彼の朝 3
しばらくして、何とか落ち着くと、もう一度、紙片に目を落とした。この言葉は、彼の耳によく馴染む響きだった。
(きっとどこかで聞いたことがある)
彼は、そんな気がした。どこで聞いたのだろうかと、街を見下ろしながら考えていると、丘の下にある学校からチャイムが聞こえてきた。丘の下にある学校は、彼の母校だった。懐かしいチャイムが、彼の記憶を刺激する。
不意に、脳裏に母校の正門と、初恋のあの子の笑顔が浮かんだ。
彼が学校に通っていた頃、正門にはスローガンが掲げられていた。それが、あの言葉だった。そして、彼女はいつも必ず、その門の前で彼を待っていて、彼を見つけると、満面の笑みで、『おはよう』と声をかけてきたのだ。あの頃の彼は、素直に挨拶をすることがなんだか照れくさく、彼女にまともに挨拶を返したことがなかった。
(挨拶を返されなかった彼女は、あの時どう思っていたのだろうか)
ふと、そんなことを考えて、彼の胸がチクリと痛んだ。
(なんだか、今日は無性に昔のことが気にかかる。仕事も終わり、この後はゆっくりと時間がとれるので、遠回りでもして、母校へ寄ってから帰ろうか)
昔の思い出に浸るのも悪くはないかもしれない。そう思い立った彼は、眼下に広がる街並みと、これから向かう懐かしい母校を一瞥すると、帰り支度のためにベンチへ荷物を取りに戻った。