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ニ.風読みの一族

「むかぁし昔……。大海原の真ん中に、一つの大陸ができたそうな。暖かくも寒くもなる良い気候に恵まれたその大陸は、豊かな自然を育み、やがて様々な生命を生み育むようになったんじゃ……。もちろん、『人』もその例外ではなかった。初めて、『人』が育まれたその大陸を、みんなは敬愛の念をこめて『母なる大地』――『アトナルディア』と呼ぶようになったそうじゃ……」

 固くて太い木製の、組木で造られた家々。それらが立ち並ぶ間に敷かれたぬかるみ防止用の平板の通路を通りながら、ティスは立ち止まった。物置のような小さな小屋の前で、一人の老婆が子供達を集めて大陸の始まりを話している。

「村の……エル・ファティアで一番の語り部婆さんのエイラさんだよ。テッちゃん、お婆さんの話に興味があるの?」

 アーサが物珍しそうなティスの顔をのぞきこんだ。

 ティスは老婆の話を真剣に聞いている子供達の姿を見てにっこり笑う。

「どうしたの? 何かおかしい?」

「いや、ここは本当の歴史を語り継いでいるんだ、と思ってさ。大陸ん中でも、ここは南東部で都から遠いからなのかなぁ。それとも、村の周りの深い森のおかげかもしれないけど……」

 ティスの言葉に、アーサは首を捻った。

「……他のトコは違うの?」

「ああ。大陸は皇帝が造った。皇帝は、神だって教えられてるんだよ」

 少年の憤りを含んだ答えに、アーサはさらに疑問を持つ。

「どうして? 自然は、人間が造れるようなものじゃないよ。皇帝も人でしょ?」

 ティスは、訳が分からない、といった顔を見せているアーサの頭を軽く叩いた。

「人……か。人ならいいんだけどなぁ……」

 少年のポツリと呟いた言葉に、語り部の婆は子供達に気づかれぬようにそっと人指し指を立てる。

(なるほど、ね。子供には、まだ『魔』の話はしてない訳か)

 鋭く婆の態度の意味を理解し、ティスはアーサの手を再び引いて、その場から歩き始めた。しかし、アーサはティスの服を引っ張っては答えを求めてくる。

「ねぇ、何で? 何でなの、教えてよ。ねぇ、テッちゃんってばぁ!」

 少女の度重なる追及に、ティスはしかたなく周りを見回して小さな子供達がいないことを確かめてから口を開いた。

「今、この大陸を治めてるのはなぁ、本当は悪い、人間じゃない侵略者なんだよ。だから、自分たちに都合の良いように歴史を曲げて子供に教えてるってわけさ」

「嘘を教えられてるの? 酷い……。誰も、その悪い人達を追い出せないの?」

 すがるようなアーサの目に、少年は首を振って答える。

「子供は、今教えられてるのが真実だと思ってるし、そう思うように、都じゃ変な意識操作が普通の大人と子供はされてるんだよ。……無論、そんなの黙ってない人達もいるけど、味方になってくれる人が少ないからなぁ。簡単にはいかないんだよ」

「そうなのか……。外って怖いんだね」

 アーサは、哀しげに足元の板造りの通路をみた。

 少女は、板からかすかに染み出した泥水を脇へ蹴り出そうとしてみるものの、上手くいかない。

 ティスは悔しげに呟いた。

「……この泥水みたいなもんさ。一回染みこんだモノを追い出すのは、すごく難しいんだよ……。さぁ、もうこの話はおしまいッ! あとで、もっと楽しい話聞かせてやるよ。だから早く帰ろうぜ、アーサ」

「うん」

 アーサは元気よく、手を差しのべたティスに手を重ねた。


               *     *     *


 ようやく、狭い板道を幾つも抜け、アーサとティスは村で一番大きい館にたどり着いた。木のアーケードも茂みの膨らみもない開けた場所に建つその館は、かなり頑丈そうな寄せ木と組木が合わされた造りになっていた。

 いかだをまるまる乗せたような屋根のすぐ下に、ティスにとっては見慣れぬ紋章が刻まれている。

「これ……族長家だな?」

「どうして分かるの?」

 ティスの言葉に、アーサはまた「どうして?」を重ねた。

 彼は、今度は明るくすぐに答える。

「普通、こういう大きくて丈夫そうで、しかも何かの紋章の刻まれてる家ってのは、村で一番偉い人間の住むトコだって決ってるんだよ」

「そういうモンだったのかぁ」

 丸の中に羽根と雲のような模様を刻みこんだその紋章を指さして、アーサは口を開いた。

「ここ、あたしの家だよ」

「へッ!? お前……族長の娘か?」

「うん。族長は、母さまなんだよ」

「……そういやぁ、同じ紋章つけてたんだな。お前……」

 にっこり笑うアーサの胸元に、家と同じ紋章が縫いこまれていることに今初めて気づき、ティスは思わず苦笑する。

「俺、村の入口でお前呼んできてくれって言われてすぐに飛び出しちまったから、そこまで見てなかったよ」

「そっか。ねぇ、そんなことどうでもいいから、早く中に入って……」

 突然、アーサの動きが止まった。

 不思議そうに、アーサを見るティス。

「どうした? 大丈夫だよ、怒られやしないって」

 硬直した少女に、ティスは笑いながらその肩を叩いてやる。

「お使いが遅くなったことの言い訳なんて、考えても仕方ないぜ?」

 だが、蒼い髪の少女は視線を一点に釘付けにしたまま、首を横に振るばかりだ。

「……テッちゃん。あの人が、アガシャー様?」

「え? 師匠がどこにいるって?」

 ゆっくりと言葉を紡いだ少女の視線の先を追ったティスは、その紅い瞳に、組木の扉を開いて立っている白装束の老人の姿を認めて満面の笑みを浮かべた。

「あッ! ホントだ、師匠だ! 師匠、ただいまーッ!!」

 少年は精一杯背伸びをしながら、大きく手を振る。

 野生味たっぷりの少年は、自分の声に応えて右手の錫杖を掲げた白髪の老人の姿を確認すると、本当に嬉しそうに駆け出した。その様子は、まるで玩具を見つけた猫のよう。

 老人に抱きつく少年の顔と、ティスの頭を優しく撫でる老人の顔とを交互に見たアーサは、ふっと肩の力を抜いた。

 少女が初めて見た村人以外の人間がティスだというなら、初めて見た大人はティスの師だという、目の前のアガシャーということになるのだろう。とりあえず警戒するのも無理はない。

 ティスはそんなアーサに気づき、彼女を招いた。

 蒼い髪の少女は少し恥ずかしそうだったが、少年に呼ばれてアガシャーのそばへと歩み寄る。ティスは師に伝えた。

「師匠。この娘が、アーサだよ。俺、ちゃんと迎えに行けただろ?」

「はじめまして。アルメサス・デ・ロギッシュです。ようこそ、ギル・トメルアの村へ!」

 ペコリと頭を下げ、アーサは形式ばった挨拶をする。

 その歓迎の言葉に、アガシャーは右手に持った六つの銀の輪っかがついた錫杖を地面に置き、空いた手を胸の前に置いて口を開いた。

「はじめまして、アーサ。私は、アガシャー。故あって、このアトナルディアを旅する者です。私とも、仲よくしてくれるかな?」

 腰を落とし、少女の目線の高さに自らの目線を合わせたアガシャーは、アーサの蒼い髪を優しく撫でてやる。少女は、優しく笑みを浮かべる老人に頭を撫でられて微笑んだ。

「旅、疲れたでしょ? うちでゆっくり休んでってください」

 少女の、彼女自身の言葉によるのだろう自然な歓迎に、アガシャーもさらに穏やかな笑みを浮かべる。

 笑うアガシャーの顔には、膨大な人生経験を示す皺が数多く刻まれていた。

 遠くから見ると真っ白に見えた帳のような白装束も、ティスの服ほどではないが、だいぶくたびれ、すすけている。

 物珍しそうなアーサの視線に気づき、ティスは少女の手を取った。

「ほら、外の話、聞きたいんだろ? この酒瓶とっとと置いてこようぜ」

 少年が酒瓶を元気良く掲げた途端、誰かがティスの手からひょいとそれを取り上げた。

 いきなり大事な瓶を取り上げられ、少年は後ろに忍び寄っていた人物に向かって憤然と振り返る。

「な!? 何すんだ……って、あぁッ!!」

 ティスの驚く声に視線を移したアーサも、彼のすぐ後ろにいつの間にか立っていた人物の顔を見て、あッと声を上げた。

「母さまッ!!」

「お帰りなさい、アーサ。だめでしょ、お使いの途中で遊んでちゃ」

 アーサと同じ色の、サラサラした髪を腰まで流しながら、少女の母・ルイザは娘を優しく諭す。母の言葉に、アーサは素直に「ごめんなさい」と謝った。

 ルイザはそんな娘の様子に微笑むと、今度はティスに向かって口を開く。

「ありがとう、テッちゃん。アーサを迎えに行ってくれた上に、酒瓶まで持ってくれて……。あとで、美味しいご飯を御馳走するから、アーサと一緒に遊んでらっしゃい」

「やったッ! 行こうぜ、アーサ!!」

 お許しをもらったティスは飛び上がって喜ぶと、早速アーサの手を引いて走りだそうとした。

 だが、アーサの足は止まったまま。少女は、その手を少年に引かれたまま、心配そうに母を見上げた。

「ホント? いいの? 母さま? 食事の準備とか大変じゃない? いつも、二人分しか用意しないんだから、忙しいと思うよ」

「あれ? アーサん家、父ちゃんいないのか?」

 思わず漏らした言葉に、しまった!! とティスは口に手をあてる。ルイザは、そんな少年に少し寂しげな笑みを見せた。

「ええ。この娘の父親はね、この娘が生まれてじきに死んでしまったのよ。あの人は……ティス、ちょうど貴方と同じ水色の髪をしていたわ」

 ルイザの答えにアーサが続ける。

「二人だけだから、いつもはあたしが食事の準備を手伝ってるんだ。これでも結構、お家の手伝いって好きなんだよ。しかも、今日は初めてのお客さんでしょ? ……やっぱり母さまだけに準備させられないよ。まだ、やることあるでしょう?」

 心配顔の娘に、母は笑って頭を撫でてやった。

「食事の準備なら問題ないわ。お昼前にアーサがいっぱいお手伝いしてくれたから、後は鍋を火にかけるだけよ。それとも、おサボりを気にしてるのかしら?」

 ルイザがくすり、と少し意地悪げに笑う。

 アーサは図星だったらしく、顔を真っ赤にしてうつむいた。

 そんな娘に、ルイザは視線を合わせて語りかける。

「あなたはさっき、ちゃんと謝ったでしょ? それは自分が悪いことをした、とちゃんと判っているからよね。自分が何をしたのか判っているのなら、それ以上叱る必要はないでしょう? だから、もういいのよ。遊びに行ってらっしゃい。初めてのお友達を、あちこち案内してあげなさいな」

 軽くウインクして、母は少女の背中を押し出してやった。

 少女の顔が、お日さまみたいにぱっと明るく輝く。

 ルイザの言葉に頷き、アーサは嬉しそうに駆け出した。今度は逆に、ティスの手を引っ張っていく。

「行こう、テッちゃん。あたしね、とってもいいトコ知ってるんだ!」

「どんなトコ?」

「行ってからのお楽しみッ!」

「あー、いーじゃん。教えてくれよー!」

 大人たちは、楽しそうに駆けていく子供達を見送った。

 アーサたちの姿が遠くなってから、ルイザとアガシャーの顔がフッと翳りをみせる。

「……アガシャー様。何故、『魔』はあんな子供たちの未来を奪おうとするのでしょうか……」

「そうはさせぬために、我らは戦い続けてきたのではありませんかルイザ殿。いや、未来を読み取ることのできる風読みの一族、ギル・トメルア(トメルア第二族)の長、とお呼びするべきかな?」

 かしこまったアガシャーの物言いに、ルイザが苦笑した。

 かなり離れていたのだが、アーサとティスはかすかな二人の会話に思わず足を止める。

「それをおっしゃるなら、私こそ、『陛下』とお呼びしなければなりませんわ。貴方様こそ、このアトナルディアの真の王なのですから……」

 アガシャーはルイザの言葉にも視線を動かすことなく、自虐的な笑みを浮かべた。

「魔族の進軍に気づかず、追い落とされた者なぞに、統治者の資格はありません。今の私は、ただの探求者ですよ」

「生きとし生けるもの全ての『希望』……の、ですね」

「そうなってくれることを祈っています」

 呟くアガシャーの視線がアーサとティスに戻される。

 二人は何のことかよく分からない話には興味がない、とばかりに、再び木立の向こうへ駆け出していった。

 ルイザは、老人を自宅へ案内しようと手をさしのべる。

「旅は体力が基本ですわ。さ、狭い所ですが、しばらくお休み下さいませ、アガシャー様。ここは風読みの村……。危険が近付けば、風が教えてくれますわ」

 風はまだ、穏やかに流れている――。


               *     *     *


「うっわぁーッ!! すっげーッ!!」

 目の前に広がった白い高山の連なりと緑の斜面。そして、遥か下方に悠然と広がる黒まじりの深緑の樹木の海に、ティスは歓喜の声を上げた。

「ここはね、あたしだけの、秘密の場所なんだよ」

 アーサはかなり斜度のきつい大地に腰を下ろすと、目の前に広がる白銀の雪を被ったゴウル山脈を見上げた。

 少し灰色の混ざった白い小鳥がたくさん、座ったアーサの周りにあっという間に集まってくる。

「あんっ、こら。みんな、そんなに慌てて寄ってきちゃダメだよぉ。ちゃんとみんなの分、餌あるんだから」

 笑ってそう言うと、アーサは腰のポケットからパンの欠片を取り出した。

 小鳥はさっそく、少女の手の上のパンを啄み始める。

「へぇ~、お前、動物好きなんだなぁ。俺なんか、動物にしょっちゅう逃げられるよ」

 感心するティスに、アーサが笑った。

「あたしだけじゃないよ。村の人、みんな動物さんとお話できるんだよ」

「すげぇなあ……俺も、動物と話してみたいなぁ」

 うらやましそうに言うティスに、アーサは小鳥に語りかけた。

 すると、小鳥はピピピッとアーサに鳴くと、皆ティスへと群がる。

「わわわっ?」

「みんな言ってるよ。テッちゃんも友達だって」

 アーサの言葉に、ティスの顔が和む。

「ホントか?」

「うん。テッちゃん、あたしの父さまによく似てるから好きって!」

「……へぇ~。でも、誰かに似てるってのもなぁ……」

 妙な顔をするティスに、鳥が再びピピピとさえずった。首を傾げる少年に、アーサが解説する。

「似てるのもあるけど、テッちゃん自身、良い人の匂いがするから好きだって」

「そ、そっか? へへ☆」

 少年は「良い人」と言われて照れた。

 視線のやり場に困り、ティスは目の前の景色へ再び目を移す。少年の赤い瞳が、丘を滑っていった。

 丘の少し先は絶壁になっており、そのはるか下には、アトナルディア南部の水源となっているルーム河が勢い良く流れていくのが見える。

 清く豊かな河を護るようにして広がる樹海は、ここより南のゴウル山脈近隣にあると伝えられる光の聖地『エデン』への入口なのだ、と古き書物に記されているのを、ティスはふと思い出した。それはたぶん事実だろう。彼は改めてそう感じた。

 こうして上から見ただけでも、深緑の途切れることの無いこの樹海が、人を簡単には寄せ付けない場所であることは明白だったからだ。おそらく、ここに迷いこんで無事に帰ってきたものはいないだろう。

「絶壁、激流、そして樹海……。大人はみんな、この景色が怖いって言って近寄らないんだ。だから、ここはあたしだけの秘密の遊び場なの。あたしは、ちっとも怖いなんて思わないから……。どっちかって言うと、安心できるんだよ。あのゴウルの白い山を見ると……何故かね」

 アーサは、愛しそうに白くとがった山を見上げた。

「あの山、何だか見たことあるような気がする……」

 ポツリと少年が呟く。その呟きに、少女はじっとゴウル山脈を見つめる少年を見上げて問いかけた。

「あそこには『聖地』があるんだって。テッちゃんは、もしかしてエデンで生まれたの?」

「もしかしたら、そうかもな。……そうだったらいいなぁ」

「?」

 不思議なティスの返答に、アーサはまたまた首を傾げる。

 少年は黙って少女の横に腰を下ろすと、遠い目を白い山々に向けながら話を続けた。

「俺、自分が生まれたトコ、知らないんだ。当然、いつ生まれたのかも……。覚えてるのは、すっごくきれいな銀色の光に包まれた女の人が、俺のこと見て笑ってたってことだけでさ。前は、自分が何だか判んないせいでよく街で暴れてたんだぜ。悪いこともいっぱいした。ポセイドニアで、子供の強盗団作って商隊襲ったこともある」

「ポセイドニア?」

「あれ、お前、ポセイドニアのことも知らないのか? そっか『都』としか聞いてないんだな、きっと。じゃ、よく聞けよ。ポセイドニアってのはな、このアトナルディアの首都だよ。すっごく大っきな街さ。アトナルディアは海に囲まれてるだろ? だから、この国の主護神は海の神フォセイディオンだってのは知ってるよな?」

「うん」

 アーサは、母に良く聞かされた神話の中に出てくる、三つ又の矛を持った、ふくよかで大らかな神のことを思い出しながら頷いた。

「その神様の加護を、一番受ける都って意味でついた名前が、『ポセイドニア』なんだと」

「へぇ~。テッちゃんって物知りなんだね」

「俺が物知りな訳じゃないさ。これ全部、師匠が教えてくれたんだよ」

 ティスは、水色の頭をポリポリと掻きながら、感心顔のアーサに照れくさそうな顔を見せる。

「ポセイドニアの説明はいいな。じゃ、続けるぞ。……とにかく、自分が何なのか判らないってのはすごい苦痛なんだ。そのうえ、今、都じゃ皇帝と貴族が好き勝手やってるせいで、俺達みたいな下の人間は生きてくだけで精一杯だったんだ。悪いことだとは判ってたけど、人の物を盗らなきゃ生きてられなかった……」

 アーサは、黙ってティスの話の先を促した。

「そんなある日のことさ。俺は、たまたますれ違った老人から財布を摺りとろうとした。その相手が師匠だったんだ」

「アガシャー様から盗もうとしたの?」

 くいっと指を曲げてスリをする格好をしたティスに、アーサは目を丸くする。

 だが、ティスはその手を途中でパタパタと振る。

「薄汚れてはいたけど、雰囲気からきっと良いトコのオヤジだと思ったのさ。でも、失敗しちまった。しっかり手ぇつかまれてな。俺、てっきり役人に突き出されると思ったんだけど……師匠はしなかった。それどころか、俺と仲間に自分の持ち金全部くれてこう言ったんだ。『少ないが、これで何か食べなさい』って……」

 少年は、懐から古びた皮の袋を取り出して懐かしそうに見つめる。どうやらそれは、その時渡されたアガシャーの財布らしかった。

「それで……どうしたの?」

「俺、てっきり施しされたと思ってさ。ふざけんなッて叩き返したんだ。そしたら、師匠は悲しそうな顔をして『お前たちにこんな苦労を強いてしまったのは、私の責任なのだ……。こんなことで許されるとは思っていないが、せめてこれだけでも受け取ってはくれまいか』って腰を落として言うんだ。俺、最初は突っ張ってたんだけど、だんだん判ってきたんだ。この人は、都の連中とは違う。本当に、俺達のことを思ってくれてるんだって。その時、俺思ったんだ。世の中、まだ捨てたもんじゃないやって」

 アーサは相槌を打ちつつ、ティスに尋ねる。

「じゃ、それからずっとアガシャー様と一緒に?」

「ああ。最初は、何度も止められたけどな。自分と一緒だと危ない、帰りなさいって。でも、そのうち師匠も諦めたんだろ。俺、頑固だから」

「ふーん。それで、アガシャー様って、実際一緒に旅してみてテッちゃんが思ったとおりの人だったの?」

 少女は、話題の対象を白衣の老人に変えて少年に話しかけてみる。少年は、皮の財布を懐にしまいながら、ニカッと笑った。

「おぅとも! 大きな声じゃ言えねーが、師匠は今、この国を牛耳ってる悪い奴らをやっつけようって人達の手助けしてるんだぜ!」

「それって……ホントに、大きな声じゃ言えないじゃない」

 驚いて、アーサは周りを見回す。ティスは、ニッコリ笑ってアーサに向かって右腕を伸ばすと、親指をビッと立てた。

「そうさ。でもアーサは友達だからな。特別さ」

「友達……うん、やっぱりすごくうれしいや」

 少年の言葉を噛みしめるように、アーサは指先をもじもじさせる。

「アーサは、友達ってホントに一人もいないのか? 村にも、子供はいただろ?」

 不思議そうなティスの問いに、アーサは首を縦に振った。

 動かしていた指を止めて、側で咲いていた白い小さな花を優しく撫でる。

「母さま、族長だからウチにはいっつも誰か『ごえい』の人がいるの。あたしも、その子供ってことで、外に出るときは一人では、絶対に遊ばせてもらえなかった……。だから、今日がホントに初めてなんだよ、一人で外に出たのって」

 白い花は、アーサの手に触れられてかすかに揺れた。

「そりゃ、いっつも大人連れてるようなヤツと遊びたがるようなヤツは少ないよな、確かに……あっ、ごめん」

 ティスは、すぐにバツの悪そうな顔をして、素直に少女に頭を下げた。アーサは笑って首を横に振る。

「いいよ。テッちゃんの言うとおりだもん。それに……遊ぼうとしてくれた子も、大人のひとに止められちゃったみたい。あたしは、次の族長なんだからって……」

 寂しげなアーサに、ティスは大きく息を吐いた。

「うっへぇ~! そりゃぁたまんねぇなぁ。子供は、遊びが仕事なのになぁ。……ってことはお前、毎日族長になるための勉強ばっかさせられてたんか?」

「そうなの。いっつも先生がやってきて、六刻ばかり、みーーーっちりッッ!!」

「げっえぇぇぇぇぇッ!!」

 力いっぱい嫌そうな顔をしたアーサの言葉に、ティスは思わず腰を降ろしたままバタバタと後退さる。

「俺だったら、んな生活……絶対耐えられねぇ! お前、よく逃げ出さなかったもんだなぁ」

 自分に共感してくれたのが嬉しかったのか、アーサは自分からティスの手を取った。

 右手の人指し指を立てて、二、三度横に振る。

「逃げ出さないわけ、ないじゃない。あたしの勉強部屋って、お家の一番東端にあってね、勉強机は窓際なの。……だから、よく先生の目を盗んでは、側の窓から抜け出してたんだ。ただ、必ず『ごえい』の人はついてきてたし、あとで先生と母さまからすっごく怒られてたけどね……。それでも、勉強詰めよりずっとマシだもん!」

「そりゃ、そーだ! お前、おとなしいだけのヤツかと思ったら、結構ヤルじゃん」

「友達できないからって、腐ってちゃつまんないでしょ?」

 アーサは、腕を大きく広げてくるくる回った。

「そうやって、しょっちゅう逃げ出してるうちにね、見つけたのがここなんだ。ここ、崖になってるけど、あんまり端にいかなきゃ怖くないし、見晴らしはすごくいいでしょ? そのせいか、『ごえい』の人達もあたしがここにいるときだけは、この丘のすぐ向こう側の森の入口までしかついてこなかったの。だから、ここでだけは、あたしはのびのび遊べたのっ!」

 ティスは、しばらく手を広げて駆け回るアーサを見ていたが、ほどなく自分も腰を上げた。腰のポケットに手を入れ、茶色の小さな小瓶と先の割れた麦の茎を取り出す。

「おい、アーサ!」

「なぁに?」

 ふいに呼ばれ、アーサはくるりと振り向いた。

 ふ、と彼女の顔前に虹色に輝く透明な球体が浮かび、すぐにパチンッと弾けた。少女は、蒼い瞳をパチクリさせる。

「サーズ玉って言うんだ。知らないだろ?」

 軽く、首を縦に振るアーサ。ティスは、麦の茎の割れている方を瓶の中の液体に軽くつけて取り出した。そのまま今度は茎の反対側の先に口をつけて、ゆっくりと息を吹きこんでいく。

 広がった茎の先から、まるで四隅を止めた敷布に風が吹きこむように、半円状に透明な膜が膨らんできた。半円の膜はやがて球へとその姿を変え、麦の茎を飛び立つ。

 ゆらゆらと光を虹色に乱反射させながら、透明の球体は風にのって緩やかに舞い踊った。

「うわぁ、きれ~い! ねぇ、テッちゃん。あたしもやってみたいッ! できる? 簡単? どうやるの?」

 アーサは、少年に駆け寄って自分もやりたいとせがんだ。

 ティスは日焼けした顔から真っ白な歯を覗かせて笑う。

「簡単だよ。いいか、この茎の開いた方をこっちの瓶につけてぇ、反対側からそぉっと吹けばいんだ」

「へぇ~! やってみてもいい?」

「ああ」

 ティスから小瓶と麦茎を受け取り、アーサはティスに言われたとおりにやってみた。ゆっくりと膨らみ始めた透明な膜が、球を作る前にパチンッと弾けてしまう。

「あれ? 壊れちゃった……」

 開いた茎の先を見て残念そうな顔をする少女に、ティスはにこやかに手を取ってもう一度液をつけてやった。

「ちょっとだけ、吹き出す息が強かったんだよ。もう一回、今度はもっと優しく吹いてみな。さっき花撫でた時みたいに優しく、な」

 ウインクする少年に、アーサはちょっと頬を赤らめる。

 彼に言われたとおりに、少女はもう一度息を吹いた。

 優しく、静かに……。大きいもの、小さいもの、その大きさは様々だったが、虹色に燦めく透明な球体がたくさん、麦の先から一斉に空へと飛び立った。

 陽の光に輝くたくさんのサーズ玉が、風に乗って軽やかな輪舞を踊る。

「できたぁ!!」

「な? 簡単だろ?」

 満面に笑みを浮かべたアーサは、もう一度サーズ玉を作ろうと茎に息をつけた。が、間違えて思わず液を吸いこんでしまう。途端に咳きこみ、少女は目尻に涙を浮かべる。

「けほっけほっ……あ~ん、ちょっと吸いこんじゃったぁ~! 変な味ぃ~ッ」

「吸いこんだのか? ……ドジだなぁ。でも、少しくらいなら呑んだって心配いらねぇよ。それ、サウムを水に溶かしただけだから」

 ティスは、咳きこむアーサの背中をさすってやった。彼の言葉に、少女はびっくりしたように言う。

「サウムって……手を洗うときに使う、あの植物の油固めて作った固まり?」

「そうだよ」

「へぇ~。あれ、泡が出て手がきれいになるだけじゃなかったのかぁ」

 感心するアーサの手から小瓶と麦茎を受け取り、ティスはもう一度たくさんのサーズ玉を吹き出した。

「身の回りにあるモンだけで、結構遊べるってことサ。これから、もっといろいろ他にも教えてやるよ」

「うんッ!」

 アーサは嬉しそうに頷く。二人は、空に舞うサーズ玉を見上げた。虹色の玉たちは、時々弾けて消えて数を減らしながらも、高く高く飛んで行く……。


               *     *     *


 アーサは、ティスと時間も忘れて遊んでいた。

 サーズ玉の液が無くなると、ティスは次に草笛を少女に作って見せて、吹き方を教えた。草笛の後も、二人は食べられる草の見分け方とか木登りとか、次々と遊びを変えて楽しんだ。

 アーサは、初めて教わる遊びが楽しくて、ずっと少年にくっついていたのだが、ふとゴウル山脈に目をやると、「あッ!」と、小さく声を漏らした。

「どうした?」

 ティスは、少女の顔をのぞきこんだ。

「もう、夕の四の刻だ。そろそろ帰らなきゃ……」

「えっ!? もうそんなになるのか?」

 アーサの言葉に少年も驚く。アーサは続けた。

「ゴウルの山の右っ側見て。少し赤くなってるでしょ? この時期は、あの辺が赤くなるとちょうど四の刻なんだよ。んで、じきに空が真っ赤になって日が暮れるんだ」

「なるほどなぁ。じゃ、今日はそろそろ帰ろうぜ」

 ティスは、アーサに手を差し延べる。少女はもう、何の抵抗もなく少年の手を取った。

「うん」

 二人は手を繋いで、丘を登ろうと歩きだす。

 その時、沢から吹き上がってきた風がヒュウッと渦巻き、アーサとティスの耳元を駆け抜けていった。

『……逃げろ……早く……』

 風の中に声を聞いたような気がして、ティスはアーサに振り向いた。アーサは、眉をひそめている。

「テッちゃん、今、何か言った?」

「? 俺が? 何も言ってねぇよ。……どうかしたのか?」

 風の声などどうしても信じられず、ティスはつい自分も聞いた声のことを隠してしまう。怪訝な表情の少女の姿に、少年の胸の中で嫌な予感がどんどん膨れ上がってきた。

 嫌な予感は、それまで活発な少年の顔だったティスの表情を、肉食獣に狙われていることを敏感に感じとった草食獣の緊張したそれに近いものへと変化させていく。

「テッちゃん……。実はね、今……風があたしに『逃げろ』ってささやいたの。さっきも『来る』って……。ねぇ、こんなこと、あるのかな?」

 アーサは、本当に信じられないという顔をしながらも、風の言葉をティスに伝えた。

(俺の聞いてた声は……空耳じゃなかったのか)

 少年は、少女の語った風の言葉が、自分の聞いたものとまったく同じだと気づいて、真剣な顔つきで考えこんだ。

「……アーサ。それ、すぐに帰って、おばさんや師匠に言った方がいいかもしれないぜ。何だか、すっげーヤバイ気がする……」

 ティスは、アーサの手を引きながら話を続ける。

「俺、ここへ来る途中で師匠に聞いてたんだ。ギル・トメルアの人ってな、風読みの一族って呼ばれてるんだって。神話の『風の戦士』の末裔で、今も風と共に生きるから、どんな真実も風から聞いて知ることが出来るんだってさ」

「風読みの……?」

 アーサは、ティスの言葉を繰り返した。

「母さまからはそんな話、聞いたことないよ。……あ、でも、古い神話の一つだって『風を友として戦う戦士の話』を聞いたことはあったっけ。でも、それはおとぎ話だと思ってた……」

 半ば、茫然と続けるアーサ。

「もしも……もしもだよ。その話が真実だったとしたって、まさか、あたしの村がそんな『風の戦士』の血を引いているなんて……全然思ったことなかったから……」

「でも、俺は嘘ついてねぇよ」

 少年の一言に、アーサはゆっくり頷いた。

「うん。テッちゃんは嘘ついてないよ。目、見ればわかるもん。……それに、さっき聞こえた風の声……あれだって、何回も続けば、あたしだって疑ったりできないよ」

 ティスは、少女の様子に困った表情になった。

「あ、ひょっとして、言っちゃいけなかったのかな、コレ?」

 彼は、アーサが自分の一族のことを、まさか何も知らないとは思っていなかったのだ。

「ううん。あたし、前から時々こんなことあったから、きっといつかは誰かから教えられてたと思うもん。教えてくれてありがとね、テッちゃん」

 口ごもりかけたティスに、アーサはすぐに礼を言った。

 少年の顔がパッと明るくなる。彼は、少女の手を引いて、一気に駆け出した。

「さ、これでアーサが聞いた声は大事なものだって判ったんだから、早くおばさんに知らせに帰ろうぜ!」

「うん! ……ね、また外の話してくれる?」

「もちろんさ! でもそれには、安全確認しなくっちゃ。な?」

「うんッ!!」

 約束をかわすと、アーサは少年に手を引かれてお気に入りの丘を駆け昇り、家路についた。高く広がる空は、いつのまにか暗い夕暮れ色に染まりつつあった。

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