国籍と日本酒とノイズ
ナパで揺れた自信はまだ胸に残っている。
でも、この夜風と騒音が教える――続きは、ここから作ればいい。
バークレーの夜は、ナパとは違う匂いがした。
星は薄く、街の光に押し返されている。
蝉の声。遠くを走る列車のため息のような音。
富士酒造の裏庭で、悠司とミアは木箱をひっくり返して腰を下ろしていた。
手にしているのは、急いで飲むための酒じゃない。
ちゃんと時間をかけて向き合うための一本。
蒸気口から立ちのぼる白い息が、夜に溶けていく。
ナパの試飲会は、終わった。
だが、終わったのはイベントだけだ。
評価。
視線。
沈黙の長さ。
どれもが、まだ身体に残っている。
「ねえ、悠司」
ミアが、肩で軽く彼を突いた。
「924ギルマンって、知ってる?」
「いや。知らない」
「パンクの聖地みたいな場所」
ミアは笑って、バックパックからフード付きのパーカーを取り出し、投げてよこす。
「東京のパンクバンドが来てる。
すごく、うるさいよ」
「フード付きのパーカー?」
「ここはバークレー。
正解の格好なんて、誰も持ってない」
その言葉に、悠司は小さく笑った。
ギルマンの中は、混沌だった。
壁はステッカーと落書きだらけ。
音は荒く、速く、制御されていない。
日本語と英語が、怒りと一緒にぶつかり合う。
悠司は、音を身体で受け止めながら思った。
これは、完成していない。
でも、嘘がない。
「このカオス、どう?」
ミアが叫ぶ。
「……正直、すごく好きだ」
「でしょ」
誰かが転び、誰かが笑い、
また音が爆発する。
「太鼓みたいなリズムだ」
「元和太鼓のドラマーだよ。
今は、全部ノイズにしてる」
二人は、ただ立っていた。
飲み物も、説明もない。
ただ、そこにある熱だけ。
ミアが、小さく杯を掲げる。
「合わないことに」
悠司も合わせる。
「輸出用じゃないことに」
視線が合う。
長すぎない。
でも、短くもない。
何かが、静かにずれた。
そのあと、ラーメン屋。
安い。
でも、ちゃんと美味い。
湯気の向こうで、ミアがぽつりと言う。
「私、日本生まれだけど、日本の国籍がなかった」
「母は韓国系。
戦争で連れて来られた家系。
父はいなかった。」
「五歳でこっちに来て、
ずっとアメリカ国籍持つのをを待ってた」
「でも今は、
ダメになりそう。ダッカって聞いたことある?」
「あと3年は、このままかも。」
悠司は、黙って聞く。
「だから、日本酒を造る。
履歴書のためじゃなくて」
「自分が、ここにいる理由を残すため」
悠司は言った。
「俺は、居場所を証明しようとしてた」
「でも、違うのかもしれない」
「造ることで、場所を作ればいい」
ミアは、少しだけ笑った。
証明じゃなく、居場所を作るために造る。
静かな夜と轟音の中で、それだけは確かになった。




