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五.紅い瞳の悪魔

 涙ぐむアーサがおそるおそる目蓋を開けると、そこにはシェラの白銀の剣が落ちていた。

 母に目を移すと、まだルイザは苦しげだが息をしている。

「おのれッ、今度は何だッ!?」

 いらただしそうに右手をさすりながら、シェラは辺りを見回した。側には赤い血のついた小石が落ちている。同じ様な小石が、再びシェラ目がけて投じられた。

 軽く避けて、シェラは石の飛んできた森の奥を睨む。

「アーサに、手を出すなッ!」

 木々をかき分けるようにして現れたのは、淡い水色の髪の少年だった。アーサの顔が思わずほころぶ。

「テッちゃん……」

「アーサ、大丈夫か?」

 傷だらけの少女の姿に驚き、ティスは慌てて駆け寄った。

 優しく抱き起こしてやるものの、彼女はかなり重傷らしく、うめき声を上げる。

 ティスは、自分を睨み下ろす女を見上げた。

「てめー、よくもアーサに怪我させやがったなーッ! 絶対許さねぇぞッ!」

 その瞳に、またも強い怒りの輝きが宿る。

「小僧……それは、私のセリフだ。貴様こそ、覚悟はいいのだろうな?」

 強気なティスに、シェラははっきりと憎しみを向けた。

 その時、少年を睨みつけるシェラへ、どこからともなく低い女のような声が響いてくる。

『……待て、シェラ……』

「り……竜騎将さまッ!?」

『その小僧と娘を殺すな……使い道がある』

 突然の上司の声に、シェラは思わず抗議の声を上げた。

 急にあらぬ方向に向けて会話を始めたシェラの姿に、ティスは「チャンス!」とばかりに、アーサとルイザを引きずり、そっとその場を離れようとする。

 シェラは、彼らを無視して会話を続けた。

「娘はともかく、こんな小僧に使い道なぞ……」

『落ち着いて、その小僧をよぉく見てみよ、シェラ。その小僧の身体は造り物……獣と人の匂いがプンプンしておろう?』

 含み笑いの混ざった将の声に、シェラは改めてティスを見つめた。時々、かすかに光を放つ淡い水色の髪。少年にしては、あまりにきめ細やかな表皮。そして、特徴のある真っ赤な、宝石のような瞳。

 シェラは、はっとした。

「あやつとよく似たモノを、都の兵器研究所で見た覚えがある。人工の羊水槽の中で眠っていたその姿は、三つ目の獣。……もしや、ヤツは!」

 騎士に同意するように、将の声は含み笑いを響かせる。

『娘は捕らえよ。小僧は、悪夢に引きずりこみさえすればよい……』

「……承知」

 女は恭しく頭を下げると、口元をつり上げた。

 シェラが振り返ると、少女と母を連れた少年は、森に入る所であった。女は風を繰ると、少年に向けて撃ち出した。

「うわッッ!!」

 アーサたちを引きずっていたティスは、風を避け切れずにまともに吹き飛ばされ、大木に叩きつけられる。

「テッちゃんッッ!」

 アーサが悲鳴にも似た声で少年の名を呼んだ。

 ティスは、それでもすんでのところで受け身を取ったらしく、多少痛そうな顔はしたがすぐに立ち上がる。

「~ッてぇ~ッ! このやろ、何てことしやがる! 怪我したらどーしてくれるんだ、オバハンッ!?」

 ふてぶてしい物言いで、もう一度シェラを挑発しようとするティス。だが今度は、シェラは不気味に笑うだけである。

「くくくッ……。何を言っても無駄だよ、坊主」

「――ッッ!」

 女の、ブンッと大きく振った手が黒い風を呼び、ティスを大地に打ちつけた。

 あまりの圧力に、少年は声を出すこともできない。

 少女は死の恐怖に大きく震えた。

「やめてぇぇッ!」

 そんなアーサの元にシェラはしゃがみこみ、彼女の顎をくいっと持ち上げた。女の顔は邪悪な笑みに満ちている。

 アーサは、涙をいっぱいにした瞳でシェラを睨み上げた。

「娘……私が恐ろしいか? 私が憎いか? くくく……そうだ、憎め! 恐れよ!」

「……い……けま……せん、アーサ……。憎……しみや恐……れ……は、彼女……の力に……なるだ……け」

「黙れッ!」

 カッと目を見開くと、シェラはルイザの左肩を踏みつけた。

 迸る激痛に、ルイザが悲鳴を上げる。

「母さまッ」

「……母を助けたいか?」

 突然、シェラの声が穏やかになった。邪悪な光を帯びた目が、アーサの心を捉える。シェラは続けてささやいた。

「できるかもしれぬぞ……。あの小僧ならば、な」

「テッちゃんなら……?」

「そうだ。あの小僧の……真の力を引き出せば……私では勝てぬな。そうすれば、皆、助かる……」

 悪魔のささやきが、アーサの理性を吹き飛ばそうとする。

「どうやるの?」

「なに、簡単なことさ。あやつの本当の名を、開封の言葉に続けて呼べばいいのさ」

「本当の……名前?」

 シェラのその言葉に、ティスは目を見開いた。はっきりとは知らない。だが、本当の名前を呼ばれることが、少年はひどく恐ろしかった。

「やめろ、アーサッ!」

 だが、すでに魔に魅入られたように茫然としたアーサの耳には、ティスの恐怖におののく声も届かない。シェラの赤い唇が滑らかに、妖しく蠢いた。

「風を継ぐお前ならわかるはずだ……。さあ、耳を澄ませてごらん……」

 虚ろなアーサは、言われるままに風を紡ぐ。

 少年はもう一度声を上げた。

「アーサッ、やめろ! さっきも言ったじゃねーか、俺のことテッちゃんって呼ばなきゃ友達なんかやめちまうぞッ!! 聞いてんのかよ、アーサ!!」

 泣き出しそうなティスを遠巻きに見ながら、アーサは手を止める。その虚ろな蒼い瞳が少年の心を貫いた。

 ティスは息を呑む。

 少女の唇が、運命の言葉を紡いだ。

「ナドル・ティエ・ヘス(魔の気に繋がれし者……真の名を持ちて、その魔姿を解き放て)」

 黒い風がティスを取り巻いていく。それに合わせるように、少年の中で底知れぬ暗黒の穴が口を開き、そこから急速に膨れ出した黒い闇がティスの意識を押し潰し始めた。

『やめろー、やめてくれーっ!』

 ティスは必死で闇に抵抗する。その魂が、一瞬、闇を打ち砕こうと巨大な龍のような姿に変化した。が、その魂の抵抗さえも、闇の触手が鎖のように絡みついて封じてしまう。

 アーサは操られていた。だが、今のティスはそれを知らない。裏切られた……そんな負の想いが、彼の魂の力を落とし、闇の力を強めていくのだ。

 アーサは、最後の声を張り上げた。

「……『ティス・カ・ポリトカ』ッ!!」

「アーサーーーッッッ!!」

 涙まじりの少年の叫びが、獣の咆哮に変わる。

 額に開かれた第三の目が真っ赤に燃えた。

 その途端、シェラは竜を駆り宙へ舞う。同時に、アーサの目に正気が戻った。

「あたし……何を……」

 朦朧としながらも、少年を見たアーサは目を見開く。

 素直な少年は、見る間にその姿をヒトから豹へと変化させていった。淡い水色の体毛を全身から生やし、口の端に鋭い牙を伸ばしていく。宝石のような真っ赤な瞳から、涙がこぼれた。

「テッちゃん……あたし、あたし――ッ!!」

 少女は、あまりの出来事に言葉を失う。

 アーサは溢れる涙を拭くこともせず、口に手をあてて嗚咽を堪えるので精一杯だった。

 シェラは目を細めると、面白そうに再び黒い風を繰る。風がティスを取り巻いた。

 水色の豹の目が血の色に染まる。

「さあ、三眼獣人よ! その女を喰い殺せッ!!」

 シェラに操られているのか、それとも獣に変わったことで理性が無くなったのか。ティスは女の言うがままに、真っ赤な三つの目を光らせて横たわるルイザに近寄っていった。

 その歩調は、まさしく狩りをする肉食獣のもの。

 アーサの顔色がさらに青くなった。

「やめて……テッちゃん……」

「グルルルル……」

「やめて……」

 アーサの嘆願を無視して、彼の口が真っ赤に開かれる。

「テッちゃんッッッ!!」

 少女の涙声が響く。だが、さっきのアーサ同様、ティスの口が何事も為さずに閉じることはなかった。

「――ッッッ!!」

 声にならぬルイザの悲鳴と、真っ赤な血しぶき。そして、喰いちぎられた肉片が辺り一面に舞う。

 見開かれた母の目が生気を失い、身体を大きく震わせ、そして動かなくなっていく様を、アーサはただ黙って見ていることしかできなかった。

 蒼い髪の少女の表情が、人形のように凝り固まる。

 流れ出た大量の血が、アーサの足を真っ赤に染めた。


               *     *     *


 実際の時間は、おそらく微睡む程度でしかなかっただろう。だが、少女と少年にとって、その僅かな時間は永遠よりも長かった。アーサは息絶えた母の傍らに、その血にまみれて茫然と座りこんだままである。

「う……うわあぁぁぁぁぁぁーッッッ!!」

 人に戻ったティスは、自分の口にベットリとついたルイザの血に泣き叫んだ。

「アーサの馬鹿ヤロー! 何で何で、テッちゃん以外の呼び方したんだよぉッ! 何で、俺を裏切ったんだよおぉぉーッ!!」

「あ……ああぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁーッッッッ!!」

 錯乱したティスの叫びが、アーサの心にとどめを刺す。

 少年は少女を責めると、泣きながら一度も振り向くことなく森の奥へと走り去った。

「テッ……ちゃ……ん」

 だが、少女の動きはそこで途切れる。走り去る少年を引き留めることも、手を伸ばすこともできなかった。

「くくくくっ……あーはっはっはっはっ! まさか、こうもうまくいくとはな」

 高笑いしつつ、シェラは竜を地上に下ろして、アーサの蒼い髪をむんずと掴み上げる。

 そこへ、血にまみれたベネクスの団員達が集まってきた。

 シェラは、満足そうに団員たちを見回す。

「どうやら、『狩り』は終わったようだな」

「はッ! ……師団長、その娘は?」

「ギル・トメルアの最後の一人だ。竜騎将さまのご命令でな。……おそらく、叛徒どもへの見せしめにでもなさるのだろうて。このまま引きずって都に連れ帰る」

「し、しかし、風読みの民ということはいつ逃げられるか……」

 シェラの言葉に、団員が驚いて声を上げた。だがシェラはアーサの髪を引っ張って顔を上げさせ、ニヤリと笑う。

「案ずるな。この娘は壊れている。……この通り、傷をつけても、な」

 女の言葉通り、少女は剣で足に傷を付けられても何の反応も示さなかった。

「引き上げるぞッ!」

「ははッ!!」

 シェラの号令と共に、三十五騎からなるベネクス騎竜戦団第二師団精鋭は、空へと舞い上がる。

 黒い悪魔の軍団は、朝焼け空をしばらく旋回した後、陽を右手にして飛びさっていった。

後に残ったのは、めちゃくちゃに荒されたエル・ファティアの森と無残な焼け跡。

 そして、飛び散った多量の血と骸だけであった……。

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