バークレー、そしてその先
第五話です。
悠司は、ついにアメリカへ渡ります。
この回は「到着」と「始まり」の話です。
オークランドの空は高く、乾いていた。
悠司は空港のターミナルを出て、肩のバックパックを掛け直す。
日本とは違う光。
金色で、どこか落ち着かない。
案内表示を見上げる。
地下鉄。
迷いは、ほんの一瞬だけだった。
車内の窓に映る自分の顔は、少しだけ硬い。
スマートフォンが震えた。
「お魚屋。先に入ってる」
ハヤシからの短いメッセージ。
余計な言葉はない。
それで十分だった。
バークレーの街は雑多で、騒がしくて、息がしやすい。
壁画の前をスケートボードの少年が通り過ぎ、
遠くから太鼓の音が聞こえる。
日本食料品店「お魚屋」。
カレー屋とラーメン屋に挟まれた、小さな店。
扉を開けると、鈴の音。
味噌と醤油の匂いが鼻を打つ。
カウンターの向こうで谷本が客と話し、
その隣で、色あせた富士酒造のジャケットを着たハヤシが手を振った。
「来たな」
それだけで、肩の力が抜ける。
作業着姿の女性が店に入ってくる。
無駄のない動き。
酒に関わる人間の、独特の立ち方。
「谷本さん、サーモン残ってる?」
ハヤシが言う。
「紹介する。ミア。天音悠司だ」
一瞬、視線が交わる。
「……アマネ?」
小さくうなずく。
「ようこそ」
それだけで、この場所に受け入れられた気がした。
「来月、ナパで試飲会だ」
谷本が言う。
「クレア・ロスチャイルドの個室。
最近、ワインの連中が日本酒を嗅ぎ回ってる」
ミアが続ける。
「作りたいなら、出るべき場所よ」
ハヤシは静かに言った。
「山梨は俺が見る。
バークレーの将来はお前の肩にかかってる」
悠司は、ゆっくりとうなずいた。
店を出ると、午後の光が街を満たしていた。
少し歩いた先に、控えめな建物がある。
コーヒーロースターとコンブチャの工房に挟まれた、古い工業ビル。
扉の上の看板。
FUJI SAKE – California Kura
入口には杉玉が下がり、
サンフランシスコ湾の風に揺れている。
建物の向こうに、
ステンレスのタンクと、立ちのぼる蒸気。
悠司は足を止めその匂いを嗅ぐ。
ハヤシが扉に手をかけた。
「中は、もう動いてる」
扉が開く。
蒸気と、酒の匂い。
***
その頃、サンフランシスコのピア。
夕暮れから夜へ移る港は、冷たい霧に包まれていた。
黒い海に、街の灯りがにじむ。
ゆっくりと回る観覧車。
遠くを滑るフェリーの白い航跡。
岸壁には、磨き上げられたデライトフル・ヨットが静かに停泊している。
街の光を映し、
霧の都市に係留された、浮かぶ宮殿のように。
世界は、同じ空の下で動いている。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。




