魔女エレクトラの薬
zzz‥‥‥zzz‥‥う‥ううん‥‥‥くすぐったいわ‥‥‥やめて‥‥‥きゃっ! うふふ‥‥‥
可愛らしいふわふわネコちゃんが、寝ている私の頬をくすぐる。
────へぇ‥‥‥これが夢というものなのね。初体験だわ。
閉じ込められた地下室のここでは、今まであり得なかったことも起こるのね。私が夢を見るなんて。こんな状況下だからこそ‥‥?
私はうっすら意識を取り戻してゆく‥‥‥‥
まだ、夢の続きで頬がくすぐったい気がするわ。どうやら眠りの途中で起きたみたい。ずっと真っ暗だから、時間は感覚でしかわからないけれど、まだ朝には程遠い感じがする‥‥
まだ眠くて開くのを抵抗してる目を擦った。ら、
「アッ、痛ッ‥‥」
尖った硬いものが、手の甲に当たった。何だろう?
‥‥え?!──────割れてるッッッ?! 枕元に置いておいた石がッ!!
慌てて石棺の外の横に置いてあったカンテラを取って照らす。ギザギザな割れ目。石の中は空洞で湿っぽい。
な‥‥‥??? 刹那、頭が混乱した。
これは‥‥‥タマゴの殻? エメラルド色の。あの綺麗な石は石じゃなくて、すごく硬いタマゴだったの!?
カペラおじいさんが森で拾ってきた石はタマゴだったのね! 待って! それって半世紀前の出来事だって言ってたような‥‥‥。そんな長い間タマゴでいたってこと???
ゾワゾワする。何のタマゴだったのよ‥‥‥? 生まれた‥‥のよね。
───ならばここの空間に、謎の生物が‥‥‥いる。
ふと、私の目の端に光るものが見えた。ビクッとして振り向くと、部屋の角の暗がりに、大小横に4つ並んでいる濡れたエメラルド色の光の玉。光の列がススっと同時に動いた。あ、あれは1つのかたまりなんだわ。正体不明の生き物に、私の恐怖メーターは、人生最大値をレコードしてる。
「アッ‥‥‥アアッ‥‥‥‥なに‥‥‥‥?」
私の目線は固定され、石棺の中で後退りも出来ず、座ったまま動けない。
それは音も無く、ゆっくりと暗がりからシルエットを顕し始めた。
カ、カ、カニ? ‥‥じゃないってば。横歩きではないし、あれがカニのタマゴだったとは思えない‥‥‥
足音もなく近づいて来る "それ"───────
「っ!」
容貌を確と認識したと同時に、私の吸い込んだ息が止まった。
「ぎ‥‥ぎ‥‥ぎゃあ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ーーーーーーーーーッッ!!!!!」
自分が出したとは信じられないボリュームの金切り声が、闇をビリビリ切り裂いた。
カンテラに照らし出されたその姿は─────
床に平たい体勢の生き物。
エメラルドの濡れた光を帯びて光る大小4つの横並びの目。口にはハサミのような突起。滑らかな絨毯のようなシルバーグレイの光沢の毛に覆われた体。折れ曲った幾つもの脚には、尖った棘のような毛がパサパサ生えてる。
───眼の前に顕れたのは、猫ほどもある大きな蜘蛛だった。
「‥‥イヤ‥‥シッ、あっちへ‥‥あっち行ってッッ!」
掠れる声も体も震えてる。信じられないッ!! 私はこんなものと一緒に寝ていたのッッ?
大蜘蛛は石棺の手前から動かず、すぐそこで私の方をじっと見てる。どうすればいいの? この部屋は密室なのよ? 私が逃げ出すことも、蜘蛛を追い出すことも出来やしない。
(((( おいっ、メローペ。うっせーぞ? 騒ぐなよ )))
不意に私の頭の中に、幼児の声が反響した。
「なにこれ、誰ッ?!」
この部屋に子どもがいるわけない! まさかこの部屋に幼い子どもの幽霊までいるのっ?
(((( チッ、こんな声しか出せないとは自分でもびっくりだぜ。あーん、俺だってば。えっと‥‥名前はお前がつけたんだろーが。えっと、なんだっけ? アステローペだっけ? そうそう、俺はアステローペだ。あーん、女の子みたいな名前だな。別にいいけど )))
「あ‥‥あ‥‥あ? く、蜘蛛が? 蜘蛛が喋った‥‥??? ぎゃぁ゙ーーーーーーッ!!!」
床にいる蜘蛛が困ったように前脚で頭をかいてる。‥‥嘘。私のアステローペちゃんが大蜘蛛だったなんて!
(((( チッ、だから落ち着けよ。メローペ。誰か来たらめんどくせーだろ? )))
「わ、私は痩せてるし、か、か、か、固くて美味しくないから‥‥‥だから‥‥‥お願い‥‥‥」
蜘蛛に食べられて死ぬなんて嫌! ならば今すぐこの魔女の薬を飲むしかない!
私はピアスに偽装した魔薬に手を伸ばす。
(((( ああ、それ! あんたからエレクトラの匂いがかすかにした。多分その耳飾りからだ。あんた、エレクトラを知ってんのか? 今、魔女様はどこでどうしてるんだよ? 勿論、また生きてるよな )))
───ちょっと待ってよ!
「‥‥‥あなた、妖精の森の魔女エレクトラのお知り合いなの? 生まれたばかりだというのに。しかも喋るとはいかに! わかったわ! 魔物なのね! この聖なる場所に魔物がいたなんて‥‥‥しかも祀られて!」
(((( ‥‥‥メローペ。お前、あれこれ頭悪いだろ? 聖なる場所って、ハハハ。ここいら辺の聖とやらも実際は濁って来てるって、こんな目に遭ってるお前が一番良く知ってんだろ? さっき俺に思いっきりあいつらの愚痴垂れてたじゃん。おまえが聖を遠ざけるのにさらに追い打ちをかけたな。お陰で俺はやっと殻から出られた。なあ? その耳につけたエレクの薬は何なんだと思ってる? まさか効能を知らないで持ってんのかよ? )))
さっからタメ口の上、幼児の声で憎たらしいことを言われてだんだんムカムカして来た。私は仮にもあなたの名づけ親なのよ?
「‥‥アステローペ! 言葉に気をつけなさい。私がまるで邪悪のような言い草ね。それに私はこの薬のことは知っているわよ。勿論!」
(((( なら、わかんだろ。それは自我を保ったまま転生出来る手伝いしてくれる薬だ‥‥ってことは? )))
「‥‥‥あなたまさか‥‥‥あなたは過去に、少なくとも半世紀以上前に、魔女エレクトラの薬を使ったのね! そしてずーっと昔にタマゴで生を受けて、たった今、生まれて来たってこと?」
(((( やっと気がついたのかよ? はっはー )))
魔女エレクトラの薬は本物だったらしい。お母様の秘宝と引き換えだった、貴重な薬2回分。
「教えて。アステローペ、あなた以前はどこにいたの?」
(((( あん? 俺? 山岳地方のペルセアス領さ。山麓の森に住む狩人だった。この姿の前は人間だったんだ。時が経ちすぎて俺も数えてらんなかったけど、あれってどんくらい前だったんだろ? 何百年前かもな??? )))
「ええッ、生まれ変わるまでにそんなに時差が! しかも元は人だったの?!」
やだわ。この薬を飲んで生まれ変わったとしても、お母様や家族に再び会えなかったら自我を保ったまま生まれ変わる意味はない。思ってたのと違う‥‥‥。私、詳しい取説は聞いてない。薬を手に入れたお母様も知らないのかも知れない。
(((( 俺さ、魔女狩りなんてものにあってさ、俺もアレクと一緒に狩られて死んだ )))
「‥‥まあ、恐ろしいこと。魔女でなくても狩られたって本で読んだわ。確か300年くらい昔のことよ」
((( ああ、あの時はただの人間も随分狩られてたよな。とはいえエレクトラは本物の魔女だったけどwww 密告も奨励されてた。多少だがエレクは運命を読めたし、周囲の動きに危険を感じて備えてた。俺はエレクから事前に渡されていた魔薬があったから、こうして当時の自我のまま生まれ変わることが出来たのさ )))
人間は人間に生まれ変わるのかと思い込んでいたけれど、そうではないなら私、この薬を飲むのは躊躇うわ‥‥‥魔女エレクトラの薬についてもっと情報を得なければ。
「そうだったの‥‥‥ねえ、あなたのお話をもっと詳しくお話して下さらない? 魔女エレクトラとはどのようなお知り合いだったの? 私、この薬について誤解してた部分があるみたい。詳しく教えて頂きたいの。どうして生まれ変わったら蜘蛛になったの? なりたくてそうなったの?」
((( 話? ああ、いいぜ? 夜は長い。俺は殻に閉じこもってて、めっちゃ退屈してたんだ。当分寝かせねーぜ? 聞くなら覚悟しとけよ。じゃあ、俺がガキん時の話からな────── )))
最初は恐ろしかったけれど、ちょっとお話したら何とも思わなくなってしまった。むしろお話出来る蜘蛛が出来て嬉しいかも‥‥‥性格は陽気そうだし。
触るのは無理だけど。