序章
山口県防府市にある毛利博物館に所蔵されている三子教訓状。
元就が三人の息子に宛てた十四条にわたる長い手紙で、いわゆる『三本の矢』の教えの元となった物なのだが、要約すると言いたいことは「兄弟の団結による、毛利宗家の盛り立て」である。
その中に、以下のような文がある。
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唯今虫けらのやうなる子とも候、
(自分には側室から生まれた虫けらのような分別の無い幼子がいます)
かやうの者、もし――此内かしらまたく成人候するは心もちなとかたのことくにも候するをは、
(そのような者でも もし 今後 知恵や心がまえなど立派に成人した時には)
れんみん候て、何方之遠境なとにも可被置候、
(どうぞ憐れに思い どこぞの辺境の地などに領地を与え一族の末に置いてやって下さい)
又ひやうろく無力之者たるへきは治定之事候間、
(また 間抜け 無能でありましたら)
さ様之者をは何とやうに被申付候共、はからひにて候――、何共不存候――、
(そんな者は どのようなあつかいを 仰せ付けられようとも構いません)
今日まての心持、速に此分候、三人と五竜之事は、少もわるく御入候者、
(しかし この子どもたちのせいで あなたたち三人と 妹の仲が 少しでも悪くなれば)
我々にたいし候ての御不孝迄候――、更無別候――、
(私たちにとって それは不孝 この上なき事です)
――毛利元就三子教訓状(毛利家文書四○五) 第九条 より
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その言葉は、彼にとって、呪となった。
この作品を書くにあたり調べて知ったとってもマニアックな人物紹介のmini版を、次回からこのあとがきスペースで紹介します。邪魔だと思う方は読み飛ばしてください。




