八.そして、それぞれの道へ
「アガシャー様ぁーッ!」
めちゃくちゃに荒れ果てた農場の中を、カジベエは必死に走っていた。
あちこちに打ちこまれていたはずのくさびは、そのどれもが大地から抜けて粉々になっている。
建物も壁から屋根まで、そのほとんどが崩れ落ちていて、元が何の建物であったのか区別をつけられないほどだ。
時折、瓦礫の下から出ている手や足にびくつき、アガシャーかと思って確認する。
が、彼にとっては幸いなことに、ここまではそのどれもがアガシャーとはまったく別の人間であった。
カジベエは自分の記憶だけを頼りに、主と決めた男が向かったはずの場所を必死に捜す。
「アガシャー様ぁ。旦那さまぁ、一体どこにおるんだぎゃー?」
カジベエはまた一つ、瓦礫の山を見つけ、転ばぬように注意してよじ登った。パラパラと白いかけらが落ちる。
そっとそっと足と手を運んで、ようやく山のてっぺんにたどり着いたカジベエは、その向こうにあるはずの隷の建物を捜して首を巡らせた。
「おんやまぁ……一体、何が起きたってぇだ?」
彼の視界には、在るべきはずの建物がまたも映されることはなかった。しかも、今度は建物の残骸すら見あたらない。
「こりゃ、まるで竜巻か何かに、みんな巻き上げられちまったんだがや?」
しばらくは、茫然と視線を移していたカジベエだったが、突然その動きが止まる。
「あッ! アガシャー様ぁッ!」
まるで取り残されたかのように、カジベエが捜し求めた老人は乾いた大地の上に横たわっていた。
大急ぎで、瓦礫の山を滑り降りるカジベエ。
男はあちこちにつぶてをばら撒きながら、アガシャーの側にしゃがみこんだ。
「おい……生きてるだがや、アガシャー様や? おい、な?」
声をかけてみるものの、ピクリとも動かぬアガシャーの様子に、カジベエはおそるおそる左手首を持ち上げ脈を見る。
とくん……とくん……。
老人の命のリズムは、実に規則正しく刻まれ続けていた。
カジベエは、はぁーっと一気に全身の力を抜く。
「よかったあー、生きてるだよ。……他に、ケガとかはねぇだかなぁ?」
カジベエはホッと一息ついてから、アガシャーの全身を丁寧に確認した。
「細かい傷や打撲は相当あるけんども、どーも命に関わりそうな怪我はなさそうだなもし。やれやれ」
カジベエはアガシャーを揺すり出す。
「ホレ、アガシャー様、起きてけろ。起きてけろってばさよ!」
カジベエが四、五回大きく揺すると、アガシャーはようやく目を覚ました。その目が、ぼんやりとカジベエを捉える。
「カ……ジベ……エ」
「アガシャー様! オラが分かるきゃ? 聞こえるきゃ?」
耳元で大きくはっきりと呼びかけるカジベエの声に、アガシャーは苦笑を浮かべた。
「聞こえておるよ……カジベエ。……だから、もう少し小さな声で喋ってはくれまいか? 鼓膜が破れてしまいそうだよ」
「おお、こりゃ悪かっただぎゃ」
カジベエはポンッと手を打ち、慌てて身体を引く。
その動きに合わせて、アガシャーも身体を起こした。カジベエはアガシャーの身体を支えながら、問いかける。
「でも、よかっただよ、アガシャー様が無事で。で、一体何があっただよ、旦那様?」
「光と魔の戦いだ、カジベエ……。この大陸を左右する戦いを、私は見たのだ。この目ではっきりとな。少年を扉として力を解放・封印していた古の魔王は、風の少女の『解放句』によって扉としての役割から少年を解き放された上に、再び母なる大地へと封印されたのだよ。……ん? 旦那様?」
目の片隅で見たモノを語りつつ、カジベエの発した違和感ある単語に耳を止めるアガシャー。
カジベエは、ニッと笑った。
「約束しただぎゃ? 生きて帰ってきたら、オラをお側においてくれるってよ。でも、追われる身のアガシャー様をいっつもアガシャー様って呼ぶのは都合が悪い時もきっとあるだがや。だから、オラ、旦那様って呼ぶことにしたんだぎゃ」
アガシャーは目をパチクリさせる。だが、その顔はじきに柔らかな笑顔に変わった。
「……旦那様というわりには、おぬし、さっそく私の言いつけを破っておるな? ……夜明けになっても私が戻らねば、一人で聖地へ行くように言ったはずだが?」
「そうだったがや?」
何にも知りません、という感じであらぬ方を向くカジベエ。だが、その視線はすぐにアガシャーに向き直る。
「オラ、旦那様のいいつけを守って、途中まではちゃんとおとなしく岩場に隠れてただよ。……んだども、突然、農場がどかーんってすげぇ音さして、ふっ飛んじまったじゃねぇだか。沢山の瓦礫は飛んでくるし、オラすっげぇおったまげただなもし。……それから、しばらくは頭抱えて岩場で縮こまってただ」
カジベエは、頭を抱えて背を丸めてみせた。
「気がつけば、いつのまにか周りはまた静かになっとる。オラ、そっと顔を上げてみただよ……そうしたら、聖地へ行く道は瓦礫で埋まっとるじゃにゃーか。しかたなく、反対側に歩いてきたら、旦那様に出会ったっちゅうわけだなもし。だからオラ、なーんも言いつけは破っちゃおらんだぎゃ」
すっとぼけてそう言い切るカジベエに、アガシャーは一瞬目を丸くする。が、次の瞬間には、アガシャーは顔を和らげ、笑い出した。
「ぷっ……ははははは。そうか……それは確かに、私が一本取られた。それならば、確かにおぬしは約束を違えておらぬな」
「だぎゃ?」
カジベエはニパッと笑う。アガシャーは、カジベエの手を両手で包みこんだ。
「……では、カジベエ。約束だ。お前には今後、私の供をしてもらう。よろしく頼むぞ」
改まった老人の物言いに、カジベエも自然と姿勢を正す。
「もったいねぇお言葉だ。オラ、精一杯頑張るんだなもし」
二人は手を固く握りあった。
やがて、アガシャーがその場に立ち上がる。
「では、カジベエ。早速だが、私の手伝いをしてくれるか?」
「何をすればいいだがや?」
アガシャーは凛とした表情で周りを見回した。
「怪我人を手当てする。できるかぎり、多くの人を助けたい。水と薬と包帯を、できるかぎり探してきてくれ」
カジベエの顔がぱあっと明るくなる。
「わかっただぎゃ! 任してちょーっ!」
小太りの中年男は嬉しそうに駆け出した。アガシャーは早速、手近な怪我人から手当てを始める。
応急処置をしながら、アガシャーはぺたぺた走っていくカジベエにもう一言叫んだ。
「そうだ、カジベエ。アーサを、蒼い髪の少女を見つけたら、すぐに私を呼んでくれ。たぶん、水色の髪の少年と一緒のはずだ」
「アーサ様だな。わかっただぎゃ」
カジベエは大きく叫び返した。
――カジベエが、アーサを見つけたとアガシャーを呼びに来たのは、それから間もなくのことである。
* * *
ティスは、ゆっくりと目を開けた。徐々に目に入ってくる光の中に、穏やかなものを感じて少年は微笑む。
「テッちゃん……」
「アーサ……ありがとな」
はっきりと視界を取り戻したティスは、自分をのぞきこむ蒼い髪の少女の名を愛しそうに呼んだ。
まだ回復しきってはいないものの、もう一度少年が浮かべた笑みは、あの白い歯をニッと出した元気な笑顔になっている。アーサは、安心したように肩から力を抜いた。思わず、涙がこぼれる。
「よかった。……アガシャー様も無事よ」
人指し指で涙を拭いながら、アーサは後ろをちらりと見た。その視線の先には、傷を負った人々を介抱する少年の師と、彼を手助けする中年の小男の姿が見える。
ティスは、ゆっくり身体を起こした。
「ガーディスは、もう一度、大陸に封じられたんだな」
荒れ果てた農場を見回して少年はほっと息をつく。だが、アーサはティスとは逆に険しい顔つきになった。
「……ううん、元に戻しただけ。元々、シェラが自分の力にするために引き出しただけだったんだもの。無理があったのよ。でも、そんなに遠くない未来に、ガーディスは、今度こそ本当に復活する……」
アーサは、不吉な言葉を口にしてうつむく。
ティスは一旦少女を見たものの、勢いをつけて立ち上がった。蒼の少女は、少年を見上げる。
「なぁ、アーサ。……俺は、運命なんて信じなかった。無論、今だって信じちゃいねぇ。……でも、ガーディスに身体を乗っ取られた時は、もうダメだって正直思った。これが、俺の運命なんだ……って」
アーサは黙ったままティスを見つめていた。
「でも、違ったよ。俺は今、こうして俺でいる。こうしてまだ、人間として生きている。もう、魔は俺に降りる道筋をアーサの解放句で永久に失った。そして、俺ははっきり分かったんだ。運命なんてないんだって。諦めない限り、決して人間は負けやしないって。それを教えてくれたのは……アーサ、お前だよ」
アーサはティスの隣に静かに立つ。少女は少年の瞳をまっすぐに見た。風に、蒼い髪がなびいて揺れる。
「違うよ、あたしだけの力じゃない。テッちゃんを護りたいと想ったから……想い続けたから、風が……同じ想いを抱いて生きた父さまや母さまが力を貸してくれたのよ。だから、あたしも諦めなかった」
「あの声……お前の父ちゃんだったのか?」
ティスは目を丸くした。アーサは頷く。
少年は空を仰いで、風に身を委ねた。
「そっか……。みんな、大事な誰かを護るために生きているのかもな」
風が優しく、二人の間を吹き抜ける。
周りでは、荒れ果てた大地から生き残った人々が立ち上がり、後片付けを始めていた。
「この農場は、もう使い物にならないだろうな」
周りを見ながら、ティスは呟く。
「でも……ガーディスはまた復活する、か……」
「そうだ、テッちゃん。アガシャー様がね、また一緒に旅に出ようって。あたしと同じような子たちのたくさんいるところへ連れてってくれるんだって。テッちゃんもまた友達が増えるって言ってたよ」
ふと思い出したように、アーサはティスの右手をにこやかに取った。だが、少年はすぐに返事をしない。顎に左手を当てて押し黙ったままだ。
「……テッちゃん?」
しばらくの沈黙のあと、ティスはアーサに向き直って改めて彼女の目を見た。
「……アーサ。俺、一緒にはいけない……」
「どうして?」
打てば響く太鼓のように、アーサが尋ねる。ティスは、悲しげな光を赤い瞳に宿しながら少女に答えた。
「師匠は言ってたよ。アーサは伝説の戦士の生まれ変わりなんだって。だったら、俺がガーディスに出会ったように、きっと、アーサも魔と再びまみえなきゃならない時がきっとくるはずだ……。それは、あのガーディスかもしれない」
アーサは黙ってティスを見上げている。
「俺はお前に運命を切り拓いてもらったから、今もこうしていることができる。でも、ガーディスはまた復活する。そう、お前は言った。もし、完全なヤツが出てきたら、今度はこんなもんじゃ済まないだろう」
周りの惨状を差しながら、ティスは渋い顔をした。アーサもその言葉に頷く。
「だから、次は俺、お前の力になりたいんだ。結局、今回も俺だけじゃどうにもならなかった。でも、俺には俺と同じ獣人の仲間が、この六年の間にたくさんできた。獣人はヤツら魔の器になる代わりに、ヤツらに対抗し得るだけの力も持ってる。だったら、俺たち獣人がみんなで力を合わせれば、きっと大きな力になれるはずじゃないか」
ティスは、拳を握り締めてじっと見つめた。同時に、アーサの手を強く握り締める。
「今回は俺一人じゃダメだったけど、今度ガーディスたちが出てきた時には、きっと仲間たちと力を合わせて、お前とお前の仲間の力になってみせるッ! 今度こそ、お前を俺の力で護るんだっ! その為には、ヤツらが出てくるまでにみんなの魔の呪縛を解いておかなきゃならない。……だから、俺はお前とは一緒にいけない」
アーサは一瞬泣きそうな顔をしたが、ティスの哀しげながらも真剣な瞳に大きく首を縦に振った。
「……分かった。じゃあ、あたしももう一度テッちゃんに出会うまで、絶対に魔になんか負けないわ。だから……約束よ、テッちゃん」
「ああ、約束だ。必ず仲間と一緒にお前の所に戻ってくる」
二人はギュッと手を握り合う。
やがて、その手はティスの方から離された。そのまま、少年はアーサに背を向けて歩き始める。
「テッちゃん……」
ティスは軽く手をあげ、二、三度振った。
そして、未練を断ち切るかのようにくるりと向きを変えて、そこから走り去る。
「……やはり、行ってしまうのか」
うつむいたアーサの背後には、いつのまにかアガシャーが立っていた。
「ティスが獣人なのはもう分かっているだろうが……私はまだ、お前に言っていなかったことがある。ティスは、ガーディスの器にするために殺された、お前の父上……リュセ殿の細胞から生み出された複製体だったのだよ」
「……テッちゃんが……父様の……。そっか、やっぱり……。さっき、父様に会った時、似てるって思ったの間違ってなかったのね」
アーサはアガシャーの言葉に、あまり驚いた様子を見せなかった。少女はポツリと呟く。
「……ってことは……テッちゃんも、あたしの聞いてた風の声、聞こえてたのかな?」
「たぶん、な」
そう答えて、ふと、アガシャーは顔を上げる。
何かを思いついたらしい彼は、アーサの肩に手をおき、優しくささやいた。
「アーサ。お前ならできる再会の誓いを、見せてやってはどうだね?」
少女は、はっとなって顔をあげた。アガシャーの言葉を理解したのだろう。いつのまにか浮かんでいた涙が途切れる。
「はいッ!」
蒼の少女は、軽やかに指を宙に滑らせた。指に惹かれるように風が生まれ、光を繰る。
「テッちゃぁーーーんッ!!」
燦めく風が、アーサの伸ばした腕からティスへと流れて軽やかに踊った。
足を止め、寂しげに振り向いたティスの顔がぱぁっと明るくなる。ティスが踊る風にその手で触れると、光の粒子が弾けてたくさん輝いた。
ティスは、もう一度振り向いて大きく手を振る。
「アぁーサぁぁーッ! 俺、この輝く風のこと、きっと忘れないっ! 再会したら、もう一度見せてくれよおぉッ!!」
「うんーッ! 約束する~ッ! 再会したら絶対、もう一度あたしの風紡ぎを見せてあげるよぉ。だから絶対絶対、もう一度会おうねぇ~ッ!!」
アーサの振る手に合わせて、風が楽しげに踊った。
流れる風の中に、アーサの想いをいっぱい感じて、ティスは幸せそうに両手を大きく広げ、風を全身に受けとめる。
この風を、いつか平和な時に受けてみたいと、心から願いながら……。