《挿話》 恋したら魔女だった 2
─────バターーーンッ!
エレクの小さな家の扉が、いきなり乱暴に開かれた。
「おいっ、ここにエレクトラって若い女がいるかっ?」
びっくりして手に持ったマグから、熱い茶が手にかかっちまった。
「あっちッ! な、なんだお前ら!! 人の家に挨拶もなく入って来るなんて!」
エレクが入れてくれたハーブティーを飲んでたら、役人の制服を来た二人組の男が、乱暴に入って来た。
「俺たちは領主様から派遣されている特別検疫役人で、流行り病について各地を回って調べている」
「森の奥に薬売りの若い女がひとりで隠れ住んでると情報が来た。各地で猛威を振るっている赤熱斑点病は、魔女たちが流行らせたことが最近わかった。人々が苦しむのを見て楽しみ、病で与えた苦痛を癒やす薬を高値で売りつけ金儲けするために。薬売りのこの女には、魔女の疑いがある」
役人の一人が、一緒にお茶を飲んでいたエレクトラを指さした。
俺はびっくりしてエレクを背中に隠す。
「言いがかりはよせ! エレクは魔女じゃない! ただの薬草師だ!」
***
半年ほど前からだった。海に面し交易が盛んな商人の行き来が激しいマーゼラーン領から始まったと囁かれてる流行り病。それは赤熱斑点病と名づけられた。罹患すると、高熱が何日も続き、体にはところ構わず、頭皮や口の中にまでブツブツが出て、痒くて気が狂いそうになるらしい。体中掻きむしって傷だらけにして、それでも掻かずにいられない。かかったら地獄を見ると言われてる。傷口から皮膚が膿んで大きく広がって、亡くなる人もたくさん出てるらしい。
以来、国中の都会の街で流行していた。が、この自給自足に近い田舎町では噂だけで、特に患者が出たという話は無かった。
しかし数日前に、俺が町に出た時、人々には前ぶれの緊張が広がっているようだった。なんせ病気についての噂があれこれ次々と流れて来るから。あんなの毎日聞いてたら、もし自分がって、なんとなく怖くなるよな‥‥
病気が出始めの頃は、この病は神罰で、今まで信心の足りなかった者は死に至るとか、過去に密かに罪を犯した者がかかるらしいとか言われてた。だから、かかった人は周りから責められた。その家族も世間から責められ嫌がらせを受け、引っ越しを余儀なくされたり、最悪なことには自殺に追い込まれたりもあったようだ。
だけど、病気が広がるにつれて、これは神の啓示で、神は生かすべき人を選別しているとか言い出す人が出て来た。んなバカな。他にもネズミが病気を運んでる説だとか、実は敵国の密かなるテロ行為だとかも囁かれるようになった。
とにかく皆、この大きな災厄の原因を何かに求めたがってた。不安の矛先を向けるものを必要としてた。証拠も根拠も要らない。だってそんな証明は誰にも出来やしないんだから。
他にもいろんなトンデモ説が次々流れていて、魔女たちが流行らせているという噂も最近加わったのは俺も知ってた。
俺は狩人で、町の暮らしとは一線を画してたから、今までは落ち着いて世間様を見て観察していられた。この町は流行り病とは未だ無縁だったし。
なのに今、俺にこんな形で関わって来るなんて思いもしなかった。エレクの家に検疫役人が来るなんて!
***
「魔女なんてこの世にいるわけ無いだろ! あんたら、おっさんになってもお子様かよ? バンパイアや狼男と同じ、お伽噺の中のことだろうが!」
役人たちは、抗議する俺を哀れむように薄ら嗤いを浮かべた。
「いや、魔女はいる。お前はこんな森の中にいるど田舎者だから知らないのも無理はないが、他の領でも我がペルセアス領の裁判でも、何人もの女が魔女と認定されいる。公で証明されているんだ」
「そうそう、司教様だって教皇様だって魔女だと認めてるんだから、本当にいるのさ。占い師、薬草師、お産婆とか、星読みや体の治癒に関わる女たちは、悪魔と契約した魔女の疑いがあるから、取り調べしなければならない。今はこの町には何も起きてはいないが、起こされる前に魔女は狩らねばならん。そこの生意気で、イキのいい坊やはおわかりかな?」
「そんなのどうせデタラメだろ!! アレクは違う! 町の人たちだってアレクの作る薬には感謝してるんだ!」
「フフ‥‥だからだよ? 坊や。この女が魔女ではないなら証明をしておいた方がいいだろう? 我々が親切にもそれをしてあげるんだ。悪魔との契約の焼印が無いかこの女の全身を確かめねばならん。無ければそれで疑いは晴れるだろ? ヨシ‥‥‥男、お前はいいから出て行け!」
「おい‥‥‥待てよ。エレクの体を調べるって、どういう?」
「魔女の悪魔との契約の焼印は体のどこに刻まれているか分からないからな。髪の中から瞼の裏から、体中の穴の中まですべて調べるのさ」
「俺たち二人でじっくり全身調べて何も出なかったらそれで終いだ。それまでお前は今夜一晩どこかに行ってろ。明日の朝までには調べ終わるから」
───絶句した。
こいつらニヤニヤいやらしい嗤いを浮かべやがって! きっとエレクが目当てでこんな森の奥まで来たに決まってる! 薬売りのエレクは美人だって下町でも評判になってるから聞きつけて。なんてやつらだ!
魔女狩りにかこつけて! 俺がいなかったらヤバいことになってたじゃないか!
「テメェ‥‥ふざけてんのか!! 俺のエレクにそんなことさせるかッッ!」
本当の魔女だろうと、そんな焼印があるはずもない。そんなのはお伽噺の中の伝説だ。
それに、田舎者の俺だって魔女狩りの噂は聞いてるさ。田舎ほど噂は濃く早いって、こいつら都会から派遣された役人は知らんのかよ? 役人や魔女狩り師に目をつけられれば、ホクロだろうと傷跡だろうと、ただの痣だって悪魔の焼印ってことにされてるって噂だ。裁判なんて形だけだって皆知ってる。
「フフ、いいのか?‥‥邪魔するなら魔女だって認めることになる。お前も同罪だ。この女もお前も魔女裁判にかけられることになるぞ。嫌ならその女を置いて即座に出て行け! それがお前ら二人にとって賢明だが?」
魔女裁判なんてインチキだから、賄賂を渡さなきゃ皆魔女にされて、結局は処刑されてるって、兄さんたちや、カルポ爺さんからも聞いてる。
このままでは俺は確実に処刑される。だが、エレクを一晩差し出せば俺だけは確実に助かる‥‥‥
────さあ? どうする?
なーんて、考えるのもバカらしいじゃんか!
俺は咄嗟に役人に向かってテーブルの上にあったポットを投げつけ、熱いハーブティーをぶっかける。
「エレク、窓から逃げろッ! こいつらは俺が引き止めるからッッ!!」
愛する女を不埒な男どもに差し出すなんて俺にはできねーよ!
「ウオ゙ォ゙ォ゙ーーーーッッッ!!」
俺は二人組に向かってがむしゃらに椅子を振り回した。
「エレクには指先一本だろうが絶対触れさせねえからなッ!!」
俺はいつもの仕事の身支度してたなら、カルポ爺さんからキツく戒められてた "決して人に弓矢を向けてはならない" という禁忌を侵してコイツラを殺るだろう。後で処刑されることになったとしても。
エレクを護って死ぬならそれが俺の意思だ!
背後にいたエレクの指が、後ろから俺の両頬に触れた。
「‥‥もういいわ。イオはあたしのために死ぬ気なのね‥‥‥」
さっきまで俺の背中で震えてたエレクが、妙に落ち着き払って、俺の首に腕を回して後ろから抱きついた。
「何やってんだッッッ! エレク、早く行けッッ!!」
「‥‥‥いいのよ。だってあたしは本物の魔女だもの」
「はッ?」
ふと静寂に気づけば、眼の前にいた役人二人が、俺を鬼の形相で睨み、一人は剣を振り上げ、もう一人は引き出す直前で、柄を握ったまま人形のように静止してる。
「‥‥‥エレク‥‥これ‥‥‥?」
役人二人は不自然な停止姿勢のまま、次第に霞んで透けるようになって、跡形も無く消え失せた。
「イオ、これは夢よ。‥‥‥とはいえ、このまま時が進めば未来に起こる出来事だけれど」
***
椅子に座ったままテーブルに伏せて眠り込んでいた俺は、エレクの冷えた指先で優しく頬を撫でられ目を覚ました。
テーブルの上では、俺の飲みかけのハーブティーが、まだ微かに湯気を立てていた。