第一章07 別れ そして旅立ち
月日は流れ、9月。 新学期が始まった。
「おーい庄太郎!」
廊下で遠くから小さい少年が走ってくる。髪は坊主に近い短髪で目はクリッとしている。大神と試合でバッテリーを組んだ三年生でキャッチャーだった三村三平だ。
「なんだ三平」
「僕、決心したよ!」
「ほう」
決心と言うからには凄いことを言うのだろうと予想していると三平は手に持ってる資料を見せてきた。
「僕、静岡聖陵学院に行くことにしたんだ! 庄太郎も一緒に行こうよ!」
それは高校のパンフレットだった。茶畑に囲まれた校舎が自然味溢れる高校の写真が表紙になっている。
「聖陵? 聞いたことないな」
「野球部としては無名だから僕ら二人がバッテリー組んだらすぐレギュラーになれると思うよ。庄太郎は名門とか強豪が好きかもしれないけど、学校のブランド力じゃなくてさ、僕たちの力で甲子園目指そうよ」
三平のその提案には魅力的だった。
実績のある名門の明倭に行って力をつけて甲子園に行くことは確かにレギュラー取るまで険しい道であろうが、甲子園までは最短ルート。しかし、それよりも名門、強豪を倒しながら甲子園目指すほうが楽しいのではないか。楽じゃないけど楽しい道。だとすると、庄太郎には聖陵学院で野球をするのも面白そうだ。
「その選択肢も悪くないな」
「でしょ? だったら……」
しかし、残念ながらその提案は受け入れることができない。
「実は俺、親の都合で三月に東京へ引っ越すことになった」
「……えっ?」
「そんで夏休みに見学に行った東京の紀柳学園から正式にスカウトされてもう、特待生枠での入学が決まったんだ」
突然の上京宣言に三平は驚くことしか出来なかった。
「東京!? シティボーイになっちゃうの?」
「言い方が田舎臭いな。とりあえずそんな訳だ。三平の提案も面白そうだけど、俺はあそこで甲子園を目指す」
「そっか……残念だな」
三平は悲しげな顔をしたがすぐに笑顔に戻った。
「でもすごいよ庄太郎!スカウトされるなんて!」
「半分売り込んだみたいになったけどな」
「それでも認めてもらったってことでしょ?さっすがだなー」
「ありがとよ」
その二人の会話を、隠れて聞いている少女がいた。
「ウソ……」
小さい声が、か細く震えていた。
その夜、庄太郎は公園に呼び出されていた。
待ち合わせの時間からもう10分過ぎているが、当の本人が来ないことに少しイライラしていた。
「あいつ呼び出しておいて遅刻かよ……」
足元にあった小石を蹴飛ばし転がっていく。それを目で追っていくとそこに人影があった。
「おせーぞ」
「うん、ごめんね」
その人影は庄太郎を呼び出した彩音だった。彩音はうつむきながらゆっくり近づいてくる。
「やけに素直だな……」
いつもと違う彼女の様子が気になった。空気が重く感じる。
「で、何の用だよ呼び出したりして」
「うん、あのね……」
彩音の声は少し震えていた。何かに怯えているように。
「東京の学校に行くって……本当?」
うつむいたまま訊いてきた。
「ああ、東京の紀柳学院に決まったよ。言うの遅れて悪かったな。親の転勤が決まって東京に行くことになってさ、そんで引越し先の近くにある学校を見学に行ったらスカウトされた。いやーたまたま枠が一つ余っててほんとラッキーだった」
庄太郎は空気を良くしようと少し大げさに明るく振る舞った。しかしそれも虚しく、重い空気に変化はなかった。
「嘘つき……」
「えっ……」
「私と一緒に明倭を受験するって言ったじゃない……!」
やっと顔を上げた彩音の目から涙が溢れていた。
進学先が決まった庄太郎は、一つだけ気がかりがあった。それ目の前にいる彩音の存在だ。受験のためにいろいろ用意してくれたり、勉強に付き合ってくれていたため感謝していた。結果それが無駄になってしまうことになるから怒るかもしれない。それでも、自分が選んだ道をきっと応援してくれると思っていた。喜んでくれると思っていた。
しかし……
「嫌だよ……東京なんて行かないでよ……ずっと一緒にいてよ……!」
薄い灯りが照らす夜の公園で彩音が涙を流し続けて訴える。
涙を見せまいと顔を庄太郎の胸にうずめる。
「私……好きなんだよ。庄太郎の事好きなんだよ……!」
服の裾を強く握ってきた。
「ずっと好きだったよ……これらも一緒にいたいよ……なんで気づいてくれないの……」
小さな肩も、か細い声も震えていた。
「もう決めたんだ」
決して親の転勤のせいにはしなかった。東京の学校にいく決断をしたのは自分であったから。
「そうだよね……庄太郎はそういう人」
彩音は掴んでいた裾を放して顔を上げた。
「一度覚悟を決めたらとことん突き進むのが庄太郎だよね。今更私が何を言っても変わるわけがないんだよね」
「ごめん」
庄太郎は彩音の目をまっすぐ見ることができなかった。
「さっきの、やっぱなし。好きって言ったの忘れて」
「いやでも……」
「私、遠距離とか無理だから。だから絶対何も言わないで。どっちの返事でも絶対辛くなるから……」
彩音は目を合わせようとしなかった。
「……わかった」
「うん、ありがと」
そう言うと彩音は庄太郎の胸に拳を当てた。
「東京で目一杯暴れてきなよ。そんで絶対甲子園に行ってよね。中途半端な事したら本気で殴りに行くから」
「ああ……約束する」
「うん、約束」
二人はやっと目を合わせて笑いあった。
「それじゃ……帰るね」
「おう」
「うん」
——サヨナラ……
彩音と別れた帰り道、頭の中に今までの思い出が蘇ってきた。
シニアの練習で出会った時に緊張していたこと。
理不尽な先輩に立ち向かった時、ただ一人かばってくれたこと。
バレンタインにいびつな形をした手作りチョコをくれたこと。
エースになった時、誰よりも喜んでくれたこと。
気がつけばいつも隣にいたこと。
花火大会に行ったこと。
「そうか……」
ーー俺はあいつが好きだったんだ……
溢れている涙がそう語っている。
自分の想いに気づいた時はもう遅かった。
もう後戻りはできない。前に進むしかない。
せめて彼女との最後の約束だけは果たそうと誓った。
それから庄太郎は彩音と一言も話すことはなかった。クラスが違うため顔を合わせることも少ない。一日に一度もない日もある。周りから気を使われたりもしたが煩わしかった。
日に日に彼女のことを好きだという気持ちは薄れていったが、それでも彼女との約束だけは忘れなかった。
季節が変わって3月。 中学を卒業し、引っ越しの日が迫っていた。
「庄太郎、話がある」
父に呼ばれてリビングの椅子に腰掛けた。
「引っ越しの準備ならもう終わるぞ」
「いやそうじゃない、それも大事なんだが……」
父は言葉を濁らせた。
「なんだよ」
「実はな……」
父は一呼吸おいて衝撃的な事を言った。
「東京への転勤、なくなっちゃった」
「……………………はっ?」
庄太郎は混乱した。何から訊けばいいかわからない。
「ちょっと待って、待て待て待て、俺、もう東京の学校決まってるんだけど」
「そうなんだよな……しかもスポーツ推薦だし、特待生出しもったいないよな」
「もったいないじゃねぇよ。俺は何があってもあそこに行くぞ」
今更引き返せない。どれだけの代償を払ったか。どんな思いで決めたのかと思っているのかわからないだろと言いかけた。
「わかった。それじゃ、庄太郎だけ東京へ行け。買ったマンションも勿体ないしな。父さんたちは別で引っ越すから」
「別で?」
「実はな、転勤先が変更になって海外になったんだ」
「海外……どこ?」
「聞いて驚け。なんとロサンゼルスだ」
「かっこいいな!」
「だろ? 更に上に行ったわけよ。年収もアップだ」
父は仕事の自慢をしだした。正直、この父がいったいなんの仕事をしているかイマイチわからない。ザックリと聞いたことがあるが理解しなかった。今も訊くつもりはない。
「それじゃ一人暮らしか……飯とかどうしよ」
一人で生きていけない心配は食事だけであった。料理はできなくはないが、毎日練習帰りに作るのはしんどい。きっと買い食いが多いだろうと今から考えた。
「もともと居候する予定だったら恵里香が面倒みてくれるから安心しろ。頼んどくから」
「あーそういえば」
恵里香とは父の兄の娘に当たる大神恵里香。少し天然なところがあるが昔から面倒見がよく優しい姉さんだった。今は東京の大学に通っていて一人暮らしをしている。庄太郎達が住むマンションが大学から近いから居候するという話があることをすっかり忘れていた。
「だから庄太郎、二人でがんばれよ。たぶん三年間は帰ってこないから」
「高校生活まるまるじゃねぇか。ま、いいけど」
仕事だから仕方ない。その稼いだお金で学校に行かせてもらえて夢を追えるのだから。
こうして両親はロサンゼルスへ引っ越す前、庄太郎は先に東京へ引っ越しの日を迎えた。静岡駅の新幹線ホームへ見送りに三平や滝川など元チームメイトや後輩など友人が何人か駆けつけてくれたが、やはりそこに彩音の姿はなかった。
「庄太郎! 東京もんに負けないでよね!」
三平は選別にとシュークリームをくれた。さすがは元相棒、好みを分かってる。
「俺も大神さんを目指して必ず強くなります」
「お前なら大丈夫さ」
新しいエース、滝川と固い握手をした。
しばらくみんなと思い出話しなど話込んでると東京行きの新幹線が到着した。
「それじゃあみんな、またどこかで会おうな」
庄太郎は新幹線へ乗り込もうと荷物を持った。
「僕も必ず甲子園に行くから! 対戦したら容赦しないからね!」
三平は強気に言い放った。お調子者の彼が言った言葉であるが、庄太郎はこの言葉を信じた。必ず対戦することになると。
「全打席三振にしてやるよ」
負けず嫌いの庄太郎も強気に言い返す。 たとえ元相棒でも負けるつもりはない。
「……それでも、それでも、必ずまた会おうね!」
「ああ!」
最後に三平とハイタッチして庄太郎は新幹線に乗り込んだ。仲間との別れは辛いけど、これからの出会いの始まりだと言い聞かせ、庄太郎は東京へ出発した。
ーー覚悟を決めたら突き進むのが俺か……
彩音に言われたことを思い出した。今はも会えない大切だった人の言葉。せめて、それだけは貫き通す。
東京の紀柳学院で甲子園を目指す覚悟はとっくにできていた。
「限界までぶっ飛ばしてやる……!」
希望を抱いた新しい日々が始まろうとしている。