「掃除しか能がない」と婚約破棄され追放された私ですが、拾われた先の汚物まみれの呪われ公爵様を綺麗にしたら、なぜか離してくれなくなりました
王城のダンスホール。シャンデリアの煌めきが残酷なほど眩しいその場所で、私の世界は崩れ去った。
「リゼット・アークライト! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
カイル王太子の高らかな宣言が、音楽の止んだホールに響き渡る。
彼の隣には、私の義理の妹であるマリエルが、勝ち誇ったような笑みを浮かべて寄り添っていた。
「殿下、お待ちください。突然そのような……」
「黙れ! これ以上、その薄汚い手で私に触れるな!」
カイル様が私の手を乱暴に振り払う。
私はよろめき、冷たい大理石の床に膝をついた。周囲の貴族たちから、嘲笑と軽蔑の視線が突き刺さる。
「貴様のような無能を、次期王妃として迎えるわけにはいかないのだ」
「無能、ですか……」
「そうだ。貴様のスキルはなんだ? 『掃除』だろう? そんなものは下働きのメイドでも使える生活魔法だ。王族に必要なのは、国の繁栄をもたらす力なのだよ!」
カイル様は、隣のマリエルの肩を抱き寄せた。
「その点、マリエルは素晴らしい。『聖なる光』のスキルを持ち、ただそこにいるだけで周囲を明るく照らす。彼女こそが真の聖女であり、私の隣にふさわしい!」
「お姉様、ごめんなさいねぇ? でも、地味なお姉様には、華やかな王城は似合わなくてよ」
マリエルがクスクスと笑う。
ああ、そうか。
私はゆっくりと立ち上がった。胸の奥にあった、カイル様への僅かな情も、家族への期待も、すべてが音を立てて冷えていくのを感じた。
私は知っている。
マリエルの『聖なる光』が、ただ発光するだけの初級魔法であることを。
そして、屋敷中の汚れを落とし、病を遠ざけ、領地の作物を健やかに保っていたのが、私の『掃除』であったことを。
でも、もういい。
誰も私の本当の価値を見ようとしなかった。説明しようとしても、「メイドの真似事」と鼻で笑われた。
「……承知いたしました」
私は深くカーテシーをした。
怒りはなかった。あるのは、諦めと、奇妙なほどの清々しさだけ。
「婚約破棄、謹んでお受けいたします」
「ふん、やっと分かったか。さらに王命だ。貴様のような無能が国内にいては目障りだ。即刻、国外へ追放処分とする!」
「はい。今までお世話になりました」
私は顔を上げ、カイル様とマリエルを真っ直ぐに見つめた。
二人が一瞬、気圧されたようにたじろぐ。
「それでは、お二人が清潔で健やかな生活を送れることを、陰ながらお祈りしております」
私は踵を返した。
背後から「負け惜しみを!」という罵声が聞こえたが、振り返らなかった。
これで、終わり。
そして、始まりだ。
私は自由になったのだから。
◇
王都を追い出され、国境を目指して歩き続けて三日。
空は私の心を表すように、分厚い雨雲に覆われていた。
「冷たい……」
降りしきる雨が体温を奪っていく。
ドレスは泥に汚れ、靴はとっくに壊れていた。
手持ちの荷物は小さな鞄一つ。中に入っているのは、着替えとわずかな硬貨、そして亡き母の形見のロケットだけ。
ここは魔物が蔓延る「嘆きの森」の入り口。
王命による追放ルートは、実質的な死刑宣告だった。
「ここで、終わるのかな」
木の根元に座り込む。
その時だった。
ズズズ……と、地響きのような音が聞こえた。
顔を上げると、霧の向こうから、漆黒の馬車が現れた。
馬車を引いているのは馬ではない。骨と皮だけの、禍々しい夢魔だ。
(あれは……ギルバート公爵の馬車?)
ギルバート・フォン・オブシディア。
隣国の公爵にして、大陸最強の魔導師。
しかし、その強大すぎる魔力の代償として、全身が猛毒の瘴気に侵され、「触れるものすべてを腐らせる死神」と恐れられている人物だ。
馬車が私の目の前で止まる。
御者台には誰もいない。勝手に扉が開き、中から低い、苦しげな声が漏れた。
「……誰だ」
私は震える体で立ち上がり、馬車の中を覗き込んだ。
そこには、闇そのもののような男がいた。
顔の半分が黒いあざのようなもの――いいえ、あれは高密度の瘴気だ――に覆われている。
彼は座席に深く沈み込み、荒い息を吐いていた。
「……迷い人か。死にたくなければ、去れ。俺に近づけば、貴様も腐り落ちる」
「苦し、そうですね」
私の口から出たのは、恐怖の言葉ではなかった。
彼があまりにも辛そうだったから。
その体中にまとわりつく、ベトベトとした汚れ。ヘドロのような黒い靄。
あれが彼を苦しめているのだ。
――汚れている。
掃除しなきゃ。
それは私の本能だった。
私はふらりと馬車に乗り込んだ。
「おい、何を……っ! 寄るな!」
ギルバート公爵が拒絶の声を上げる。彼の手から黒い稲妻が迸りかけたが、私は構わずに彼の手を取った。
「汚れていますわ、公爵様」
私が彼の手の甲に触れた、その瞬間。
ジュワッ、と音がした。
彼の皮膚を覆っていた黒い瘴気が、私の指先から白い光となって蒸発していく。
「な……!?」
公爵が目を見開く。
私は無心で彼の手を、腕を、そして頬を撫でた。
「綺麗になあれ。痛いの、飛んでいけ」
幼い頃、母がしてくれたように。
私のスキル『掃除』が発動する。
今まで王城の床や壁に使っていたのと同じ感覚。でも、もっと手応えがある。
彼の体を蝕む呪毒が、泥汚れを拭き取るように、スルスルと消えていく。
「あ……ああ……」
公爵の喉から、甘い吐息が漏れた。
強張っていた彼の体が弛緩し、私の方へと倒れ込んでくる。
私は彼を抱き留めた。
「凄い……熱が、引いていく。痛みが、消える……」
彼は震える手で私の背中を抱きしめ返した。
まるで、溺れる者が浮き木に縋るように。
「もっと……もっと触れてくれ。君が離れると、また寒くなる」
「はい、ここにいますよ」
私は彼の髪を梳き、背中をさすり続けた。
黒い靄が完全に晴れると、そこには息を飲むほど美しい、白磁の肌を持つ青年が現れた。
真紅の瞳が、潤んだ熱を持って私を見つめている。
「君は、誰だ? どこの聖女だ?」
「私はリゼット。聖女ではありません。ただの、掃除好きな女です」
「掃除……? これがか?」
ギルバート様は自分の手を見つめ、それから私の顔を両手で包み込んだ。
冷たかった彼の手は、今は人間の温かさを取り戻している。
「俺はギルバートだ。……リゼット、頼む。俺と一緒に来てくれ。君がいないと、俺はもう生きていけない」
それは、切実すぎる求婚のようだった。
◇
それから一ヶ月。
私は隣国オブシディア公爵邸で、夢のような日々を送っていた。
「リゼット、こっちへおいで」
執務室で書類仕事をしていたギルバート様が、ソファに座る私を手招きする。
私が近づくと、彼は当然のように私を膝の上に乗せ、背後から抱きしめた。
「ギルバート様、お仕事の邪魔では?」
「君がいないと魔力が暴走して仕事にならない。これは必要な処置だ」
彼はそう言って、私の首筋に顔を埋め、深呼吸をする。
どうやら私の魔力(彼はこれを『聖浄の気』と呼ぶ)を吸っているらしい。
彼曰く、私は「人間空気清浄機」のようなものらしいが、扱いがどう見ても「最愛の恋人」なのだ。
公爵邸の使用人たちも、私を「救世主様」と呼んで崇めている。
長年、主人の呪いに心を痛めていた彼らにとって、ギルバート様が健康を取り戻し、笑顔を見せるようになったことが何より嬉しいのだそうだ。
私に与えられたのは、最高級のドレス、美味しい食事、そして公爵様からの過剰なほどの溺愛。
『掃除』しか能がないと言われた私が、ここでは「触れているだけで感謝される」存在になっている。
「リゼット、愛している。君の髪も、瞳も、その不思議な力も、すべてが俺の宝物だ」
「ギルバート様……」
甘い言葉と共に、優しい口づけが降ってくる。
捨てられた私が、こんなに幸せになっていいのだろうか。
そんなある日。
公爵邸に、慌ただしい早馬が到着した。
私の祖国、アークライト王国からの使者だった。
「ギルバート公爵! 緊急事態です! 我が国が『黒の厄災』に飲み込まれそうです! どうか、貴殿の強大な魔力で助けていただきたい!」
使者の顔を見て、私は息を飲んだ。
かつて私を嘲笑った、元婚約者の側近だった。
ギルバート様は私を抱き寄せたまま、氷のような冷たい視線を使者に向けた。
「断る」
「なっ!? 同盟国を見捨てるのですか!」
「知ったことか。俺は今、最愛の婚約者との時間を楽しんでいる。帰れ」
「婚約者……? まさか、その女性は……リゼット様!?」
使者が私に気づき、目を剥いた。
「リゼット様、探しましたぞ! 国中が大変なことになっているのです! 城は汚泥にまみれ、王太子殿下もマリエル様も謎の皮膚病にかかり……聖女マリエル様の力ではどうにもならず……!」
話を聞けば、私が去った後、王城の衛生環境は崩壊。
さらに、私が無意識に抑え込んでいた地下の古い「封印」が、私の不在によって決壊し、国中に瘴気が溢れ出したらしい。
マリエルの『聖なる光』は、ただ光るだけで、汚れや呪いを浄化する効果は皆無だったのだ。
「リゼット様、どうかお戻りください! 殿下も『やはり掃除係が必要だ』と仰っております!」
掃除係。
その言葉に、ギルバート様の周囲の空気が凍りついた。
ビリビリと、大気が震える。
「……貴様。俺の聖女を、掃除係と呼んだか?」
ギルバート様が立ち上がる。
その背後から、かつてないほどの怒気のオーラが立ち昇った。
「ひっ……!」
「リゼットは、俺の命を救い、俺の心を救った、世界で唯一の女性だ。それを、掃除係だと? 不用品のように捨てておいて、今さら戻れだと?」
ギルバート様は指をパチンと鳴らした。
それだけで、使者の足元の床が抜け、彼は地下牢へと続く穴へと落下していった。
「あーれー!」
情けない悲鳴が遠ざかっていく。
ギルバート様はふん、と鼻を鳴らし、再び私に向き直った。その表情は、とろけるように甘いものに戻っている。
「すまない、不快なものを見せたね。リゼット」
「いいえ……でも、あのままでは国が」
「放っておけばいい。自らが捨てた宝石の価値に気づけなかった愚か者たちだ。滅びるのがお似合いだ」
彼は私の手を丁寧に口づけた。
「でも、君がどうしてもと言うなら、俺が手伝って、あの国を更地にしてあげようか? そうすれば、新しい花も植えられる」
「そ、それは困ります!」
「冗談だよ(半分本気だが)。……君が望まないなら、何もしない。ただ、彼らが君の前に二度と現れないよう、国境に結界を張ろう。君はただ、俺の腕の中で幸せであればいい」
ギルバート様は私を強く抱きしめた。
その腕の中は温かく、強固で、絶対的な安心感に満ちていた。
アークライト王国のその後は、風の噂で聞いた。
疫病と悪臭に耐えきれず、王族は離散。カイル元王太子とマリエルは、その責任を問われて平民以下に身をやつし、今は日々の糧を得るために、泥まみれになって働いているという。
皮肉なことに、彼らが最も軽蔑していた「掃除」をしなければ、生きていけない状況になったのだ。
私は今、公爵邸の美しい庭園で、ギルバート様とお茶を楽しんでいる。
カップに注がれた紅茶には、一点の曇りもない。
「リゼット、愛しているよ」
「私もです、ギルバート様」
私が微笑むと、彼は嬉しそうに目を細め、また私を抱きしめる。
『掃除しか能がない』と言われた手は今、世界で一番怖い公爵様を骨抜きにし、幸せな未来をピカピカに磨き上げているのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
「スカッとした!」「公爵様かわいい」と思っていただけたら、
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これからも甘々な更新を頑張ります。




