善意と悪意
ユリアの部屋は直ぐにわかった。廊下の1番奥の部屋にオレンジの花束が紙袋に入れられ、扉の前に置かれていた。紙袋には金の鍵とユリアと書かれたプレートがあった。プレートを扉のフックに掛け、ユリアは扉を鍵で開けた。
ユリアは部屋の広さに驚いた。孤児院の大部屋より大きい…ユリアは思わず呟いた。窓側にはシンプルな勉強机と棚が置いてあり、壁際には柔らかそうな大きなベッド、そしてクローゼットが三つも備え付けてあった。入り口近くには二つ扉があり、ユリアが覗くとトイレとお風呂であった。
(お風呂なんて、滅多に入れないのにこれから毎日入れるんだ…)
孤児院ではお風呂がないため、近くの池で水浴びするしかなかったことを考えると、もう自分は別世界に来てしまったことを実感した。
棚に置いてある時計を見ると19時を過ぎている。お腹減った…食堂は20時まで利用していいと言われたのを思い出し、鍵をかけて降りて行く。不思議なことに誰ともすれ違わなかった。
食堂に恐る恐る入ると奥のテーブル席で数人の女の子たちが談笑しているが見えた。その後ろには黒に白いエプロンをつけた侍女たちが立っている。
ユリアがそわそわとあたりを見渡していると、厨房にいたおばさんと目があった。「こんばんは…」と控えめに声をかけると、おばさんはメニューが書かれた黒板を指差した。
「好きなのを注文してくださいな」
メニューには前菜、スープ、肉料理、魚料理、デザートなどそれぞれ何種類も書いてあり、フルコースを自分で選べる形式のようだ。ユリアはフルコースなど食べたこともないので、どれを選んだら良いかさっぱりだった。
「あなた見ない顔だけど、噂の新入かい?よかったら、おばちゃんが選んであげようか」悩むユリアを気遣っておばさんはプレートに用意してくれた。本来フルコースを一気にプレートに出すものではないが、侍女もおらず、明らかに身なりも平民らしいユリアを見て、こちらの方がいいだろうと判断してくれたようだ。
「ありがとうございます」
ユリアはプレートを受け取ると近くのテーブル席に腰掛けた。トマトのサラダと枝豆の冷製スープ、白身魚のソテーに、レモンのムース。どれもあっさりとした味付けのものであった。正直疲れが溜まっていたため、こってりしたものでなかったので有り難かった。
おいしい…。思わず声に出してしまう。あっさりとした味付けだが、どれも品のある美味しさが感じられる。ユリアは夢中になって食べた。
「あら…あなたが噂の新入りさん?」
奥にいた女の子たちがいつの間にかユリアの前に立っていた。
「あっ…はい…。ユリアといいます。よろしくお願いします」ユリアは緊張しながら、ペコリと頭を下げた。
「どんな子が来るのかと思ったら、こんな礼儀も知らないチンチクリンの平民とはね」目の覚めるような赤毛の子が口元を扇で隠しながら言い放った。
「目上のものが名乗るまで名乗ってはいけないと習わなかったのかしら。これだから苗字さえ持たない平民はいやね?」
青い髪の子はクスクス笑って、金髪の子にチラリと目線をやった。
「同感だわ。これから平民と6年も一緒に暮らすだなんて、これ以上の悲劇があるかしら」金髪の子は小馬鹿にした笑みを浮かべると、大袈裟にため息をついた。
「し、失礼しました…」生まれて初めて受けた悪意のある言葉に、ユリアはすっかり萎縮してしまった。
「こんなのに構っているのが時間の無駄だわ」
「どうせ、すぐ居なくなるわよ。まぐれで入れたのじゃなくて?」
「それもそうね。早く行きましょう」ユリアが泣きそうになっているのを見て満足したのか、侍女達を引き連れて出て行った。
ユリアはしょんぼりとして、食べ終えたプレートを持っておばさんの所に持っていった。美味しかったです、と感想を告げるとおばさんは、さっきの光景を見ていたのか慰めてくれた。そして、明日朝ごはんを食堂で食べるのが嫌だったら、部屋に持っていって食べてもいいだよと教えてくれた。どうやら朝が弱い人や静かに食べたい人は部屋でいつも食事を取っているらしい。基本的に食器を返しに来てくれれば、昼も夜も部屋で好きに食べていいそうだ。
マナーや貴族社会の基本的な事もろくに知らないので、しばらくは部屋で食事を取ろうとユリアは思った。
ユリアは明日グレンさんに最低限の守るべきマナーを聞いておこうと決意した。平民と馬鹿にされたことは非常に悔しかったが、貴族社会の中でマナーを守っていないのを咎められたことに関してはユリアが悪いのだろう…5歳児にしては意外と物事を冷静に分析をしたユリアであった。