あってはならない朝!
朝日が部屋の隅々にまで差し込んでいた。
シェドウは反射的に目を覚まし、腕を振り上げる。
習慣どおり、すぐに危険に備えて――
……何も起きなかった。
彼女は瞬きをし、自分の手を見下ろす。
細くしなやかな指。
白磁のような肌。
――仮面が消えている。
気づいた瞬間、彼女は頭を振った。
灰色の髪が波のように肩へ落ち、紅玉の瞳が朝の光にきらめく。
引き締まった体。
細い腰、しなやかな脚線、そして……下着姿のまま。
そのとき、ベッドの上でグリディスが身じろぎした。
うっすらと目を開け、ぼんやりと焦点を合わせ――
シェドウと視線が合った。
……沈黙。
グリディスは何度も瞬きをする。
――誰だ、この美女は。
――なぜ半裸で、俺の部屋に。
……
……え?
シェドウの唇がわずかに動く。瞳がきらりと光った。
「はぁ……グリディス」
「昨夜はずいぶん積極的だったじゃない」
「は……?」
「だって、寝ながら抱きしめて……離してくれなかったもの」
「熱くて、こっちが困ったくらいよ」
「ちょ、ちょっと待て!」
「ふふ……十二歳のくせに、とっても――」
意味ありげに視線を送る。
「――勇敢だったわ」
「うわああああああ!!」
グリディスは壁まで吹っ飛び、背をぶつけてへたり込む。
シェドウは声をあげて笑った。
久しぶりに心からの笑い。
「おま、お前っ……!」
「な、なんで……!」
シェドウはにやりと伸びをする。
次の瞬間――
髪は黒に、瞳は暗く、体格は小さく変わり――
そこに座っていたのは、グリディス自身の妹。
「おはよう、兄さん♡」
「ぎゃあああああ!!」
その叫びは宿の外まで響いた。
宿を出るとすぐに異様な空気を感じた。
昨日まで無関心だった人々が、妙な笑みを浮かべてこちらを見る。
「おい、あいつだ!」
街路が静まり返る。
「な、なに……?」
「お嬢ちゃん、我慢できなかったのか?」
――爆笑。
顔が真っ赤に燃え上がる。
シェドウは待ってましたとばかりに腕を組み、ため息まじりに言う。
「だって……この子、すごく才能あるから」
ドッと笑いが起き、誰かは膝から崩れ、馬まで鼻を鳴らす。
(俺は……二度と……この魔女を信じない……!)
繁華街では大道芸の魔術師が観客を集めていた。
光を操り、硬貨を消したり出したり。子供たちは大歓声。
「これ……魔法か!?」
「ただの手品よ。……あんたが私から逃げ切る確率と同じくらいのね」
グリディスが見入る横で、シェドウの目は冷たい。
「盗人」
男の指が、客の財布を抜く瞬間――
「落とし物、これかしら?」
いつの間にか背後に立つシェドウ。手には盗まれた財布。
「なっ……!」
グリディスも声を張る。
「トリックは暴かれた! もう誤魔化せないぞ!」
魔術師は舌打ちし、粉を撒いて姿を消す。
残ったのは煙とざわめきだけだった。
ギルドへ向かう途中。
路地裏で二人のシャグレツが取引をしているのを見て、グリディスが足を踏み出す。
「おい、危ない」
シェドウが首根っこを掴み、壁に押し付ける。
「……見るだけにしろ」
耳を澄ます。
「足りねぇ。もっとだ」
「焦るな。まだ終わってない」
一人の視線が鋭くなり、気配を察知。
「……誰かいる?」
だがその瞬間にはもう遅い。
シェドウはグリディスを抱え、影に溶ける。
次の瞬間、そこには誰もいなかった。
「……気のせいか」
シェドウは彼を放す。
「覚えときなさい。剣で勝つだけが戦いじゃない」
市場の一角、アーティファクトの店。
銀のペンダントを手にしたグリディスに、店主が慌てて叫ぶ。
「触るな! 記憶を奪われるぞ!」
慌てて手を引っ込めるグリディス。
シェドウは鼻で笑う。
「私は昔、“幸運の薬”を掴まされて……二週間も裸足で森をさまよったわ」
だが、グリディスの胸には妙な感覚が残った。
――このペンダント、どこかで……。
ギルドの入口。
老人がグリディスの手を掴む。
「……影がお前に纏わりついておる」
「え……」
「風が囁く。危険が近い」
シェドウは目を転がす。
「また始まった……」
だが、グリディスは直感する。
――この老人、ただの狂人じゃない。
何かを知っている。




