四季を駆ける
なんだ、幼稚園とやらは終わったのか?
もうしばらく座布団の上でのんびり寝ていたかったんだがな。
では、ボウズが着替えている間に、どこかへ隠れるとするか。
あ、いかん。冷蔵庫の陰に隠れていたのに、早くも見つかってしまった。
そんなに強くつかんだら痛いのだぞ。もっと優しく触ってくれ。なにしろ某は齢十八にもなるのだからな。もう少し老猫を労わって……。
いたたた……。
尻尾を強くつかむでない。
これが大人の人間であれば猫パンチでも見舞ってやるのだが、某より十三も年下の幼児には手を出さんと決めている。我慢、我慢。
老いても男気のある猫と自負しておるからな。
「トラさんを苛めちゃダメよー」
さすが母上。長い付き合いだけあって、すぐに助け舟を出してくれる。
茶トラ猫だから『トラさん』という安直な名前は、あまり気に入ってはおらんが……。
ぽかぽかとした陽が心地よいなぁ。
ほほぉ、近くにお経を唱える鳥がいるのか。「法華経」と鳴いておる。
ん? 鳥かと思ったら、白い蝶に化けたか。お前さん、どこから来た?
ひらひらと某の頭上を飛び回っているが、「じいさん、捕まえてみな」とでも言いたげだな。
獰猛な肉食獣だって、無駄な狩りはしないのだぞ。
庭にヒマワリという、黄色くて大きな花が咲いた。
いつも太陽を見ているが、眩しくはないのだろうか。
ボウズがセミを捕まえてきて、自慢げに某に見せに来た。
某だって若い頃はネズミを捕まえて、これまた若き日の母上に献上しにいったものだ。それなのに、悲鳴を上げてネズミごと外へ放り出されたがな。
幼稚園から帰ってきたボウズが、ポケットから取り出したものを某の前に転がした。
ふんふんとにおいを嗅いでみる。なるほど、これはドングリという木の実だな。
某への土産か? 悪いが固いものは食えんのだ。
ふいと横を向いたら、ボウズは某の頭にドングリを置く。ひとつ、ふたつと……。
頭に乗るより、転がり落ちた方が多いようだが。
だいぶ冷えると思ったら雪が降っているのか。
それも珍しく大雪だ。
悪戯好きのボウズが、母上の目を盗んで外へ出ていった。大丈夫か、外は寒いぞ。
ガラス窓から外を覗いてみると、ボウズはスコップを持って庭にいた。
屋根から落ちた雪だまりに、穴を掘るつもりなのだろう。人間の子供というのは、なぜか山があればトンネルを作りたがるのだ。
トンネルは某も好きだが、冷たい雪のトンネルより、温かい炬燵のトンネルが好きだ。
どれ、炬燵で温まるか……。
ボフッ
大変だ。掘っていた雪のトンネルが崩れた。ボウズも埋まってしまった。
窓もドアも閉まっているので外へ出られない。爪を立ててドアを引っ掻いたら開くか?
「どうしたのトラさん?」
よかった。ガリガリ引っ掻く音に母上が気付いてくれたみたいだ。
「フニャー!(早く開けてくれ)」
「外へ出たいの? 寒いわよ、ほら」
ほんの少し開いたドアから冷風が入り込んでくる。
さ、寒い……。でも行くしかない。
鼻先を突っ込んで、顔でドアを押し広げ……。もうちょっと開けてくれないか。
部屋にボウズがおらず、母上も異変を感じたのか、ドアを開けて一緒に外へ飛び出す。
雪で体ごと埋まってしまいそうになりながら、必死で飛び跳ねながらボウズがいるところへ向かった。
小さな雪だまりだったのが幸いし、ボウズは雪山の中から顔だけ出してキョトンとしていた。
また春が始まり、地面から緑の葉が芽吹いてきた。
ボウズは相変わらず悪戯っ子で、某の尻尾を執拗につかもうと追いかけてくる。
ここのところ俊敏に避けることができなくなって、すぐにつかまれてしまう。
やれやれ、年だな……。なんて思っているうちに、食欲もなくなり、けだるい毎日をほぼ寝て過ごすことにしている。
不覚にもケージに入れられ、病院という変なにおいのする場所へ連れていかれた。見知らぬ人間にあちこち触られても、抵抗する元気はない。
そうか、ここで生涯を終えるのだな。
死期が近いことはなんとなくわかるものだ。
母上と見知らぬ人間が長いこと話している。
再びケージに入れられ、意に反して家に戻ってきた。
悪戯ボウズが某の体をなでる。母上もなでる。
父上が帰ってきて、またなでられた。
その日の夜遅くに寿命が尽きた。
すっかり冷たくなった某の周りに、三人が集まっているのがわかった。なぜか耳は聞こえていたのだ。
最期のお別れをしなさいという神のおぼし召しだろうか。
寝る時間はとっくに過ぎているはずだが、ボウズだけがいつまでも話しかけてくる。
生前、このボウズには手を焼いたものだ。しつこいくらいちょっかいを出してくるので、某はできるだけ近寄らぬようにしていた。
老いた身では体力が持たんのだ。仲良くしてやれずにすまんな。
ニャ(達者でな)……
「ママ! ママ! トラさんが鳴いたよ。まだ生きてるよ。病院へ行こうよ」
諦め切れない息子をなだめるように母上が言った。
「また会おうねって言ったのよ。ね、トラさん」