、元就がさめざめと泣いた。
「七歳だろうがなんだろうが、実の父親に虫けら扱いされりゃー、そりゃー怒るのは当たり前だろうよ」
「建前と本音……は、その……さすがにそこまではまだ、理解できないかもしれませんからねぇ」
言われた側なら俺だって縁切るわ。と元春は呆れ、隆元がなんとか父を元気づけようとフォローにまわる。
「鶴法師は幼すぎてまだわかりませんが、吉満丸と宮寿丸も、虎法師と虎法丸も、幼いながらそれぞれ大変利発で、父上の子の片鱗を見せております」
ねえ父上。と、とうとう声を上げて号泣し始めた元就の肩を、隆元は抱きしめる。
「己が凡庸故に、力及ばず歯がゆく思う事もありましたが、賢く可愛い弟たちに囲まれて、隆元は幸せでしたよ」
急に隆元以外の三人の姿がぼやけ、霞のように消えてしまった。
何も無い真っ白な空間で、就辰は隆元と二人向き合う。
「ね、余次……今なら、呼んでくれるかな?」
期待を込めた眼差しで、隆元がほほ笑んだ。
しかし、就辰がどう頑張っても何故か声が出ない。
どんなに力を入れても、唸り声さえ出すことができなかった。
「そっか……」
また隆元が残念そうに肩を落とす。
その姿を見るのが嫌で、自分は――兄上!
「悪かったよ。余次。意地悪を言って」
しかし、隆元は優しく寂しげにほほ笑む。
知らぬ間に零れ落ちる就辰の涙を、隆元がそっと拭ってくれた。
「そなたがこちらに来るまでの、楽しみという事にしておくから」
だから――。
「みんなの事、お願いするよ」
◆◇◆
「あ、気がついた!」
就辰をのぞき込む子どもの顔。
声からしてたぶん村上の太郎だろうが、しかし焦点が合わず、あまりよく見えない。
なにより、かなり高熱が出ているのか体が熱く、動けなかった。
とにもかくにも背中がめちゃくちゃ痛すぎる。
「父上ー! 叔父上ー! みんなー! 気がついたよー!」
源八郎の声に、周囲が何やら騒がしくなり、バタバタと駆け寄る足音が響く。
「余次! 大丈夫か!」
宮寿丸の大きな声が近づき、右手が握られる感触がする。
ほんのり冷たくて気持ちがよく、微かな力ではあるが就辰は握り返した。
「宮寿……さま、か、刀……」
とたん、就辰の額に衝撃が走る。
「お前はッ! 任務より自分のことを心配しろッ!」
「宮寿丸さま落ち着いてぇー。余次がまた目を回しちゃってるよぉー」
遠のく意識の中で、そんなやりとりを聴いたような気がした。
◆◇◆
「大変お騒がせをいたしました。この度は誠に申し訳ございません」
三日ほど渋谷邸で生死の境をさまよった後、三原の新高山城まで移送されてさらに五日。
まだ熱が完全に下がりきっておらず本調子ではないが、とりあえず命の危険は脱して喋れるようになったため、就辰は布団の上に座って城の主である隆景に首を垂れた。
「よく頑張ってくれましたね。こちらこそ、宮寿を守ってくれてありがとう」
隆景がそっと側に寄り、就辰の頭を撫でる。
彼の脇には愛刀が置かれ、無事に彼の元に帰ってきたことを理解した。
「でも、もうこんな無茶はやめてくださいね。貴方も兄上が認めた、弟なのですから」
「……はい。わかりました」
就辰は村上三家や渋谷の者たちにも直に詫びと礼を言いたかったのだが、皆それぞれの城に戻って行ったとのこと。
「でも尼子攻め前の大事な時期に、こんなに三原に長いこといらっしゃって大丈夫なのですか?」
ふとした疑問を就辰は隆景に投げかける。
隆景は血の気の引いた真顔で視線を落とし、ぽつりぽつりと口にした。
「えぇ……そうです。貴方が悪いわけではありません……その通り、大事な時期なのです……なのに……」
木梨元清を連れて日野山城へ向かったものの、就辰負傷の連絡を受けて翌日すぐに新高山城へとんぼ返りの強行日程――。
隆景はなにやらブツブツと言いながら、襖を開けて外に控えていた乃美宗勝へ何やら指示をする。
しばらくして。
「うわぁぁぁぁん! 虎法丸ぅぅぅぅぅぅぅ!」
「うえぇぇぇぇ! 大殿!」
ものすごい勢いで室内に飛び込んできたのは、なんと毛利元就その人であった。
「父は! 父はもう! 気が気でなくッ! うわぁぁぁぁぁッ!」
涙と鼻水でずびずびぐじゅぐじゅになりながら、元就は就辰に縋りついて泣いた。
「父上! ほら! 余次がドン引きしてますから! 余次はもう大丈夫ですって!」
隆景が元就を就辰からひっぺがす。
「俺が癪で倒れた時もすごかったけど、相変わらずだな親父殿……」
何故かいる元春が呆れて頭を抱えた。
「ねー! こんなの見ちゃったらさぁ、なんかもう、ぜぇーんぶどうでもよくなっちゃうよねぇ!」
就勝がケラケラと笑いながら部屋に入ってきた。
初めて見るであろう父の乱心具合に、最後に入ってきた宮寿丸が顔面蒼白でなにやら狼狽えている。
気持ちは解る。と就勝から多少は聞いていたものの、初めて目の当たりにした就辰も、宮寿丸に同意の視線を送った。
◆◇◆
「大殿はねぇ、最初の子どもを殺されている。しかも女の子だ。俺たちが産まれる、もうずっと前にねぇ」
隆景と元春が泣きわめく元就を落ち着かせるために部屋を出ていった。
そんな中「雑談だけどぉー」と残された就勝が、就辰と宮寿丸に話して聞かせる。
「普段は頑張っていてもその時の事がね、どうしても忘れられないんだってさ」
自分の血を引く我が子が命の危機に瀕した時、どうしてもあの幼い娘の惨たらしい死に顔が脳裏をよぎり、混乱してしまう。
「だから本心からあの大殿が、産まれた子どもたちの事を虫けらだなんて言うなんて、あり得ないことなんだよぉ」
タテマエとホンネ。今なら、理解できるよねぇ? と就勝は宮寿丸に問いかけた。
「でも、俺、父上に絶縁状送っちゃったし……」
夢で見たあの光景は、隆元様が見せてくれたのかもしれない。と就辰はふと思う。
「大殿なら、許してくださるんじゃないでしょうか。なんだったら隆景様に仲裁頼みましょう?」
なにしろ夢の中のことなのでよくよくは覚えていないのだが、「みんなを頼む」と隆元様からなにやら大変なことを頼まれてしまった気がする。
けれど、就辰はなんだかそんなに悪い気はしなかった。
「その……余次。与七郎。お前たちが父上の子というのは、本当なのか?」
宮寿丸がジッと就辰の顔を見つめた。
どう答えようか、就辰は一瞬悩む。
――そして。
「兄上って、呼んでくださってかまいませんよ?」
「だッ! 誰が呼ぶかッ!」
一瞬脳裏をよぎった隆元にあやかり、宮寿丸にダメ元で提案してみたが、案の定断られてしまった。
「冗談です」
少し残念に思いつつも、就辰はそう言って笑いながら誤魔化した。
――が。
「えー俺、ちょぉっと憧れだったんだけどなぁー。余次のこと、兄上って呼ぶの」
「え?」
頬を膨らませる就勝に、就辰は一瞬言葉を詰まらせる。
「だって、生まれ年一緒でも余次の方が先でしょ? 生まれたの」
「……あ」
そっか……そうだな……言われてみれば……。
千光寺山城内での失態を思い出し、就辰は赤面して布団に撃沈した。
◆◇◆
「これをやる」
新高山城を出て吉田郡山城に戻る際、宮寿丸は一振りの刀を就辰に差し出す。
相変わらずぶっきらぼうで、人に物を渡すような態度ではなかったけれど。
「これは?」
「宗近の写しを作る前に、何本か練習で作ったうちの一振り。出来が良かったから残していたんだが、この度火事の検分中の千光寺山城から見つかった」
だから、礼にやる。と頬をほんのり赤く染め、宮寿丸はうつむいた。
「要らなかったら好きにして構わない」
「大切にいたしますよ」
わざとらしいほど恭しく、就辰はその刀を受け取った。
その態度に宮寿丸は満足したのか、顔をあげ、初めて就辰に向かってほんのわずかだけれど、にっこりと笑った。
――のだが。
「余次ぃぃぃぃぃ! 貴様ぁぁぁぁぁぁ!」
時は過ぎて翌年の八月六日。少し夏の盛りを過ぎた吉田郡山城本丸。
主君にて甥の毛利輝元による、宮寿丸改め毛利少輔四郎元清の加冠の儀が執り行われた。
しかし、終わった途端当の元清は、どたどたと大きな足音を響かせて、この城のどこかに居るはずの就辰の姿を探し走り回る。
末席から弟の加冠姿を見て感慨深く庭先で浸っていた就辰は、素っ頓狂なその声にぎょっと目を見開いた。
「元服おめでとうございます宮寿丸様……じゃなくて四郎様! しかし大人の仲間入りしたのだから、節度は持ちませんと。そんな子どもみたいにはしゃいでは……」
「はしゃいでないわッ! 貴様! アレは一体どういうことだ!」
アレ? 首をひねる就辰に、元清は怒り心頭で怒鳴る。
「なんでッ! あのクソ親父がお前にやった刀持ってるんだよ!」
そりゃあまぁ、確かに「好きにしろ」とは言ったけれど!
どうしてよりによって元就なんかに献上してしまったのか。
「あー……アレですね……実は大殿に没収されてしまいました」
「はぁ?」
あんぐりと口を開ける元清に、就辰はため息一つ。
「四郎様が直々に打たれた刀ということで、大殿にあの……大変、羨ましがられまして……その……大殿がどうしても欲しいと……」
「クソ親父ぃ!」
怒りと羞恥で真っ赤になりつつ元清は叫ぶや否や、今度は元就目指して駆けだしていく。
止める間もなく唖然と見送るしかない就辰。
しばらくして元就の悲鳴と、「これは余次のものだぁぁぁ!」と叫ぶ元清の声、「四郎様ご乱心!」の家臣たちの大声が混ざり、てんやわんやの大騒動になった。
毛利隆元 1523-1563
この物語では開始当初から既に故人です。でも就辰にとってのキーパーソンです。
早死にしたこともあり、昔は地味な扱いが多かったですが、「毛利の良心」「縁の下の力持ち」等、最近評価が高まっているので嬉しい限り。
ただ、実際に隆元が就辰のことを認知していたかどうかは不明です。
史実で隆元が死んだ時、元就が「荒れに荒れて後追い死しそうになった」と僧侶に相談した隆景の手紙が残されています。




