滅びし三つの文明からの手紙
発見された金属ディスクの保存状況は奇跡的にほぼ完ぺきだった。
そこには、こう記されていた。
(以下)
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およそ9000年前、急激かつ爆発的に栄え、5000年以上前に滅亡したという文明――後に独特の祈祷文言から『カルディアナ』と名付けられた文明――の遺跡から、数十年前に見つかった碑文がこのたびようやく解明され始めた。
遅きに失した、とヅルガムのいたる地から散々批判されているものの、また、まだまだ未解明の部分が多いものの、カルディアナというひとつのエポックを知る、非常に興味深い内容であることは疑いもないだろう。
古代文明研究の第一人者であるシンブロ博士が、碑文の翻訳に心血を注いでいるのは既に周知のことではあるが、その中でも、カルディアナが自身『以前』の文明に触れた部分について、分かる限りの範囲でこちらに紹介する。
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カルディアナ、カルダニロム、カルダリナバラブラム、そして更にカルディアナン、崇めたてまつる(なんらかの祈祷語句の後、数行は完全に摩耗による欠落)……そしてその文明の名を仮に『トーチカ』としよう。トーチカ文明は少なくとも一万年前にはその終焉を迎えていたと推測される。トーチカ文明の繁栄は我々の文明からすればほんの一瞬とも言える輝きであった。便宜上文明と名付けはしたものの、彼らのうちでは、『文明』という概念はまったく発達していなかった。また、文明がないということに重ね、●●●(文字? 語句?)もほとんど発達していなかった。つまり、我々現代人のように●●●を駆使して情報を伝達し合うという方法はいっさい使われていなかったのだ。伝わっている語句は数語のみ。文節の形をとるものは全く発見されていなかった。彼らの文明を解明する手掛かりがそれまでほとんど見つかっていなかったゆえに、今回の真の『文明』発見は歴史的とも言えるであろう。
カルディアナ、カルダニロム、カルダリナバラブラム、更にカルディアナン、ああ我々の文明をつかさどる(ここからまた祈祷らしい語句、また数行の摩耗による欠落)
時間経過というものに単に物理的意味しかもたないトーチカ文明には、もちろん音楽や芸術、●●、文学というものは一切存在しなかったと見られる。彼らの文明の中で、唯一尊ばれていたのは、種族の増殖と繁栄という概念であった。
彼らは雌雄同体の集合体であり、種族を増やす時のみ、個体が雄雌いずれかに決定され、雄雌それぞれは互いのより良い伴侶を見つけるため、激しく闘う。
闘いの際には、同性の競合相手を死に至らしめることもある。また、場合によってはより良い伴侶を求めるため、伴侶以外の異性に犠牲を強いることもあった。
彼らの中で地位のある者は数多くの子孫を残し、その子孫の数こそが、彼らの文明そのものであった。
彼らはどのように、互いの意思伝達を行っていたのであろうか? ●●から推察されるのは、彼らの異様なほどの限定された語句へのこだわりである。
彼らが使用し、今までに判明している語句はたったの65種。しかしその9割まで、幸いなことにデンガ師(博士?)の翻訳ツールによって現代語に翻訳されている。
彼らがこだわっていた語句は大別すると『雄』、『雌』、『子(子孫の意)』、そしてこの二種類――『瞬間』と『永遠』。
トーチカ文明においては、この二種類の語はあまりに尊く、反応の仕方も他の語句以上に激しく、当たり前に使用していたとは言い難かった。そして、彼らの文明の引き継ぎ方のユニークさが、現代においてもなお、新鮮さを失わず(数行欠落)。
崇めたてまつる(なんらかの祈祷文)。カルディアナ、カルダ、カルディ、カランダリ●●。
彼らの遺跡はただ一ヶ所のみ知られるだけであるが、その場所は現在でも聖域として崇められている。
多くの師は己を犠牲にして、敢えてそこに踏み込み、今のこの知見を文字通り●●●のごとく積み上げていったのだ。
今後誰ひとりとして足を踏み入れることなかれ。
崇めたてまつる(祈祷文)(以下、欠落)
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『トーチカ』という未知の文明に対する、『カルディアナ』の見解がみごとに示されている内容である。
もちろん、現在の我々にとって、カルディアナすら既に滅亡してかなりの年月が経った文明である。しかしその概念は今でも少なからず、受け継がれているというのが一般的見解である。
それにしても、我々ヅルガムのうちでも、『カルディアナ』でさえ謎多き文明だったのに、それ以上に単なる伝説でしかなかった『トーチカ』文明について、ここまでまとまった文書が解明されたのは、前代未聞の出来事と言えるであろう。
数年前に、前人未到の地であったキジア大陸南部で発見された遺構が、もしかしたら幻の『トーチカ』文明の名残ではないだろうか、と歴史学者の数人が指摘したのには理由がある。
発掘隊が見つけたのは、正確には遺構ではなかった。
彼らが見つけたのは、砂漠の中の単なる石だたみの平面のみ。
しかしそこには、無数の黒い粒が散らばっていた。
触れるとある程度の弾力があり、大きさはどれも、直径1センチ程度という粒が石畳のそこかしこに落ちていたのだ。
発掘隊のひとりが、偶然その粒を踏み潰した。
粒を踏みつぶしてしまったシイガテ隊員は気を失って倒れたものの、すぐに意識が戻って、他隊員からの大丈夫か? の問いかけに、朦朧としながらもこう答えた。
「あれには、詰まってた……一瞬と、永遠とが」
発掘隊は黒い粒を大量に採取して持ち帰ったが、それを解明するだけの時間は我々には残っていなかった。
しかも、持ち帰った粒はわずかな衝撃で次々とはじけ、飛散したその内容物を浴びた者は例外なく倒れ、人事不省となった。
内容物を大量に浴びた者は即時に発狂し、わずかでも飛沫に触れた者は時間を経てから気を失ったり倒れたりして、結局のところ、最終的にはひとりとして助かる者はいなかったのだ。
最初に粒を踏みつぶしていたシイガテ隊員も、任務終了後少し経ってから、錯乱状態に陥ってから亡くなった。
確実に言えるのは、黒い粒に触れた者はことごとく死を迎えたこと、そしていまわの際に必ず、深い満足の表情を浮かべていたこと、だけなのだが。
しかしカルディアナの碑文のおかげで、少なくとも黒い粒がトーチカの文明に関わる遺品ではないか、という推測はたてることができた。
我々の知的好奇心は、わずかにでも満たされたと言えよう。
我々には、どちらの文明の方が近しいのだろうか? そしてどちらがより良いと判断できるであろうか。
文字や芸術を持ち合せ、後の世代に無形の記憶をつなぐカルディアナの文明か。
または、物理的かつ刹那的に一瞬と永遠とを伝える、トーチカの文明か。
それは、我々の後……いつになるか分からないが、ずっと後に現れる次世代の者たちに対しても、同時に投げかける問いなのかも知れない
抗いようのない急激な地殻変動によって、我々に残された時間があとわずかというこの時に、我々ヅルガムはこの記録盤にわずかなる可能性を期待しつつ、深い眠りにつこうと思う。
我々研究者にのみ極秘で配られた、あの黒い粒を噛み砕き、そして。
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(以上)