墜ちる翼
これは、勝負の物語が「人生の物語」に変わる回です。
そして、悠司が“作り手”から“背負う者”へ踏み出す夜でもあります。
佐世保の港は、闇と「浮世絵マスカレード」の熱に包まれていた。
赤い提灯の残光。
まだ消えきらない音楽の余韻。
香と酒と人の気配が、豪奢な船の中にまだ漂っている。
祭りは終わったはずなのに、船はまだ夢の中にいるみたいだった。
「では、最初の挑戦者を」
エドゥアルドの声が、グランドサロンの空気に落ちる。
障子の向こうに、気配がある。
檜の香りが、わずかに流れ込んできた。
誰かが、息を吸う音。
その瞬間、ゴウンという低い振動が、床の下から突き上げてきた。
最初は、誰も気にしなかった。
大型船では、珍しくない音だ。
だが、次の揺れは、はっきりと違うと分かるほどだった。
グラスの中の酒が、波打つ。
天井の照明が、わずかに軋む。
「……何だ?」
誰かが呟いた、その直後。
ドン、ゴウン。
今度は、空気そのものが震えた。
サロンのざわめきが、一斉に凍りつく。
遠くから、獣の唸り声みたいな音が近づいてくる。
悠司は、嫌な予感に背筋を冷やしながら、顔を上げた。
「……ヘリ?」
いや、違う。
サロンの天窓の向こう、夜空を横切る影。
V-22オスプレイ。
港の灯りを受けて、機体の輪郭が不自然に揺れている。
飛び方が、おかしい。
高度が安定していない。
左右に、わずかに、だが確実に振れている。
ブリッジの方で、怒号が飛ぶ。
「航路外だ!」
「高度が低すぎる!」
無線のノイズが、スピーカーから漏れた。
その瞬間、オスプレイが、大きく傾いた。
悠司の視界が、一瞬、白くなる。
だめだ。
記憶が、勝手に開く。
黒い海。
サーチライト。
赤い回転灯。
ニュースの声。
『……横須賀沖で、米軍オスプレイが墜落……』
父の名前。
(……やめろ、今じゃない)
現実に戻るより先に、夜空で機体が落ちた。
正確には、墜ちる前に、海を削った。
翼の先が水面をかすめ、白い飛沫が爆発みたいに跳ね上がる。
次の瞬間、機体は横倒しになり、腹から叩きつけられた。
ドンッ。
衝撃が、船の腹まで響く。
金属が裂ける音。
何かが砕ける音。
蒸気と煙が、港の灯りの中に広がる。
一瞬の静寂。
そして、誰かが叫んだ。
「……人が。海に人がいる!」
サロンが、一気に動き出す。
警報。
走るクルー。
救命具。
悠司は、その場で一瞬だけ、足がすくみかけた。
怖い。
当たり前だ。空から落ちてきた軍用機の事故現場だ。無事で済むはずがない。
それでも。
気づいたときには、もう体が動いていた。
(考えるな。止まるな)
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
悠司はその感覚の正体を知っている。
父の声が、はっきりと頭の中でよみがえった。
『誰かが落ちたら、考えるな。動け。迷ったら、その時点で遅い』
「……くそ」
小さく悪態をついて、悠司は歯を食いしばる。
逃げたい気持ちを、無理やり踏みつける。
(今度こそ、間に合え)
そして、走り出した。
誰よりも先に。
救助艇へ。
海へ。
次回は、いよいよ救助シーンの本編と、
悠司の父を知る人物との再会が描かれます。
よければ、続きもお付き合いください。




