地下室の幸運なる乙女
神殿の大祭壇を前に儀式を終えると、立派な白髭の司教と、こぼれそうに大きな目をした司祭の二人に誘われ、薄暗い地下階段へと進む。
コツコツと3つの足音が石の壁に反射する。先頭の司祭の持つロウソクの炎で壁にゆれる3つの影。
いくつか折れ曲がり、一番下まで来た。神殿の下にこんな深い地下があるなんて。
鉄と木で出来た扉を開くと、冷たくてジメジメして気味が悪い小部屋がロウソクの灯りに浮かび上がった。
「ここは『奇蹟の間』と呼ばれている小部屋じゃ」
長く白い髭の恰幅のよい司教が、私の方を見もしないで言った。
周りは階段と同じく、石のブロックを積み上げた壁に囲まれてる。
正面には同じブロックを積み上げて作られた質素な祭壇。元は暖炉だった上に作ったのかしら?司祭は、祭壇の左右にある二つの燭台にロウソクの火を移した。
どこからともなく染み出す地下水が部屋の隅に流れてる。どこかに通風孔もあるみたい。うっすら風を感じる。壁には大きなムカデが這う。
私に、ここで巫女としてネビュラ王国の安寧を神に祈りながら朽ちて逝けと言うのね。何も口にするものもなく閉じ込められて。
私のベッドは隅に置かれたあの石の棺‥‥‥
用意がいいこと。
「さあ、我らの巫女よ。ここで命尽きるまで祈るがよい」
腹の出っ張った白髭司祭が、澄ました顔で私に言った。
本来なら祈るのは、聖職の役目なのに。とんだたぬきジジイたちだわ。
「神に微笑まれし幸運なる乙女よ。これで我らとはお別れだ。最後に何か言うことはあるかね?」
‥‥私が、神に微笑まれし幸運なる乙女? 生け贄に選ばれし不運なる乙女では?
あなたたちは永く神に仕えているのに微笑まれたこともないのね。結局は聖職者のコスプレしてるだけのおじい様たちだわ。
ギョロ目の司祭の声が気に障って、数秒目を瞑って心を鎮める。
ぱっと目を開いて司祭の顔を見た。私は穏やかに微笑む。
「では、お願いがあります、司祭様。ここでロウソクが尽きて真っ暗になったら祭壇の神の像が見えませんわ。これでは祈りに支障が出ましょう? ロウソクをもっと追加して頂けませんこと?」
「ああ、それなら祭壇の下の箱に‥‥‥」
祭壇の下は暖炉のように空洞になっていて、小柄な人が1人潜って入れる大きさ。司祭がゴソゴソ半身で覗き込んで、木の小箱を引っ張り出した。開くとロウソクがギッシリ詰まってる。火付け石も。
あの空洞の中には他にもなにかありそうね。
「司祭様。ありがとうございます。あと、喉がカラカラでは神に祈る言葉が掠れてしまいます。いくらかお水を用意して頂けませんこと? 身を清めるための聖水も」
「承知いたしました。我らの巫女よ」
私の最期の願いは聞き届けられた。一人残され出入り口の扉は閉じられた。
見えない向こう側から司祭が言った。
「メローペ様。世話係が朝になったら扉をノック致しますので、返事を返して下さい」
向こうからカギをかける金属音がシャリと響いて、私の心臓をキュッと締め付けた。重なった足音が遠くなって行く。けれど、これで私はプリアード家に課せられた責務を果たしたと言えるわ。領地にお咎めの恐れは無くなった。
この扉が再び開くのは、私から返事が無くなった時‥‥‥
不安がモヤモヤと私を包む。
誰も頼れない。強がる相手がいなくなったら急に膝が萎えて来た。
ダメ、しっかりしなきゃ‥‥‥
末端とはいえ私だって貴族令嬢だから、切り刻まれたり、辱めを受けたりしなかっただけマシだと思おう。それに、朝まで誰も来ないなら扉の前には見張りもつかないってことだわ。
司祭は、ここは『奇蹟の間』だと言っていた。ならばここで何が起こっても、不思議な出来事で済みそうだわ。でも、なぜそう呼ばれているの? 過去に何か不思議現象があったのかしら‥‥‥
私が隠し持ってる魔女の薬のことはお母様と私だけの秘密。こっそり逃げようと思っていることも。他は誰も、お父様たちでさえ知らない。バレたらプリアード家の存続に関わる。この中央からの暴挙をかわすには、味方さえも騙す必要があるとお母様がおっしゃるから。
取り敢えず私はこのままこっそり脱出の機を伺うつもりよ。お母様から頂いた薬を使うのは最後の最期の手段。覚悟はあるとはいえ、やはり飲むには勇気がいるでしょうね。実際はどうなるかわからないんだもの。
私は祭壇の燭台を手に取り、辺りを探る。
それにしても───う〜ん、お腹空いた‥‥‥
ぐうう〜‥‥‥
私は髪飾りのスズランの花を一粒、手探りで もいで口に入れる。実はこれは花の部分は砂糖菓子で出来てる。お母様が考案し、城のパティシエに作って貰った。一粒含めば一食分のポーションよ。
ここで何日持つ? お母様が髪に飾りとして、たくさん盛って下さったけれど‥‥‥
甘みを味わいながら、ポトリ‥ポトリと、石の床に涙の染みが出来た。
お母様が恋しい‥‥‥
お腹が収まったらちょと元気を取り戻した。ヨシ‥‥まずは祭壇の周りを探ろう。台の上は特に変わった物は無いようだけど。
無造作に置かれた数冊の経典。壇の中心には、湖水の色を映したような美しい卵型の石が祀られている。この形は、神を模した像。神の原型とされている。神は、ここからあらゆる姿に変化出来ると言われている。
夜空の星の中心にある星が、この世の全て、あらゆるものごとを操れるの。私たちの神様だと言われてる北の星。
ええと‥‥これは使われてない暖炉だとしたら、神の像の後ろ側の、天井に繋がる出っ張りは煙突よね? だとしたらどこに繋がっているの? やっぱり外? 登ればここから出られるのかしら? 朝になったら上を覗けば何か見えるかも。
ロウソクが置いてあった下の空洞に潜り込んで見た。上は、暗くて奥は見えないけど、穴が続いてるみたいだからやはり煙突ね。冷たい微風が来てる。
この空間には脇に、いくつか木箱が押し込められている。
引っ張り出して中身を確かめよう。よいしょ‥‥よいしょ。クシュン‥‥ホコリが積もってる。この部屋はずっと使われてなかったのだわ。
二つの木箱。一体、箱からは何が出て来るの?‥‥‥まさか‥‥‥スカルとか、封じた悪霊とか、恐ろしいものじゃないでしょうね?
ドキドキしながら蓋を開ける。
これは‥‥大きな布? 広げると、虫除けの乾燥ハーブらしきものがハラリと落ちた。古めかしいデザインの修道士の黒いローブ。大きなフードがついてる。こちらの白い衣装は子ども用ね。聖歌隊の白いローブかしら? キチンと油紙に包まれていたせいか汚れはないようだわ。生地は厚いし裏地も縫い目も綺麗。
もう一つの大きい方の箱はすごく重たいわ。何かしら? えっと、これは石の粉の袋? ここの壁を修理する道具類みたい。バケツにコテ、使い古しの手袋とハサミ、ランタンもある。炎がむき出しの燭台より、こちらのランタンの方が便利だわ。さっそくロウソクを入れよう。
修理セットのガラクタの箱を引きずって、扉の前に置いた。閉ざされているとはいえ、カギは外からだもの。油断はできない。もし誰かが侵入しようとしたら、これで気がつくことが出来る。
「ふぁぁ‥‥‥慣れない力仕事で疲れたな‥‥‥」
今日はもう休もう。
桶の水で軽く身を清めた。
私のベッドはあの石棺ね。蓋は空いてる。大人用でもベッド代わりでは窮屈そうね。けれど中にいれば、寝ている間にネズミに齧られないだけマシかもね。
見つけたローブをシーツとブランケット代わりにして中に寝ることにした。今夜はもう頭をカラによう。
火打石があるけれど、ランタンの炎はつけておく。ここは朝が来ても真っ暗だろうし。
───お父様、お母様、シリウスお兄様、カリスト、城のみんな、おやすみなさい‥‥‥‥今日は本当に‥‥疲れ‥て‥‥しまっ‥‥た‥‥わ‥‥‥‥
目を瞑った私の意識は、数秒の間に深き眠りに沈んだ。