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一.風の知らせ

 群れなす小さな雲が、少し高くなり始めた空をゆっくりと流れている。

 森のなかで僅かに開かれた緑の草原の端に屹立した太いマーサスの木に登り、少年は大地を見下ろした。

 とかしていないのか、寝癖のようにアチコチ跳ねた段組の淡い水色の髪がかすかに肩を離れ風に揺れる。

 腰の短剣をいじりながら草原を見渡した少年は、その真ん中で寝ころんでいる蒼い髪の少女を見つけ出した。太陽を一杯に浴びている。

 少年は懐から取り出した一枚の小さな紙を見ながら、少女を見つめた。

「蒼い髪。……いいなぁ。真夏の空みたいだ。つやつやしててまっすぐで。オレも、真っ直ぐな髪がいいな~。それからえっと……白いレル地に、紫色のふちどりのある袖無しの上下服ゾルツ……と。それから、編上げの草履……は、脇に放り出されてるけど、あるなぁ。そいでもって、でっかい酒瓶が転がってる。間違いねぇ、この似顔絵どおりだ。あれがアーサだな。……おいおい、お使いに行ったって聞いてたのに、サボって寝てるじゃねぇか」

 思わず、呆れたように少年は身を反らせる。

 と、その時。一陣の風が、彼の耳元を駆け抜けた。

『……来る……』

「へッ!?」

 風の中に男性の声を聞いたような気がして、少年はすっとんきょうな声を上げる。

「え? 何? 風が喋った?」

 少女も風の中に声を聞いたらしく、寝ころんでいたササミス草の合間から勢い良く身体を起こした。

 蒼い髪が、さわさわと揺れる。

 白く細い腕が、左脇に無造作に放り出してあった草履を拾い上げた。

「村の人かな? お昼寝してたの、見られちゃったのかな?」

 髪とお揃いの蒼い瞳でキョロキョロしながら、彼女は今度は右脇に転がしてあった黒い壷を引き寄せ立ち上がる。

 アーサの様子を見ていた少年は、あっさりと風の声の事を忘れてしまった。

 タプンッと景気良く、液体の揺れる音が大きな壷の中で鳴り響く。

 少年は、アーサの背の二倍くらいはあるだろう木の上から思い切って声をかけてみた。

 キョロキョロするきれいな蒼い瞳に、自分を映してもらいたくなったのだ。

「それ、酒だろ。悪い奴だな~、こんなとこでお使いサボって寝てるなんてさ」

「ち、違うもんッ! これ、重いから、ちょっと休憩してただけだもん!」

 聞き慣れぬ声に痛いところを突かれて、少女は小さな鼻をぴくっと動かす。顔を真っ赤にした。

「あたしのことなんていいの! それより誰? 姿、見せなさいよ!」

 蒼の少女は身体の前に引き寄せた壷をギュッと抱き締め、顎を引いて小さく身体を震わしている。

 怖いのか、アーサは蒼い瞳を周囲へせわしげに運んでいた。

 しかし、草原には他にも日よけができそうな樹木と猪ほどの大きさの茂みがあちこちにあって、声の主がどこに潜んでいるのか判らないらしい。

「あ、そうか。お前、村から出たの、今日が初めてなんだっけ……」

 小刻みに揺れる少女の蒼い髪に、少年は慌ててマーサスの木から飛び降り、姿を現した。

 びくっと身をすくませるアーサに向かって、少年は困ったような笑みを浮かべた。淡く透き通った水色の髪が、再びそよ風に揺れる。

 小麦色に日焼けした腕と、ボロボロに綻びた茶色い衿付きの半袖半袴の服が、彼が家の中に閉じ篭るタイプの子供でないことを如実に現していた。

 短い丈の靴とモコモコした腕帯リストバンド。そして、服の右縦四分の一ほどを占めている赤い色が、少年の紅の瞳によく似合っている。

 さらに、服と同じ丈夫なネルの紐で腰の辺りを二巻ほど縛り、そこには短剣が差しこまれていた。右手で取りやすいように右後ろに斜めに差した短剣には、柄に羽根の紋章が入っており、子供の持物にしては少々違和感を感じさせる。

 木から飛び出した少年は、身体についた細葉を手ではたき落とすと、自分を睨むように見つめている少女にまっすぐ向き直った。

 ちまちまと一定間隔に跳ねた、いかにもやんちゃそうなボサボサ頭をポリポリとかきながら、彼は怯える少女に向かって素直に頭を下げる。

「ごめんごめん。怖がらせるつもりじゃなかったんだ。お前、アーサだろ? 帰りが遅いって、おばさんが心配してたから迎えに来たんだ」

「母さまに? ……あ、ひょっとしてあなた、今日来るっていってたお客さまなの?」

 アーサは素直な少年の様子に安心したのか、肩の力を抜いて問い返した。彼女の安心を見て取った彼は、嬉しそうに頷く。

「そうさ。でも、正確に言えば、お客ってのは俺と師匠、アガシャー様のことだね」

 少女は人懐っこく表情を浮かべる少年に興味を持ったらしかった。アーサは、さっきまでの警戒心もどこへやら、彼の近くへとことこと歩み寄る。

 アーサは、蒼い目を期待に輝かせて少年を見上げた。

「ねぇ。村の外から来たんだよね。えっと……」

「俺の名前か? 俺はな、『テッちゃん』、十二だ! お前より四つも上だけど、テッちゃんって呼んでくれ」

 えっへんと反りくりかえる少年に、少女は目を丸くした。

「……テッちゃん?」

「そう、テッちゃん!」

 アーサは、もう一度質問してみる。

「テッちゃんって、呼び名だよね。あたしはね、ホントはアルメサス・デ・ロギッシュ・アガサリアって言うのよ。テッちゃんは、ホントは、何て言うの?」

 しかし、『テッちゃん』は腰に手をあてたまま首を傾げるばかりだった。

「テッちゃんは、テッちゃんだよ」

 少年は、アーサの質問に納得がいかなかった。

 名前というのは、自分が呼んで欲しいものが名前じゃないのかと、少年は心の中で叫ぶ。

 『テッちゃん』は少し機嫌が悪くなった。あわてて、アーサは質問を変える。

「あ、じゃ、じゃあね。テッちゃんのお師匠さま……アガシャー様だっけ? アガシャー様は、テッちゃんのこと、なんて呼ぶの?」

「師匠か? 師匠は『ティス』って呼ぶよ。大人が『テッちゃん』って言うんじゃ変だろうって造ってくれた名前さ。でも、俺は『テッちゃん』って呼ばれるほうが好きなんだ」

 根が単純なのか、言い方を変えたアーサに、少年はまた素直に答えた。だが、答え終えたティスの目は、暗にアーサに『テッちゃん』と呼んでほしいとせがんでいる。

 その目の圧力に負けたのか、アーサは少年に苦笑した。

「わかった。じゃ、あたしはテッちゃんって呼ぶね」

「そっか! じゃあ、お前も俺の友達にしてやるよ」

「ホント!?」

 舞い上がりそうな程の喜色を浮かべるアーサ。その喜び方を見る限り、村に閉じ篭って育ったらしい彼女にとって、同世代の『友達』というものはおそらく、今まで一人もいなかったのだろう。

「持ってやるよ、それ」

 ティスは、心から喜んでいる少女の姿に気を良くして、彼女が抱えていた酒瓶に手を伸ばした。

「でも……、私のお使いだから」

 アーサは人に頼ることに慣れていないようで、首を横に何度か振ると壷を抱く手に力をこめる。そんな彼女に破顔しながら、ティスはひょいっと壷を掠め取ってしまった。

「あっ!!」

「男に二言はねぇ! 外の話が聞きたいんだろ、アーサ? だったら、お使いのあとでゆっくり話してやるよ。俺達、友達だからさ! ほら、みんな心配してるしな、早く帰ろッ!」

「うんッ! テッちゃんッ!!」

 左脇に壷を抱え、差し出されたティスの右手にアーサは思い切って自分の手を重ねた。

 ふわっと暖かな手。力強いその掌に引かれて、蒼い髪の少女は村へ向かって駆け出していく。

 二人を追いかけるように、少し熱を含んだ風が、再び渦を巻いた――

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