脱走兵の末路
「まずはこの家の当主に挨拶をしてもらうわ」
エドワードを連れてルナとジュリアはとある扉の前で告げた。
「いいこと。貴方は私とジュリアに雇われたの。それだけ覚えていたらいいわ。」
些か緊張を孕んだ声でルナは告げた。
「何を言われても毅然としていなさい。貴方の主人は私達よ。」
繰り返した。まるでエドワードに言い聞かせるように。
「お母様。失礼致します。」
ノックをしてドアを開ける。中は先程の部屋よりも広く天井も高い。
玉座にはまるで王様のように一人の女性が悠然と腰掛けていた。
「ルナ。紹介したい方とはそちら?」
エドワードよりも格段に歳は重ねていそうだが、肌の質感はまるで陶器のようだ。
長い睫毛大きな瞳、形の良い唇や通った鼻筋はどことなく己の主人と似ていた。
(そうか、お母様と仰っていたから…)
子供を二人も出産しているようにはとても見えなかった。
「ええ、お母様。エドワード・コリンズ。私兵の脱走兵よ。ジュリアが匿っていたので私達の専属にしようと思うのだけど、構わないでしょう?」
その声は先程までの柔らかさが消え、固く強ばっていた。
「エドワード・コリンズ。これまではどう過ごしていたの?」
当主は黒い愛猫を撫でながら尋ねる。
「この家には500人の家来が仕えているわ。ルナ、ジュリア。貴女達がわざわざお金を出して雇わなくても、アヴァランチェ家はいつでも有能な騎士や執事の経験を積んだ者をつけることができるの。なぜその脱走兵に拘るの?脱走兵だったのなら家には戻れないでしょうし、うちの厨房なら人を欲しがっているわ。」
エドワードは合点がいった。何故、二人の少女が雇用主だと強調したのか。
「お母様。私がなぜエドワードに拘るか教えて差し上げるわ。」
ちらりとルナはエドワードに目配せをした。
「奥様、僭越ながら自己紹介をさせて頂きます。私めは確かに仰る通り脱走兵でございまして身分は農民としてひっそりと妻と暮らしておりました。しかし、成人より10年間とある組織の諜報員として勤務していた経験がございます。必ずやお嬢様方のお役に立てるかと存じます。」
(えーっエドワードってそんな過去持ちだったの!?)
そんなこといつわかったんだろう?
「よく流されなかったわ。偉いわね、エドワード」
微笑んだルナは満足そうだ。
変わった経歴を持つ人が大好きな当主は自分付きにならないか、給料も弾むと誘惑したが、はっきりと自身の主人はルナとジュリアだと断ると無事ルナとジュリアの専属の執事として雇われることとなった。
ジュリアは我が双子ながらルナの嗅覚に舌を巻いていた。
(どうしてエドワードの職業を見抜いてたのよ)
「ジュリア。私がエドワードの正体を見抜いていたことに驚いているのでしょ」
こともなげにルナは言ったが、それはジュリアだけではなかった。
「お嬢様。仰る通り、私めは諜報員として雇われていたことはございます。しかし、その特殊性ゆえ私のみならず家族も危険に晒す恐れもございましたので決してそのような…。」
そう。エドワードが脱走兵ということしか分からないはずだ。
ジュリアも馬鹿ではない。
洞察力や観察力、記憶力もルナには敵わないまでも世間的に見て優れている部類に入る。
のに、わからなかった。
「勿論、諜報員だったことまでは見抜いていなかったわ。脱走の仕方にも計画性がなかったし。ジュリアに出会わなかったら連れ戻されていたかもしれないものね。
だけど、その後の咄嗟に空気を読む力、というか、私達の奴隷になりきってその役割を演じきっていたでしょう?ハイヒールで踏まれて抵抗しなかった様を見て、ただの農民ではないと思ったの。」
なるほど。確かに私兵の制服を着ていたし、彼らに微塵も怪しまれなかったのは主人と奴隷を徹底的に3人が演じきれていたからかもしれない。
そして、ルナは天性のサディスティック性があるからとしても、瞬時にマゾヒスティックになりきりなんの躊躇いもなくハイヒールの靴の裏を嬉しそうに舐めるのは並大抵のことではない。
(ただ楽しんでた訳じゃなかったのね)
我が双子ながらそこが知れぬ女だなとジュリアは心の中で思った。
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