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7.

7.


 蒲沼紀子が赤木南々子の家のドアを音もなく開いた。靴のままリビングに向かうと、袖のナイフが見えないように右手を背中に隠した。


「あなた、どうしてまだ生きているの?」


 長藻秋詠に質問した。


「もう再生したの?」


 血は止まっているらしく滴ってはいない。


「いや。けれど、夜には治るだろう」


 驚異の治癒スピードだった。


再生者リジェネレータ。化け物ね」


「一つ聞きたいんだがな、紀子さん」


 秋詠が目を細めながら、ナイフをもつ手で眼鏡を正した。


「何?」


 目を動かして、他に誰かいないか確認した。


「どうして心臓の鼓動が二つ鳴っているんだ?」


「どうしてかしら、ね!」


 紀子がナイフを投げようとするが、先に秋詠がナイフを落としてしまった。投げずに紀子が刺しかかった。


 フェイントを利用した秋詠が冷静にウェストコートのSIG SAUER P226で、ダブルタップで撃った。


 胸に2発撃たれた蒲沼紀子が倒れたが、その奥に三島航多が銃をもって立っていた。


「どうして殺めた!」


「まだ死んでいない。どいてくれ。始末する」


「聞きたいことがある」


「後にしてくれ、三島くん」


「どうして未来みらいちゃんを棄てたんだ? どうして養育費を払ってやらない! どうしてみゆきさんを殺めたんだ?」


 妻を亡くした三島航多の持つ手がゆれていた。涙が止まらない。


「何の話だ? 時間がない。どいてくれないか」


「ここに書いてある」


 ツイードのジャケットから、戸籍謄本をだした。みゆきの娘の父の氏名が長藻秋詠になっている。


「何のことだ? それよりどいてくれ。――あー、珠子さんから何か頼まれているんだろう? 何だ?」


「くっ……突然変異について知りたいらしい」


「ああ……解けなかったのか」


「……せめてヒントでも欲しいと」


「ふう……〈左利きのベレロフォン〉だ」


「ベレロフォン? どういう意味なんだ?」


「あなたは使者メッセンジャーなんだろう? 手紙の内容を知る必要はないし、知る権利もない。責任もない」


「どうしてみゆきさんを殺したんだ?」


 三島航多がツイードの袖で涙をぬぐった。


「知る必要――」


 その瞬間に、長藻秋詠が発砲した。ダブルタップ。


「どうしてなんだ!」


 三島航多が長藻秋詠を撃った。SIG SAUER P226の弾倉マガジンは15発だ。初弾を装填した場合は、15+1になる。


 遊底スライドが開放された。


 全弾撃ちつくしても、航多は引き金(トリガー)を引きつづけた。


 秋詠は右肩をだして、まだ立っていた。右目に被弾して眼鏡も割れていた。胸や腹からおびただしい血が流れている。


 長藻秋詠は、三島航多をどかけると、蒲沼紀子の右の心臓をダブルタップで撃ち、眉間もダブルタップで撃った。バスルームまで片手で引きずっていくと、蒲沼紀子を立たせて押した。椿の花が散るように首が落ちた。


花相似はなあいにたり……」


 ――年年歳歳花相似、歳歳年年人不同。


「……怪我は?」


「長藻さん!」


 航多が叫んだ。秋詠が倒れた。


   *


 12時31分。西川衞事務所。


 ナルミのティーカップから、シュリードゥワリカの香りが広がった。ウェストコート姿の六里周りくりあまねが穏やかな表情で紅茶を楽しんだ。新聞の三面に、千葉県成田市に停車していた車両の燃料電池による事故が報じられていた。


 EPSONのノートPCの〝SECURITY〟フォルダのソフトウェアが起動した。


『事後報告』


 茶泉珠子だ。


「結局、何だったのだ?」


『質問の意味が解らない。仮説を述べよ』


「長藻は用済みだとして、どうして蒲沼を処分した? ……周玲玲チャウ・リンリン――一等書記官とつながっていたのか。用済みに、裏切者の処分をさせたのか……」


 深呼吸した。手際がいいとしかいいようがない。


「長藻は貴重なサンプルなのだろう? ……他にもサンプルがあるのか?」


『一つあるものは二つある。二つあるものは三つある。投資の基本だ』


 長藻秋詠の生体情報――たとえば、DNAや血液の情報は骨髄移植でコピーできる。


「どうしてこちらがベルギー女を預からなければならない。サンプルと監視というなら理解できるが」


 元殺し屋クレール・セルだ。


『秋詠が目利きしたのだ。使える道具だ。私からの礼でもある』


 意趣返しとしか思えない六里周だった。


西春施サイ・チョンシー――三等書記官が、三島航多のところにいる理由は? 妻の愛人の、愛人だぞ?」


『それは簡単だ。三島みゆきは恋多き女だった』


 飲んでいたカップを落としそうになった。


「ん? 三島未来みしまみらいと誕生日が同じだぞ。生年月日――この二人、双子なのか? だから、西春施が父の長藻に連絡することを知っていたのか……」


『正解と不正解。二卵性双生児の姉妹。父親は不明。二人とも別の可能性がある』


 茶泉珠子が奇妙なことを言いだした。


「未来の父親は長藻だろう」


『戸籍上は。DNAは違う。そもそも秋詠とみゆきに肉体関係はない』


「頼まれたのか……」


 現在では不要だが、三島みゆきが出産する時代では未婚の人工妊娠中絶には同意書が必要だった。


「では、それなら、長藻が認知する必要――あなたか……」


『正解』


 長藻秋詠が認知するかわりに、茶泉珠子が西春施を手に入れ、機関が教育して〈自覚のないスパイ〉として送り込んだのだろう。


「最後にもう一つ。三島みゆきは自殺ではないのか?」


『たぶん。曖昧な言い方で申し訳ないが』


「長藻は、みゆきが亡くなることを知っていたのではないのか?」


『知っていたからこそ〈左利きのベレロフォン〉と答えた。ベレロフォンは?』


「ギリシア神話の英雄だろう。キマイラを退治した。……キメラ?」


『三島みゆきは血液キメラだった。A型とO型が同時に存在する。左利きの意味は?』


「さっぱり」


 通話のみだが、六里周が首をふった。


『〈左利きのベレロフォン〉に対応するのは?』


「〈右利きのキマイラ〉……フレミング? 右のキメラ……左右……反転……鏡。――光学異性体か?」


『正解』


 六里周が薬害サリドマイド禍を思い出していた。催眠作用のある非バルビツール酸系のサリドマイドの光学異性体を妊婦が服用するとサリドマイド胎芽症になってしまうのだ。近年では、ハンセン病患者の鎮痛剤として再評価されている。※近年の報告では光学異性体でなくとも催奇性をあらわすとの報告がある。


『詳しくは論文を読みたまえ』


 その論文を理解するためには、先行研究の論文を読まなくてはならず、それらを理解するには医学の知識が不可欠だ。専門家であっても理解することは簡単ではないだろう。


「ではB型AB型は? ……骨髄移植」


 大陸タールーは人口問題に悩んでいた。B型の人口割合は約20%、AB型は約5%。つまり人口の約25%を抹殺することもできるし、国民全員にワクチンを販売することもできる。魔法のウイルスとワクチン。そして、骨髄移植によって血液型を変更することもできる。悪魔の商法だった。


『このウイルスに名前をつけた。〝COVID−22〟』



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