第九話 来島の頭領
時は、前日夜半まで遡る。
「宗勝。松姫について、来島殿と内密の話がある。ちょっと下がってくれるかい? あと、しばらく人払いをしてほしいから他の者も近づかせないように」
隆景の言葉に宗勝は頭を下げ、部屋から退室する。
チラリとその様子を見ながら、就勝は小さく首を傾げた。
「んー、自分は下がらなくていいんですかねぇ?」
「下がれと言ったところでそなたはどうせ、どこかで盗み聴きするつもりでしょう?」
それならば、最初からこの場に居ても同じこと。
そして妙なことをやらかさないか、監視できるだけこの場で聞かせる方が遥かにマシであると判断したからである。
端正な隆景の眉間に深い皺を刻ませ、大きなため息を吐かせた就勝は、満足そうににっこりと笑った。
「拙を認めていただき、ありがたき幸せ」
「認めたくないです。本音を言うならば」
苦虫を潰したように隆景は口を歪ませ、実に嫌そうにその口を開いた。
「理解しているでしょうが、これから見聞きすることは、全て他言無用です。父上にも吉川の兄上にも、もちろん余次にもですよ」
「はぃ?」
突然隆景の口から何故かこの場に居ない就辰の名前が急に出てきたせいで、就勝は隆景の前で、初めて一瞬狼狽えた。
どういうことかと就勝が問いかける前に、隆景はスッと通康に向き直る。
「通康殿は、亡くなられたのですね。牛丸……いえ、通隆殿」
びくりと肩を震わせて、通康が硬直した。
目の前の彼に肯定も否定もさせる間を与えず――隆景にしては実に珍しく、まくし立てるよう自分の考えを目の前の彼にぶつけた。
「通康殿の死因はたぶん、水軍頭領にとって不名誉なもの……溺死でしょう? そなたに入れ替わりを提案したのは、貴方の姉上を娶った能島の武吉殿……違いますか?」
「……さすがです。徳寿丸の兄者の目は、嫌になるくらいお見通しだ」
お互い懐かしい名を呼びながら――通康を名乗っていた男は頭巾に手をかけ、それを外す。
中から出てきた顔――それは、頬に小さな刀傷こそあれ、頭巾の言い訳にしていた火傷痕は一つとして無い、綺麗に整った顔立ちの若い美丈夫だった。
「自分のつく嘘は、兄者には昔からすぐに見抜かれてしまう」
小さく肩を落としつつ、力なく笑う通康改め通隆に、幼なじみの兄貴分も表情を緩めた。
「それでも、そなたはくだらないことで嘘をつかない、真摯な男だよ。昔からね」
素直過ぎるところは美点でもあり、欠点でもあるが――先ほどの栄への惚気を思い出し、隆景は思わずコホンと咳ばらいをする。
「そういうわけで、父上たちには秘密厳守です! 解ってますね! そこの井上某」
「与七郎就勝ですよぉ! まぁ面白い話は大好きなんでぇ。まーかせてくださぁい!」
就勝の能天気にも程がある言い回しに対して頭を抱える隆景に、そういえばと就勝は気になっていることを質問した。
「何であの場で突然、余次の名前が出てきたんですぅ?」
「今、彼は尾道にいます。父上と大方様の命で、宮寿丸の警護をしているのですよ」
へぇー……と、就勝は何やら含みのある笑みを浮かべた。
「うん、決めました。自分も明朝、尾道に行ってきますねぇ!」
「そなたならそう言うと思っていました。ついでに尾道の盗賊被害と、宇賀島衆の残党集結について探ってきてもらえると助かります」
宇賀島衆? 通隆が首を捻った。
「宗勝が因島の吉充殿からもたらされた情報なのですが、そなたは何か聞いていませんか?」
「いや、アイツらなら、大人しく尾道で商売やってるハズなんですが……」
アレ? と、隆景の言葉に眉を顰めて首を傾げる通隆。どういうことかと、隆景も詰め寄る。
「実はあの時、歯向かう連中は小早川水軍と因島に粛正されましたが、逃げ出した連中と女子供については父が……通康が密かに来島で保護した経緯があります」
隆景からもたらされた情報と、自分で持っている情報の落差に、話している通隆もどうやら少々混乱しているようで。
「大半が海賊業から足を洗って尾道に向かったので、集結と言われれば確かに集結してはいますが、それは十年も前からの話ですし、頭領の息子は尾道の商家に養子入りして今では持ちうる操舟技術を海運業で活かして、順調に財を成してると聞いております」
通隆のもたらす情報の信憑性について思案しつつ、隆景は問いかけた。
「頭領の息子の名は?」
迷いなく真っ直ぐに、通隆は答えた。
「渋谷与右衛門と申します」
◆◇◆
「と、いうわけでぇ、隆景様に頼まれてやってきました! 与七郎就勝でぇす!」
もし、隆景がこの場にいたならば、「頼んではいない!」と全力全否定しそうな言い回しで就勝は宮寿丸に自己紹介する。
「知り合いか?」
宮寿丸に耳打ちされ、就辰は静かに、かつ大きなため息を吐いた。
「同じ年に生まれ、似たような時期に元服した幼馴染です」
「幼名も諱もお揃いでぇーす!」
えへへと嬉しそうに就辰に抱きつく就勝。
虎法丸と虎法師、言われてみれば似てるなとは思うけれど、就辰はそこまで気にしたことはない。
諱の『就』の字も主人である元就からもらった一字であり、家臣には『元』や『就』の字を持つものは他にも沢山いるワケで――。
「ところで、こちらは?」
「来島の殿の名代で、村上通隆殿。同じく隆景様からの援軍ってところですかねぇー」
無言で座る通隆。黒に近い暗い色を基調とした素襖という下級武士の普段着を身に纏うが、ピンと伸びた背筋や所作には実に品があり、海賊というよりは大大名や公家の貴公子と言った方がぴったりだと就辰は思った。
そんな通隆の前にひれ伏す、松姫、太郎、源八郎の三人。
「何か申し開きすることは?」
「申し訳ございませんでした……」
いくらなんでもバレるの早すぎだし、兄様ってばこんなに行動力あったかしら? と、表面上は謝りつつも、内心松姫は首を捻った。
筋を通すし真面目で戦となれば勇往邁進ではあるが、切羽詰まるまでは少々優柔不断なところがあり――言ってしまえば、この行動力はあまりにも兄らしくないのだ。
通隆は大きなため息と共に「与右衛門」と、この屋敷の主人を呼んだ。
「へぇ。なんでしょう?」
「小早川殿から聴いた話なのだが、宇賀島衆の残党が、尾道に集結しているという噂が流れているとのこと。そなた、何か知っているか?」
はぁ? と、与右衛門は素っ頓狂な声を上げた。
「なんですかそれ。集結もなにも、最初から此処にいるじゃないですか」
謎かけか何かですか? と与右衛門は首をひねる。
「……だよなぁ。すまぬ、変なことを訊いた」
通隆は頭を抱えてうなだれた。
念のためにとあえて訊いてみたがこの反応、やはり与右衛門に二心はなさそうだ。
宇賀島衆粛清の際に両親を失い、行き場の無くなったこの子らを父の命で尾道に連れてきたのは自分であるし、その際頭領の息子であった与右衛門を子のいない尾道の商家に預けたのも自分だ。
時々様子を見に来てはいるが、養父母に愛され成長した与右衛門は、自分以上に素直に成長した。「商人は信用第一!」が口癖で、本当に謀略策略に縁遠い奴なのだ。
――言い換えれば、ある意味脳筋ともいうが。
(と、いうことは。だ)
通隆は隆景の言葉を心の中で反芻する。
「宇賀島衆残党集結の噂は、故意に意図を持って流されていますね。生き残りたちが尾道で商人となっていることを知らないまま、たまたまその噂を隠れ蓑にして盗賊を始めた阿呆……失礼、粗忽物か」
もしくは。
「知った上で小早川と宇賀島衆残党をぶつけあい、共倒れの漁夫の利を狙おうとしている狡猾な輩か」
「兄様?」
思わず顔が緩んで笑みがこぼれていたらしい。
首を傾げる松姫に、通隆はゴホンと咳ばらいをした。
「何でもない。兄は今からやることがたくさんある。警護がいないし危ないから、致し方ないので此処にいることを許す! 逃げるなよ!」
ははあ。つまりは。
(単に、私に運が無かっただけね。これは)
確かに話には聞いてはいたけれど、毛利には随分と頭の回る殿方がいらっしゃる模様である。
今度は松姫が苦笑を浮かべた。
渋谷与右衛門 ?-?
はい。オリジナルキャラと見せかけて、実在した尾道の豪商です──が、実際に活動した残っている記録は、一番古いものでこの物語から約十五年後の1580年代になってから。
渋谷家は元々彼の何代か前に相模(神奈川県)から移住してきて、武士から商人になった可能性が高い──とのことですが、詳細は不明とのこと。
なので彼が養子で宇賀島衆の末裔ってのはこの物語のフィクションです!
やっぱり約二十年後のことになりますが、与右衛門に宛てた就辰の手紙が『渋谷文書』としてかなりの数残っています(その際、領主とトラブルおこして尾道からマジで追い出されかけていた模様)。




