内側と外側に生きる人間
第四話です。
今回は、再び山梨へ戻ります。
悠司が蔵の中で過ごす時間です。
冬の富士酒造は、朝が来る前から息をしている。
水の音。
蒸気。
木と米の匂い。
悠司は蔵の中に立っていた。
父の古い写真を手にして。
イアンとハヤシ。
並んで笑っている。
「……何を作ろうとしてたんだろう」
知らなかった。
父の夢も、迷いも。
ハヤシは静かに言った。
「最初はクラフトビールだった。
でも、酒に出会って変わった」
「イアンには空軍でも将来を保証されていた。
でも、ここは手放さなかった」
悠司は盃を口に運ぶ。
昨日より、少しゆっくり。
ここは、過去を守る場所じゃない。
何かを、未来をつくる場所だ。
***
主蔵の奥。
川村が一人、米を返している。
動きに迷いがない。
若い蔵人の声。
「今はハイボールですよね」
「ハイボールぽい酒をつくとか?」
川村は黙ったまま、壁の屋号を見る。
「……あの人が」
「川村杜氏だ」
ハヤシが答える。
川村の視線が悠司を捉える。
「手が柔らかい」
「まだ勉強中です」
川村は発酵タンクを軽く叩く。
「これは酒じゃない。管理だ」
沈黙。
悠司は一歩前に出る。
「消すためじゃありません。
引き継ぐためです」
川村は古い柄杓を差し出す。
「壊すな」
それだけ言って去った。
***
夜明け前の麹室。
「嗅げ。黙れ」
悠司は息を吸い、米に触れる。
怖がらず、急がず。
朝。
川村は一粒の米を口にする。
「……悪くない」
短い言葉。
それで十分だった。
川村は背を向けたまま言う。
「ケイコは、ここに残る道もあった」
悠司の手が止まる。
「ハヤシと結婚して、アメリカへ行った」
「離婚したが、酒からは離れなかった」
「今も、バークレーにいる」
川村は振り返らない。
「内側に立つ者もいる。
外へ広げる者もいる」
「どちらも、必要だ」
***
回想
夕暮れの丘。
風に揺れる草。
制服姿のケイコが、通学鞄に座っている。
開かれた教科書。
見つめる先は、動かない富士山。
同じ屋根。
同じ蔵。
同じ未来。
ケイコは膝を抱えた。
***
その日の夜。
教会の地下室。
「Free English Conversation」
若い宣教師の声。
「自己紹介のフレーズです」
沈黙の中、
ケイコが手を挙げる。
「Hi, my name is Keiko. I’m from Yamanashi.」
澄んだ発音。
「完璧だ」
ケイコは少しだけ視線を落とす。
誇らしさを隠すように。
外へ行く。
そう決めた瞬間だった。
***
蔵に戻る。
蒸気の音。
ハヤシが言う。
「ケイコは野心的だった。昔から」
「だが、酒を信じていた」
「お前の父も。
そして、お前もだ」
悠司はうなずく。
米を返す手が、少しだけ落ち着いていた。
こまで読んでいただき、ありがとうございます。
次回から舞台はアメリカへ。
バークレー編が始まります。
引き続き、読んでいただけたら嬉しいです。




