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波の上の酒蔵  作者: 曽根崎令
頑固な伝統とラグジュアリーの出会が、異なる文化と価値観の異世界を現実にする
6/12

二つの視点が静かに並ぶ時

第六話です。

今回は、二つの視点が静かに並びます。

それぞれが違う理由を抱えたまま、動き始めます。

サンフランシスコ湾の夜景が、ガラス越しの向こう一面に広がっていた。


部屋は静かだった。

音といえば、グラスの中で氷が触れ合う、乾いた音だけ。


ブライス・カートライトは、一人で立っている。

クレアとの結婚写真が机の上にある。


完璧に仕立てられたカジュアルなスーツ。

成功を当然のように着こなす男。


だが胸の奥では、落ち着かない何かが、ずっと動いていた。


壁のスクリーンに、古い映像が映し出される。

父が三塁を回る。母が映画賞を受賞する。


ブライスは日本酒を一口含み、

その映像を、他人事のように見つめる。


やがて映像は端に縮み、

半透明のインターフェースが浮かび上がった。


〈SOLA〉

「ブライス。投資家コールは十五分遅延しています。

ピッチ資料を更新しますか?」


「頼む」


氷を足しながら、淡々と答える。


「京都の成長率を入れろ。

寺の映像は切れ。

禅はもういい。スピードを出せ」


〈SOLA〉

「了解。

ナラティブを再構成します。

“効率的な生活のための、機能的で満たされる習慣”」


ブライスは、短く笑った。


「なあ。結局、なんでこれが売れる?」


〈SOLA〉

「人々は迷っています。

そして、あなたのブランドは

“到達した感覚”を与えます」


ブライスは視線を逸らし、呟いた。


「……到達、か」


***


翌日。バークレー。


富士酒造の仮設スペースには、試飲会用のボトルが並んでいた。

ラベルはまだ仮名。

どれも、山梨から持ち込まれた試験ロットだ。


悠司は一本を手に取り、光に透かす。


澄んでいる。

だが、それが正解かどうかは分からない。


「ナパ、行くんだよね」


ミアが言った。

作業着のまま、腕を組んでいる。


「行かない理由はない」


そう答えながら、

自分の声に確信がないことに、悠司は気づいていた。


「ワインの人たちに日本酒を出すなら、

説明から始めることになる」


ミアは首を振る。


「説明は要らなんじゃない?」

「色々理由はあるけど、

日本酒の需要がワインを超えるかもって思ってる」


その言葉が、胸に残った。


奥からハヤシが顔を出す。


「ナパは、味よりストーリーと体験を見る」

「なぜ、そこに立っているのか。

それを語れるストーリーと贅沢な体験だ」


悠司は黙り込む。


山梨の蔵。

川村杜氏の背中。

理由を語らせない世界。


「……注ぐだけの人間になったら、どうする」


思わず、口をついて出た。


「評価されるために、

中身を削られたら」


ミアは少し間を置いて言った。


「削られるのは、

中身がないものだけ」


「残るものは、残る」


ハヤシが続ける。


「だが、覚悟はいる」

「ナパは、

体験を求める人間が一番多い場所だ」


***


その夜。


悠司のスマートフォンに、招待状が届いた。


クレア・ロスチャイルド

プライベート・テイスティングルーム

来週金曜夜


画面を見つめたまま、

悠司はしばらく動けなかった。


***


同じ頃。


サンフランシスコの高層階で、

ブライスは完成したピッチを眺めていた。


洗練されたロゴ。


SOLA SAKE


「俺たちは、日本酒を売ってるんじゃない」


誰に向けるでもなく、言う。


「“豪華が日常”っていう体験を売ってる」


その言葉は、

静かに、しかし確実に、ナパへと伸びていく。


悠司は、まだ知らない。


その試飲会に、

同じ空気を吸う男がいることを。


真のラクジュアリーを知るものと、

素朴と伝統を知るもの。


全く相反する二つが

同じテーブルへ向かっていた。


ナパは、

そのための場所だった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

次回はいよいよナパへ。

引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。

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