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四.風の目覚め

 それは、まさしく地獄絵図だった。

 悪魔のように黒い竜は、その首を上げる度に数多の人の足や腕をくわえていた。

 引きちぎられた人体から撒き散らされる鮮血が、竜の、黒くて艶のある皮膚に彩りを与え、その色彩に刺激された別の竜がまた新たに人を襲い、鈍く光る銀の牙が人の脆弱な身体を喰いちぎっていく。

 無論、人々もただ喰われているわけではなかった。

 何とか、反撃しようとする者。

 時折、死んだ振りをしながら逃げる者。

 もしも、相手がハノーティン竜だけならば、彼らの行動は、あるいは報われたかもしれない。

 しかし、そのどれもが、竜に跨る騎士によってかすかな希望を奪われていった。

 騎士の剣は反撃の手を切り落とし、逃げる足を刺し貫く。

 苦痛と絶望に怯えた瞳が再び竜上の騎士を見上げると、そこにあるのは皆、黒竜の血に塗れた真っ赤な口だった。

 そしてまた、一つの生命が灯を落とす……。


 むせかえるような血の匂いと、次々に増えていく死体の山の中を、アガシャーとティスは必死に駆け抜けていた。

 アガシャーの小脇に抱えられたアーサは、目の前の光景があまりに現実離れしていることに衝撃を受けたのか、瞬きすることさえ忘れている。

「師匠、こっちだ!」

 ティスは襲撃者の隙間を見い出し、アーサを抱えたアガシャーを誘導した。

「あいかわらず勘がいいな、ティス」

「そういうのは、また生き残ってから言ってくれよ。……それに、師匠だって相変わらず『まやかし』かけてるだろ?」

 アガシャーの言葉に、少年はニヤリと笑って見せる。彼の視線の先には、アガシャーが持つ錫杖が輝いていた。

 アガシャーは意識を集中し続けているらしく、視線をずらさぬままに口を開く。

「今の私には、これが精一杯だよ。……悔しいが」

 三人は闇から闇へと走り抜け、騎士達の目をかいくぐった。

 時折、人を喰い終わったハノーティン竜が、首をもたげて次の獲物を探している姿が少年の目の端に映る。

 だが、ティスが一睨みすると、何故か彼らは何も見なかったかのように首を反らしてしまった。

 そうして、一刻ほど全力疾走した時……。

 突然、アガシャーが足を止めた。

「あれは、ルイザ殿!」

 視界ぎりぎりのところで見つけた鮮やかな蒼い長髪の女性の姿に、白衣の老人は緊迫した声でその名を呼んだ。

 母の名前に反応した少女の瞳に光が戻る。

「……母さま!?」

「アーサ! 無事だったのね……きゃあッ!!」

 娘の声に気を取られたルイザが、背後からの竜尾の攻撃を避け損ねて尻もちをついた。

「いかん!」

 とっさに、アガシャーは印を組む。水平に構えた錫杖と伸ばした右手の人指し指と中指の先に朱い光が灯った。

「炎よッ!」

 アガシャーの叫びに合わせて燃え上がった紅蓮の炎が、ルイザを襲おうとしていた竜を一瞬のうちに包みこむ。竜は、ギシャアァッと耳障りな悲鳴を上げると、あっという間に燃え尽きた。

 皆、安堵の息をつく。だが、アガシャーは力尽きたかのようにがっくりとその場に膝を折った。

「師匠!」

「……大丈夫だ」

 アガシャーは肩で大きく息をしながら、駆け寄ってきたティスとルイザに向かって手を上げる。

「なんてムチャなことをなさるんですか、アガシャー様! あなた様は、魔の封印を解かせぬために、常に大陸全体に結界を張って膨大な『力』を使い続けてらっしゃるというのにッ! ……こんな、攻撃の力を使ったらお身体がッ!!」

 駆け寄ったルイザの手から、優しく暖かい光が溢れる。

 その光の輪舞に合わせて、アガシャーの苦しげだった顔が和らいでいった。

「……ありがとう、ルイザ殿。もう大丈夫……ッ!?」

「どうした、師匠……うわッ!?」

 肩から力を抜いて顔をあげたアガシャーの顔がこわばる。

 何事かと振り向いたティスとルイザの目の前に、いつの間に忍び寄っていたのか、さっきとは別の竜が巨大な口を開けて迫っていた。

 茫然と佇むアーサの目に、どす黒い竜に今にも喰われそうな母の姿が映る。

「いやぁぁぁぁぁぁぁーッ!」

 蒼い瞳が大きく輝いた。

 ゴウゥッッ――!!

 突如、激しい風が少女の周りに渦を巻く。次の瞬間、母を喰らおうとしていた黒竜は、紙吹雪ほどの大きさにまで切り刻まれていた。

「風の怒り……かまいたち……そんな、まさか」

 ルイザが、突然の風の救いに茫然と呟く。ティスが怪訝な顔で尋ねた。

「まさかって何が? おばさんだって、できるんだろ?」

 少年の問いに、ルイザは小さく頷く。

「ええ……たぶん。でも……こんなに強力なモノじゃないわ。元々、自然を繰るには何であれ、莫大な精神力が必要なの。私たちトメルアは風に護られ、風と共に生きる一族だから、比較的簡単に風繰りを行えるわ……でもね」

 信じられない、といったルイザの目が揺れていた。

「『かまいたち』のような強力な攻撃のような風繰りには、自然の流れではない故の大変な精神力が必要なのよ。だから、私は『かまいたち』を行ったことは一度もないの。とても身体が耐えられはしないから……。それを……アーサは、……あの娘はやってのけた……」

 彼女がハッと振り返ると、アガシャーの腕の中に倒れこむ娘の姿がその目に飛びこんできた。

「アーサッ!!」

 ルイザは、慌てて娘の元へと駆け寄る。脈を確認していたアガシャーが「大丈夫」と表情を和らげた。

「この子が、これほど無茶な風繰りをするなんて……。でも、無事でよかった」

 無茶な力の行使は、そのまま死に繋がる。ルイザは、気を失った娘の頭を優しく優しく撫でてやった。

「おばさん、この辺もそろそろヤバイぜ。血の匂いが濃くなってきた」

 疲れの見えるルイザの肩に手を置きながら、ティスは髪を逆立てる。少年は周りを見回しながら、素早く退路を選択していた。

「師匠。奴ら、ゴウルに近い森には入ってこないみたいだぜ。逃げるならあっちだ!」

 少年が指さしたのは、ゴウル山脈に向かう樹海である。

「……確かに、聖地の入口であるこの樹海ならば、魔の手を逃れられるかもしれないな。……しかし……どのくらいかかるかわからないぞ」

「ッんなこと言ってる場合じゃないだろ!? ここでこのまま殺されてもいいってのかよッ? 俺は嫌だぜ、こんなとこで死ぬのッ!! 第一、気絶してるアーサをこのまんま死なせるなんて、そのほうがよっぽど理不尽じゃねーかッ!!」

 ティスの紅い目が、アガシャーをじっと見据える。

 アガシャーの腕の中で、苦しげに目を閉じたままのアーサを見つめ、ルイザは静かにもう一度娘の頭を撫でた。

「……そうね。この子は、生きなくてはならない。まだ、自分で自分の運命を見つめられるほど育ってはいないけれど、それでも今、ここで生命を終えるにはあまりに不憫だわ」

「そうと決まれば、行こうぜ!」

「ええ」

 心を決め、アーサを抱えた三人は立ち上がる。

 その時だった。

「……そう、都合良くはいかないわよ。従姉さん……」

 氷のような声に振り向いた三人の目に、純白の鎧を纏った蒼い髪の女の姿が映る。その女は、漆黒の竜に跨り、ルイザを冷やかに見下ろしていた。

「……まさか……シェラ!?」

「そのまさかよ。捜したわ……反逆者を殺さないと、私、いつまでたっても都に帰れないんだから」

 くすッと笑みを浮かべたシェラの口元に、小さな牙が光る。

 目ざとくそれを見つけたルイザが愕然とした。

「シェラ……あなた……魔に喰われたのね」

 途端、白い師団長の身体がどす黒い魔気に包まれていく。

『ギル・トメルア族長、ルイズェリア・アル・デ・ロギッシュ。魔に仇なす者よ! その生命、ここで我らが消してくれる!』

 ガサガサの低い声が、シェラの少し高めの声と重なって不気味に響いた。

 風が止む――。


               *     *     *


「ねぇ、従姉さま。見て見てーッ!」

 花畑の向こうから駆けてくる小さな従妹の姿に、十二才になったばかりのルイザは笑みを浮かべた。

「どうしたの、シェラ?」

「ほら、テスラ蝶捕まえたの!」

 シェラがそっと合わせた手を開くと、中から小さなピンク色の蝶がひらひらと舞い上がっていく。

 天高く昇っていく蝶を眺め、ルイザとシェラは手を繋いだ。

 にこやかな二人の子供の蒼い髪が、真っ青な夏の空とあいまって清々しい。

「従姉さま。私たち、ずっと仲良しよね?」

「もちろんよ、シェラ」

 もちろんよ。……それが、ルイザの願いでもあったことは、今のシェラ・リグテラムドには判るはずもなかった。


               *     *     *


 黒い気を纏ったシェラは、邪悪な笑みを浮かべつつ、ルイザの回想になどまるで思い至らないという様子で剣を握る。

「……アガシャー様」

 ルイザはシェラと向き合ったまま、娘を抱えた白衣の老人に語りかけた。

「アーサを……娘を、トメルア第一族のディード様の元へ連れて行ってやってくださいまし」

「貴方はどうされるおつもりか、ルイザ殿!?」

「そうだよ、アーサを一人にする気かよッ!!」

 ルイザが命をかけて戦おうとしていることに気づいた少年が、ものすごい剣幕で怒りの声を上げる。

「ティス……。私は、決してアーサを一人にするつもりはないわ。でもね、シェラは……目の前の師団長の女性はね、私の大好きだった従妹なのよ。今は魔に支配されているけれど……私の、たった一人の従妹なの」

「従妹だって何だって、魔に喰われてるんだろッ? そうなら助かるはずねぇじゃねえか。魔に喰われて助かった奴は誰もいないんだろ? むざむざ殺されるようなもんだッ!!」

 かみつきそうな勢いでルイザにつっかかるティスに、それでも彼女は諭すような口調で語りかけた。

「そうね。そうかもしれない……。でもね、ティス。もし、あなたの兄弟が同じ目にあったとしたら、あなたは平気でいられるかしら。放って逃げるなんてこと、できる? 同じ、戦わねばならない運命なら、私はこの手で決着をつけたい」

「負ける気はねぇんだな?」

「もちろんよ。娘を一人になんてできないわ」

 きっぱりと言い切ったルイザの迷いのない顔に、ティスはやれやれと手を上げる。

「わかったよ。じゃ、ここはおばさんの言うとおり、俺達は先に行く。で、ディードのオヤヂんとこで落ち合う。それでいいんだな?」

「ええ。だから、それまでアーサをお願い……」

 少年の手をぎゅっと握り締め、娘を託すと、ルイザはもう一度だけアーサの髪を撫でた。

「アルメサス……私の可愛い娘……。どうか、無事にディード様のもとへ……」

「……ルイザ殿……どうしても一緒には行かれぬおつもりか? 従妹殿との戦いを運命だというなら、これはどう見ても分の悪い運命だ。運命とは、決まっているものではない。自らが切り開くもの。この子のためにも……運命を切り開こうとは思われぬか?」

 アガシャーの哀しげな問いに、ルイザは首を振る。

「アガシャー様。貴方様がこの国の希望を捜し続けられているように、私も風を継ぐ者として、風を魔に制させるわけにはいかないのです。……さ、行ってください」

 ルイザは、剣をその手の中で弄んでいるシェラに向かって真っ直ぐに立ちはだかった。シェラはニヤリと微笑む。

「ようやく、やる気になったみたいね、従姉さま。……行くわよッ!」

 シェラの右手がくんッと弧を描き、白い風の刃が弾き出された。ルイザの蒼い髪が逆巻き、伸ばした両の手から蒼い風が刃を砕く。

 アガシャーは意を決したらしく、アーサを抱きかかえたまま樹海に向けて走り出した。ティスも併せて跳躍する。

 少年は、白い師団長の追い打ちを警戒してちらりと振り返った。だが、幸か不幸か、シェラの興味は今のところルイザにしかないらしい。

 少女を抱えた二人は、じきに樹海に消える。ルイザは、その光景を目の端で捉らえると満足そうに微笑んだ。

「これでもう、思い残すことはない……。さあ、始めましょうか、シェラ」

 シェラを見据えたルイザの周りを、ふわりッと七色の風が取り巻いた。

 シェラは、とことん面白くなさそうな顔でルイザを睨む。

「ふん、仲間を逃がすために身体を張ったつもり? ……その偽善者みたいな態度が気に入らないのよッ! もう顔も見たくないわッ、消えてしまいなさいッ!!」

「消えるわけには、いかないッッ!!」

 二人の女の手が空を切り、風がぶつかりあった。


               *     *     *


 どのくらい走っただろうか。

 アガシャーは、ぜいぜいと荒く息を吐きながら今来た方角を振り返る。

「……とりあえず……魔の追っ手からは逃れたか」

 深緑のひしめき合う樹海の奥で、自分達以外の動く気配が無いことを何度も確認してから、老人は腰を落とした。

 その隣に、一緒に全力疾走してきたとは思えぬほど元気なティスが、膝をついてアーサの顔をのぞきこむ。

「師匠。アーサは大丈夫なのか? 全然起きないけど……」

 少女は、相変わらず気を失ったままだった。アガシャーは水筒を取り出すと、布を湿らせてアーサの額を拭いてやる。

「大丈夫だ。この子は、生まれて初めて無茶な『力』を使ったことで、一時的に多大な精神疲労状態に陥っているだけなのだよ、ティス……。力は、必ず生命と表裏一体になっているのだ。無茶な使い方をすれば、命が削られる……」

「生命こそ力……ってことかな?」

「そう言っても、過言ではあるまいな」

「……じゃあ……この、激しく渦巻く風の気配は、母さまの生命を削ってるってことなのッ!?」

「アーサ、目が醒めたのか!」

 唐突に聞こえてきたか細い声に、ティスは喜んで少女に手を貸して身体を起こしてやった。まだ疲れの癒えぬらしい身体を軋ませながら、アーサは唇を震わせる。

「さっき、あんなちょっと風を起こしただけで、あたしは倒れたのに……母さまの今、使ってる風は……ッ!!」

 少女の視線は宙を漂い、その身体は恐怖でガタガタ震えていた。ティスは、アーサをしっかり抱き締める。

「しっかりしろよ、アーサッ! おばさんなら大丈夫だよ、後からちゃんと来るよ」

「でも、でもテッちゃんッ! あたしの耳に聞こえるのッ!! 風が悲鳴をあげてるのッッ!! 風があたしに伝えるの。母さまはもう助からないってッッッ!!」

「アーサッ!!」

 力に覚醒したばかりの少女は、聞こえてくる風の声を制御することが出来ずに錯乱し始めた。

 蒼い瞳に、涙が溢れて止まらない。

 少女を心から心配する友人の声も、激情高ぶる少女の耳には届かなくなっている。

「アーサ、しっかりしろよッ、頼むからしっかりしてくれよーッッ!」

 ティスの、今にも泣き出しそうな声が樹海に響いた。

「アーサッ!!」

 錯乱した少女を正気に戻そうと、アガシャーはアーサの頬を両手で包みこんで意識を少女に重ねる。だが、少女の心に吹きこむ風の動きはあまりに急激すぎた。

 少女の心に接したアガシャーが見たものは、ルイザが黒い風に貫かれ、崩れ落ちる様――。

「母さまぁぁぁぁぁぁーッ!!」

 瞬間、再びアーサの力は解放された。

 辺り一面に大量の光が広がる……。


光の消えたその後に、アーサの姿はなかった。

 残されたのは、何が起きたのか理解できなかったティスと、アーサと精神接触の最中だったアガシャーの、意識を失った姿だけである。

「師匠ッ!!」

 少年は、とりあえず真っ青な顔色のアガシャーを揺さぶった。苦しそうではあったが、老人は力を振り絞ってうっすらと目を開ける。

「ティス……あの子を……アーサを連れ戻してくれ。あの子は、……ルイザ殿の死を予知し、彼女の元に跳んでしまった……」

「嘘だろ!? おばさんが死ぬ? それ見て、たまらずにアーサはふっ跳んでったってのか、さっきの場所に?」

「このままでは、あの子も殺されてしまうッ! ティス……」

 アーサの力の解放の余波を受けた衝撃で、アガシャーは一時的に動けなくなってしまったようだ。

 口を動かすことすら辛そうである。

 ティスは、師の必死の声に大きく頷いた。

「わかった。俺、アーサを必ず助けるッ! あいつは俺の友達だ。絶対護ってやるんだ! あいつ連れて戻るからさ、師匠はここで休んで待っててくれよ、いいな?」

「ああ。……頼んだぞ、ティス……」

 頷いて再び意識を失ったアガシャーに頷き、ティスは元来た道を全力疾走していった。大切な友達を救うために……。


               *     *     *


「くくっ! けっこう保つじゃない、従姉さん」

 余裕の笑みを浮かべながら、シェラが何度目かの風の刃をルイザに向けて撃ち出した。ルイザは、右手で弧を描くとシェラの攻撃に風を合わせる。ゴゥンッ! と風がぶつかりあい、消失する音が森を揺るがした。

「風繰りは、私のほうがうまかったの忘れたの? シェラ!」

 攻撃を凌ぎ、目の前の従妹に強く言い放つルイザ。

 だが、その強い口調とは裏腹に、彼女の身体はもう立っているのもやっとという状態であった。

 ルイザはガクガクと揺れる膝を抑えながら、もう一度風を引き寄せる。

 その時だった。

 突然、ルイザの目の前に大きな風の塊が出現し、ルイザとシェラを弾き飛ばす!

「きゃッ!!」

「何だ、一体ッ!?」

 唐突に現れた風の塊に、シェラは恐ろしく不機嫌そうな目を向けた。

 風は、じきに巻くのを止める。その中心には、一人の蒼い髪の少女が手を広げて立っていた。

「アーサッ!! あなた、何故!?」

 少女の出現に驚いたのは、戦いを邪魔されたシェラではなく、ルイザの方であった。

「へぇ……族長さまのピンチに飛んできたってわけ? 泣かせるじゃない」

 その言葉の中に嘲りを含ませ、シェラはアーサを見下ろす。アーサは、シェラのそんな物言いを無視して彼女をじっと睨み上げた。

「母さまは、殺させないッ!」

 怒りのこもった蒼い瞳は、まるでシェラの心中を貫かんばかりの圧力を放っていた。それまで、ルイザを嘲り、からかうように攻撃していた女はその圧力に思わず後退さる。

「母……ということは、お前はギル・トメルアの後継者か!?」

「そんなの知らない。そんなこと、どーでもいいからここから消えてッ! 母さまにこれ以上つっかからないでッ!!」

 風を纏ったままのアーサは、睨み返してくるシェラの瞳を真正面から受け止めてなお引こうとはしない。

「……気に入らないな、その目……」

 白鎧の女はムッとしたまま剣を振った。かまいたちのような剣圧が、アーサめがけて一直線に走る。

 キィンッ!!

 アーサは身動ぎ一つせず、その剣圧を取り巻く風で弾き返した。シェラの顔がますます険しくなる。

「貴様、どこまでも私の邪魔をする気かッ! ならばッッ!!」

 膨れ上がる魔気が、シェラの爆発寸前の怒りを代弁していた。空に向けてグッと伸ばした両腕に、一気に全てのエネルギーが収束されていく。

 一箇所に集められた黒い風塊が、少女の周り以外の大気を大きく震わせた。

「いけない――ッ!」

「死ねッ!!」

 その危険な気に、ルイザが反射的に走る。彼女はそのまま、アーサの前に風の防護陣を展開した。

 二人の力を合わせた風の防護陣は、シェラの巨大な黒いかまいたちを弾き続ける。

(これなら、勝てる)

 ルイザは、かすかに安堵の息を吐いた。普通ならば、数の上でも、これでシェラの負けが確定するはずなのだ。

 ところが、時間がたつにつれ、ルイザの顔色はみるみるうちに青ざめていった。いくら防護しても、一向にシェラに疲労の色が見えてこないのである。

 それどころか、慣れぬ力の行使にアーサがだんだん息を乱し始めているではないか。力を使い慣れたシェラと、今日、力に目覚めたアーサとでは、精神力の使い方に差が生じるのは当たり前だった。

 だが、シェラの攻撃の仕方は、まるで尽きることの無い湧き水を無制限に使うような無茶なもの。疲労が見えないのは、あまりにも不自然であった。

 ルイザは、無茶を承知でもう一つ風を繰る。

 途端、シェラの頭上から流れこむ黒い魔気の脈をその目にして、思わず絶句した。

「――ッ!! 都から邪気の転送を受けているッ!?」

 都からこの場所まで、どう見積もっても二千ネルは下らないはずである。そんな遠距離に途切れることなく精神力を送りこめるなんて、まるで信じられない光景だった。

 一瞬の動揺。そこに生じた隙をシェラは逃さない。

 アーサは、既に見た光景と同じモノをシェラの動きに見て悲鳴をあげた。

 次の光景は、母が黒い刃に貫かれる――。

「母さまッ!!」

 キシュンッッ……空気が抜けるような、軽い音が響いた。

 同時にルイザの目が大きく見開かれ、胸から血が吹きだす。

 そのまま、彼女の身体は後ろへゆっくり傾いた。

 少女の蒼い瞳から光が消える。


 アーサがかすかに意識を取り戻した時には、少女とその母親は太い木の幹へと叩きつけられていた。

 僅かな呼吸音から、母がまだ生きていることをアーサは確認する。だが、彼女自身もどこか骨を折っているらしく、母の元に駆け寄りたくても動くことすらままならない。

 白い騎士は悠然とルイザの前に立つと、邪悪な笑みを浮かべて剣を振りかざした。

 とどめを刺すつもりだろう。

「やッ……ッ!!」

 アーサは涙を滲ませながら、声を絞り出した。

 シェラの剣は止まらない。

 風が唸った――。

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