勉強のすすめ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやは、一人暮らしをしていて、不思議な目に遭ったことはあるか?
別に大事件じゃなくても構わない。突然の来訪者によって、心当たりのないことが告げられたり、妙なチラシが突っ込まれてたり。
その大半は、本当にどうでもいいことで、後々まで尾を引くことはないだろう。実際俺も、少しは気に留めこそすれ、他にやりたいことややるべきことが重なるからな。
だが、中には印象的で、心の中に引きずる思い出もあるはずだ。良い意味であれ、悪い意味であれだ。
俺にもいくつかある。なんもかんも、自分で自分の面倒を見なくちゃいけねえ生活。ふとした拍子に意識しちまうこと、いろいろあるんだよなあ。
そのうちのひとつ、聞いてみないか?
その日、遅くまで大学の講義があったんで、飯食って帰ってきたら、もう午後の9時を回ろうという時間帯だった。
アパートの部屋前まで来ると、ドアポストからちらりとのぞく、一枚のチラシのかどっちょ。俺のアパートには集合ポストがないんで、直接ドアポストに広告のたぐいは放り込まれてくる。
――ま、どうせ用はない奴だろうがね。
ポスティングの数うちゃ当たる戦法の大変さと大切さを、社会に出ていない当時の俺は、少しなめくさっていた。
ゴミ配達お疲れさん、とな。
捨てられない目があるとすれば、近場のスーパーの安売り広告だろうが、そのチラシはひと目見て、ピンク色に染まっているのが分かった。派手な色合いで、俺に必要とされるパターンには、ついぞ出会った試しなし。
実際、室内に入って改めて引き抜いたチラシは、俺には理解不能の代物だった。
色合いからして、「いかがわしいものか~?」とも思ったが、並んでいるのは、何列ものバーコードらしき模様。
列の長さがそれぞれ違うから、何かしら意味を持っているだろうことは察せられた。でも、具体的な形はさっぱり分からないまま。
少し首をかしげながらも、俺はいつも通りチラシを廊下におきっぱにしているゴミ袋の中へ、そのチラシを突っ込んだのさ。
次の日の朝、インスタントラーメンを作り出すときにはもう、俺の意識の中でチラシはかなたへ追いやられてしまっていた。
ところが、講義から帰ってきて、俺は少しだけ気にかかった。
あのピンク色のチラシ、燃せるゴミの一番上へ戻ってきている。確かに今朝、ラーメンもろもろのゴミを上から押し付けて、中へ押し込んだと思ったんだが。
あらためて袋の中へ突っ込みなおす俺は、今朝の自分の思い違いとしか、このときは考えていなかったんだ。だが次の日も、その次の日も、チラシはしつこく袋のてっぺんへかきだされていた。
コンビニで買ってきた、おそうざい。そのソースの袋の残り汁に身体を染めながらだ。
――間違いなく、誰かが入ってきている。
俺は施錠具合をしっかり見て回ったが、異状は見られない。そもそも、こんな貧乏学生の部屋なんぞ狙うなんて、割に合わないぞ。
どうせ見つかったらブタ箱行きなんだし、せっかくならもっと大金持ちの人のところを狙えや。
そう思いながら、部屋のへそくりを始め、ちょっとでも金になりそうなものが盗られていないか、確かめていく。
結果、金銭は失われていなかったんだが、姿を消しているものがいくつかあった。
大学の講義で購入必須だった、教授の出している参考書だ。1年生のとき使って、それきり本棚へしまっておいたものだが、そのうちの何冊かがこつ然と姿を消していたんだ。
いまは使ってはいないものの、卒業論文とかで引っ張り出す羽目になるかもしれない。最悪、買い直しもあるかと思ったが、本たちは少し力を入れるとあっさり見つかった。
室内に置いてある洗濯機。そこの裏側に、畳まれて壁と機械の間へ挟まっていたんだ。
ほこりは多少ついているものの、目に見える損壊はなし。ほっと胸をなでおろす俺だったが、そのうちの一冊をパラパラとめくって、はたと気が付く。
俺、これほどまでにラインを引いていたっけか、と。
それぞれの本は、俺が引いた覚えのないところまで、ラインが出しゃばっていたんだ。
数年前の記憶だ、あいまいなのは否定できない。それでも、さすがに接続詞オンリーのマーカーとか、国語の授業じゃあるまいし。
俺が使っているマーカーの色と、ほぼ同じ。ぐっぐっと指で押してみるも、色が移ったりはしなかったよ。
次の日はゴミ出し。あの気味悪いチラシも出して、せいせいしていた俺だけど、また学校からの帰り際。
俺のドアポストに、新たなチラシ。今度は緑色で、あのバーコードらしき羅列だ。
ピンク色の奴に比べると、今回は短め。俺はまたもゴミ袋の奥へ突っ込んだんだが、その日から、家全体の様子がおかしくなる。
冷蔵庫が水浸しになり、戸の下から水がおもらししている。見ると冷凍庫に陣取っていた氷や霜が一斉に溶けていたんだ。
去年買い替えたばかりで、今朝まで出力に問題なかったはず。故障かと、手を差し入れてみると、どこかぬるい。調整のつまみをいじっても同じだ。
沸かしたはずの風呂は、俺が少し目を離した隙に冷水へ変わっている。ラーメンをゆでていた雪平鍋は、どんぶりへ移そうとしたとたん、取っ手がもげて麺とスープを盛大に台所へぶちまけた。
極めつけは本棚で、俺が眠っているときにいきなり壊れ、中の本たちが次々に倒れ込んできた。段が壊れるのみならず、大枠すらも破損するほどだった。
そして、その本棚から前回以上に本が消えた。いずれも家探ししてほどなく見つかったが、やはりそのどれにもラインが増えている。
同じようなことが数日続き、室内の家具の7割ほどが機能不全に陥ったころ。
部屋へ戻る俺に、今度は黄色のチラシが顔をのぞかせたんだ。今回は前の2枚よりも詰まったバーコードだったが、一番下に俺が見られる字でうっすらと書かれた言葉がある。
「合格」と。
もしかして、家具たちも試験とかがあるんだろうか。
落第すると寿命がなくなってしまうような、命がけの。その勉強していたんじゃないかと、俺は思ったんだよ。




