花の幸福…とは?
ハッピーな話を書きたくて。
ゆっくり更新となりますので、気長にお待ちください。
「ねぇリリスちゃん、結婚式はいつがいいかしら?」
バサリ
手に持っていた貴重な魔導書を落とし、リリスは固まった。
「あらあら、大切な本が」
突然の爆弾を投げた張本人は、口許を扇で隠しつつも驚きに目を開くが、見るからに地位の高い女性である。彼女は決してそれを拾うことはない。
その後ろに控えていた侍従が顔を真っ青にしながら慌ててかけより、本を拾い上げたところで、リリスはやっと顔をギギギと動かして横を見た。
「王妃様…今、何と…?」
「嫌だわリリスちゃん。親しみを込めてエリシィと呼んでといっているじゃない。もしくはお義母様でもよくってよ。」
ニッコリと笑う女性は、エリシュリールという名のこの国の王妃である。
ちなみに、彼女たちの居る場所は、王城の一角にある国家魔導士達の研究施設。通称『塔』にあるリリスのための研究部屋だ。
リリスは、幼少より魔導を貪欲に学び、10代にして希代の天才魔導士の名を欲しいままにしている少女だった。
黒い髪は長く、完全なるストレートではないが、天然パーマというわけでもない、まぁそれなりに普通に背に緩く流れた髪をしており。瞳の色はグレーがかった青のような、紫のような、薄いのか暗いのかよくわからない色合いをしている。
一方王妃様はと言えば、燃え上がるような赤く長い髪を複雑に結い上げ、大小様々な石で綺羅びやかに装飾し、深い緑の瞳はらんらんと楽しげに輝く宝石だった。化粧を施した顔は知的にも見えるが、意志の強さが全面に出ており、美しさと相まって圧が強い。
「王妃様…私のような一般市民がそのようなことは恐れ多く…」
「じゃあ、早く結婚式をあげてちょうだいな。そしたら大手を降って、お義母様と呼べるというものだわ。」
顔や態度だけではなく、言葉の圧も強い。
リリスはそれに圧倒されながらも侍従から本を受け取り、無意識に抱き締めた。
王妃様に対し、いち魔導士が何を申し上げたらいいのか…リリスは中級の町人の家庭出身で、そんな事は全くもってこれっぽっちもわからなかった。
なので、頭の色々考えた末に出したのは
「そいう事は、イシス様に聞いていただけたらと…」
丸投げ。それは見事な丸投げだった。
「あらそう?こういうことは、花嫁の気持ちが最優先だと思ったのだけれど。」
「私は王家のしきたりに詳しくない平民でございますので、きちんと慣例に則ってこういうことは進めるべきかと愚考いたします。」
「リリスちゃんがそれでいいならそうしましょう。安心してね。この国で一番良い日を選定しましょう!」
王妃様はいうが早いか、くるりと体を反転させて、颯爽とリリスの部屋を後にした。
その後ろには、本を拾ってくれた侍従と、お付きの侍女さん2人を引き連れていく。
「はぁぁ…」
リリスは緊張からつめていた息をゆっくりと吐いて、折角出した本を、もう一度本棚に戻した。
本の虫で、人に関心がなく、狂ったように魔術の開発に打ち込むばかり…と、これまでずっと周囲に言われているリリスだったが、さすがに王妃様が突然やって来て緊張しないはずがない。
そして、突然言われた結婚の日取りの話…
「結婚って…結婚って…」
話を反芻し、リリスは頬に両手を当てた。茹だりそうになる自分に、静まるようにと言い聞かせるが、なかなかうまくいかないようだ。
「いやでも、プロポーズはされてるから、いつかはそうだけど。でも。そんな。いきなり。いやでも、お受けした訳だし。」
そう、リリスはすでにプロポーズしてくれた人とお付き合いしている最中なのだ。
そして、王妃様がやって来たということは…お相手は当然というべきか、この国の王子様。
第5王子――名を、イシスという。さっきリリスが全部丸投げした相手である。
この国は、少し前に隣国との小競り合いが長期化し始め、いい加減に何とかしなくてはと、国王が兵の増員をはかり、事を納めたばかりであった。
その小競り合いの最中、行方不明になった王子への想いにリリスは気づき、絶対に救い出すのだと普段は出ない塔から自らの意志で飛び出し、王子を見事に救い出し、その後の戦闘でも尽力した。その時既に二人はくっついたのかと思いきや、城に戻ってしばらく経ち、二人はまだ気持ちを伝え合ってもいないことが発覚。一部上層部――いや、王子の両親兄弟は騒然となったが、何とか丸く収まって、現在は恋人同士という関係に至ったのだった。
しかし、プロポーズをしたイシスも、されたリリスも、その後一言も結婚の話を持ち出さない。
仲の良い王家一家である。『プロポーズは成功しました。』と、晴れ晴れとイシスが報告した時には全員が祝福の言葉を投げ、大いに喜びあったものだ。
なのに、結婚の話が、進んでいない。
その事に一番最初に業を煮やしたのは、王妃様だった。
「私は早くリリスちゃんを娘にしたいのに!」
私欲にまみれた叫びと共に、殴り込んだのが先程の話。
殴り込まれたリリスは、これまで研究にばかり勤しんできた十数年が祟り、まずはどうイシスと距離を縮めていけば良いのかわからないなと、密かに数々の恋愛小説を読んでお勉強を独自に進めている最中だった。何とも遠回りな恋愛である。
リリスの魂は、何度も生まれ変わっている記憶を持って何度も何度も違う人生を生きてきた。
だから、恋人同士のあれこれや、夫婦の営みについては十分すぎるほど知識はあった。
が、今生きているこの時代、普通の男女の恋愛とはどんなものであるかを、彼女はあまりに知らなすぎた。
なにせ魔力が人並み以上にあると判明してからは、回せる時間は全て研究に回して生きてきてしまったのだ。若い女の子達のきゃっきゃとした会話も、男女の慣れの染めも、一切聞かずに過ごしてきた。
そんなリリスでも好きになってくれる人がいた。イシスが、想いを寄せてくれたというのが今現在のリリスの状況である。
好きになってもらえたのは良いが、リリスは一度として、イシスに女の子らしい事をしたことがない。
何か間違えてイシスを困らせるのも申し訳ないと考えてのお勉強タイムだったのだが。
「どうしよう。ドキドキしてきた。」
プロポーズを受けて、想いを通じ会わせて、そして結婚。目の前に突きつけられた現実に、心がざわめいて仕方がない。
リリスはソワソワと部屋の中を無意味にうろつき。
「い、イシスのとこに行こう。」
さっきイシスに全て丸投げする様、王妃様に進言した事ももう頭になく、リリスはふらりと部屋を後にしてしまった。
はたして――
イシスの部屋には、王妃がいた。
「あ…」
「リリス…」
「まぁ、リリスちゃん!」
リリスは忘れていたと、顔をこわばらせ。
イシスはやっぱりきちゃったねぇ。と、その行動パターンを読んでいた故の苦笑を恋人に向け。
王妃は嬉しげにリリスに向かって両手を広げ近づこうとした…が、イシスにすっと邪魔をされた。
「あらイシス、いけずねぇ。」
「婚約者ですので。」
しれっとした顔で先にリリスに近づき、リリスと王妃の間を遮ったイシス。
「結婚の話を進める甲斐性のない王子が言っても説得力がないわねぇ。」
ぱさり
広げた扇で顔半分を隠し、意味深な視線をイシスに送る王妃。
その反撃にイシスは はぁ…と、ため息をつくと
「そんなに急がずともいいでしょう。」
さりげない所作でリリスの肩を引き寄せた。
「何を悠長に言っているの。結婚の約束をしたと報告してから、貴方自身からはなんの話も上がってこない。毎日毎日執務室と研究室を行き来しているだけだということは報告を受けていてよ。今までと何が違うというの。」
「うっ…」
イシスは痛いところを突かれたのか、胸を押さえて小さくうめいた。言われた通り、今までと変わらない速度の二人。
プロポーズしたとはいえ、その距離はどれ程近づいたというのか。
「だいたい、プロポーズまでしたというのに、正式に婚約には至っていないのですよ。あなた」
「え?」
「あら、リリスちゃんはやっぱり知らなかったのね。婚約というのは家同士の約束でもありますからね。あなたのご両親に、きちんとご報告はしていて?」
「…じっか…ですか」
王妃からもたらされた情報に驚き、リリスは呆然と呟いた。
「私、ここに来てから一度も、家に…帰ってない…です…」
「あら…」
塔の中にあっても異質なほど研究に打ち込んでたリリスである。
王妃はそこまで詳しくリリスの事を調べ尽くしていたわけではなかったので驚きに吐息をもらす。
「イシス?」
笑顔なのに目が笑っていない王妃の顔。
イシスはギクリとしたが、笑顔を作り、なんですか母上?としれっと述べてみる。が、それがただの悪あがきだとはわかっている。
そこからの王妃の怒濤の口上はすごいもので、イシスの傍らで聞いていたリリスは早い段階で王妃が何をいっているのかさっぱりわからなくなり、くらくらと頭がぶれ始めた。そこをすかさず、イシスがそっと肩を支えてくれる。
「プロポーズが上手くいったという報告からこっち、ちっとも進捗報告もないじゃないあなた。結婚の日取りも決める気配もないとは、甲斐性がないにもほどがあってよ。それでも婚約を整えてじっくりやっていくということであればわかるものを、そういう話を全くしていないなんて。我が子ながら何をしているの。この母がしびれを切らしてこうしてやって来たのも貴方が不甲斐ないからと知りなさい。こうなったら、年内に結婚式はしてもらいますからね。あなたに任せていたらいつになるかわかったものではありません。リリスちゃんのご家族にも近いうちに報告に行くのを忘れてはダメですからね。あぁ、リリスちゃんの結婚費用は王妃予算で組みますから安心なさい。貴方の事は貴方で準備なさい。わかったわね。結婚したら、パレードよぉー!」
オーッホッホッホッホと、高笑いをしながら去っていく王妃。
呆気に取られるリリス。
やられた…という顔で額をおさえたイシス。
結局王妃は結婚をごり押しして去っていっただけの事。
「はぁ…リリィごめんね。」
「えっとね。イシス…今何があったのか、私わからないわ。」
「そうだよね。うん。わかるよ。ちゃんと順を追って説明するから。」
「お願い。」
「うん。でもごめん。ちょっと復活するまで待ってくれる?」
「お茶いれる?」
「お願い。」
部屋に残された二人はしばしお茶を飲み過ごし、イシスが気を取り直し、リリスに向き合った。
「リリィ、僕では母上の暴走を止めることはできないんだ。ごめんね。」
「はぁ…?」
「あのね、母上は僕らに年内に結婚式を上げるよう言うだけ言って去っていったんだ。」
「ね、年内?」
「できれば臣籍降下してからと思って動いていたんだけど…まさかこんな風に来るとは思わなかったよ。」
再度ごめんねと謝るイシスに、リリスは大丈夫とは言えなかった。
というのも…
「パレードって…?」
「うん。ごめんね。リリィ」
本日何度目かの謝罪をし、イシスはまた黙ってしまった。
何はともあれ、二人の結婚はこうして決まり、転がり始めたのだった。