数学がもたらすもの
ユリアはペンス先生の表情をひとつも逃さないようじっと見つめた。ようやく課題が完成したので、ペンス先生のもとに早速提出したのである。ペンス先生は分厚い眼鏡をかけ直し、レポート用紙に目を通していく。読み終えるまで表情は変わらなかったが、先生はレポートを机に置くとにやりと笑った。
どっちの笑みですか…とユリアは先生の反応を見て少し不安になる。ペンス先生はユリアの方を見ると、幾つか質問があると言った。ユリアは背筋を伸ばし頷いた。
「数学は自己の防衛になる…ね。具代的に何か例はある?」
先生の問いに、ユリアはテトが街でハーブを不適切な値段で買わされそうになったことを説明した。
数学の意義についてのユリアの答えは、己を守るために必要な知識や考え方を得るためと示した。世の中にはテトの遭遇したハーブ屋のように、数字を用いて騙そうとする者も多い。領地で様々な人と関わる魔法士は決して騙される側にはなってはならないのだ。人々を守り、支えるためにある我々の決断や支持が間違っていては大勢に迷惑をかける。そのためにも、論理的思考で数字という明確な基準を用いて判断する必要があるのだとユリアは考えた。
「なるほどね…。もう一つだけど、それって別に数学じゃなくて、算術が出来ればいい話なんじゃない?」
ペンス先生は意地悪な笑みを浮かべ、ユリアの反応を窺う。ユリアは直ぐに首を横に振り、算術だけでは足りませんと答えた。
「算術でも確かに、騙されて不利益を被ることを防ぐのは可能です。しかし、己を守るという意味でも数学は必須です。最近習った数学の問題では、答えに辿り着くために3つの方法で分析した上で判断するものや、答えが分かった上でその過程を自分で証明する問いがありました。数学は単なる計算ではなく、思考力を育むものだと思います。そして、その思考力というのは、あらゆる物事を判断していく上で必須の能力です。論理的に情報を判断し、意見をまとめることができる能力が育まれます。これは数学でなければいけません」
ユリアは真っ直ぐとペンス先生を見据え、言い切った。
「ほぉ…」
ペンス先生は意外そうな顔をすると、そうかいと何度も頷き、しばらく目を瞑った。ユリアはこれでは不十分だったかもしれない…と内心落ち込んだ。この反応だとペンス先生の期待していたものではなかったのか。
「この課題は預かっておくよ。まぁ、そんな顔しないでおくれ」
ペンス先生はユリアが絶望した表情をしているのを見て笑い、薄紫の書類を手渡した。書類には既に先生のサインと印が押してある。
「えっ…!いいのですか」
ユリアは思わず大きな声を出した。まさか用意していたなんて…それに満足してもらえたのか微妙だったのに…。ペンス先生は当然だろうと言って、大きく頷く。
「君が素晴らしいレポートを提出するだろうとある人から教えてもらったのだよ。まぁ、彼の言っていた以上のレポートが来るもんだから、私は正直驚いたが。君は間違いなく推薦書を貰う資格があると証明された。図書館の利用によって、君の知識がより豊かになることを願おう」
ペンス先生はそういってユリアを労ってくれた。
「ありがとうございます!うわぁー!」
ユリアはあまりの嬉しさに推薦書を抱き締めた。ペンス先生に感謝を告げ、退出すると真っ先にパトリック達の元に向かう。
パトリック達とリリアンヌはまだ教室に残って復習をしていた。ユリアが入るとパトリックが直ぐに気付いて、手を振ってきた。
「聞いてください!ついに、ついに全ての推薦書を集めました…!」
ユリアはわーいと飛び跳ねるとパトリックが凄いじゃないかと喜んでくれる。パトリックは本当におめでとうと言ってユリアを抱きしめた。
ユリアは急にパトリックから抱きしめられて、わひゃっと変な声が出る。顔が真っ赤になっているのが自分でも感じた。ユリアのそんな様子には気が付かないようで、パトリックは尊敬するよと更にぎゅうっとする。
「おいおい…パトリック」
「ルワン様…ユリアから離れてくださいまし。いくら仲良いとはいえ、紳士として如何なものですか」
マックスとリリアンヌの冷たい声にパトリックは、すまない!と離れた。ユリアはまだ心臓の音がバクバクと音を立てていたが、大丈夫ですよとフォローした。
「ユリア殿、おめでとうでございますー!」
テトはユリアの手を取りぶんぶんと回した。マックスがやめろとテトを引き剥がす。
「私、これで図書館の利用が許可されました!幸せです」
ユリアはアンバーの瞳をキラキラと輝かせて、皆んなに感謝した。ユリアが推薦書を貰えたのは皆んなのおかげでもあるのだ。常に互いを支え合って勉強してきたからこそ、今の結果があるとユリアは思っていた。
「ユリアさんの努力の結果ですよ!」
パトリックは素晴らしいことですとユリアに笑いかける。ユリアは先程のパトリックの行動を思い出し、少し恥ずかしくなったがありがとうございますと頭を下げた。
「早く本に埋もれたいです!」
ユリアは図書館の利用が待ち遠してくてたまらないのであった。