一章 第七話月下に運命
―オオワニヒコが死んだ夜、オオシバヒコの屋敷
コムクリは満月の下にいた。
オオシバヒコの屋敷の裏手、誰も居ない場所、そこで彼は全裸となり、夜にその身をさらしている。
杖を傍らに置き、両膝を地面に立て、両手を足の付け根に置いて静かに息を整えるコムクリ。
やがて彼は立ち、傍らの杖を手に取ると、頭の上で相手に向けて切っ先を垂れるいつもの構えを取った。
彼はそのまま足を決められた歩法のままに、前へ後ろへ、そして右へ左へと動かす。
スゥーッ……ハァっ……スゥーッ……
息継ぎが辺りに響く。
目は虚空をとらえ、そして一歩、また一歩と両脚は緊迫感のある一歩を繰り返した。
頸より下。全身をくまなく覆うコムクリの刺青が、月光を浴びて青ざめて煌めく。
やがて……その全身に吹きあがるほどの汗がまとわりついた。
構えるコムクリが素早く動く。
時に構えを下段に構え、そして持ち手の左右を入れ替え、体の左右を入れ替え、コムクリは息を荒げながら一歩、また一歩と動く。
やがてコムクリは若き18歳の顔に、怒りをみなぎらせ、杖を高速で振るう。
杖で打ち払い、薙ぎ、そして高きより打ち落とす。滑らかに、そして無駄なく体の向きが、その一連の中で左右が入れ替わる。
迫る剣を根元で押さえながら体の外へ逃がし、それと同時に一撃を突きいれ、引いたと同時杖を上段に構える……
杖を振るうコムクリは、その行動様式を体に染み込ませるように、幾度もたどった。
「はぁ、ハァ、ハァ……」
息を荒げ、虚空の中に居る、想念で出来上がった敵と戦い続けるコムクリ。
やがてそんなコムクリに誰かが拍手を送った。
思わず振り返ると、そこにはいつもの何処かからかう様な笑みを浮かべた、イサゼリが居た。
見られたくないモノを見られて、思わず目を大きくするコムクリ。
そんなコムクリに向けてイサゼリは言った「そのままそっちを向け、汚い物が見える」と。
言われるがまま思わず前を向いたコムクリ、イサゼリは「ずいぶんおもしろい杖を使うな、コムクリ」と言った。
「え、ええ……」
「私の知っている杖の使い方ではないようだ。お前は一体何処で習ったのだ、その戦う術を?」
尋ねられた瞬間、思わず泥の様な重い唾を飲み込むコムクリ。
彼はかねてから用意していた答えを、澱みなく答えた。
「戦う術ですか?森や山、そして養い親のエミシのオンジより学びました」
聞いたイセザリは、フンとその言葉を鼻で笑い、咎めるように言った。
「エミシのオンジか……
しかし本当にエミシの術なのか?
エミシは野蛮ではあるが諍いは好まぬ、むしろ怠惰な連中だ。
彼等は食うに困ると判って居ながら、田畑は耕さぬし、何かあった時の為に、食料を貯めるのも最低限にしてしまう。
そんなエミシにあれほど巧みな杖を使う者が居るとは、これまで聞いた事がないのだがな」
「そうですか、ですがエミシも最近は諍いを多く行います」
コムクリがそう言うと、イサゼリは何か言いたそうな口を一瞬閉ざし、そしてしばらくして再び口を開いて尋ねた。
「では別の事を聞こう、今日のオオワニヒコの事だ。
あの時私は、お前が“エツから来た、鬼の手下”だとオオワニヒコに言ったのを確かに聞いた。
アレはどう言う意味なのだ、コムクリ……」
コムクリはソレを聞いて静かに目を閉じた。
やがて観念した彼は静かに答えた。
「オオワニヒコは人間をやめて“キ”と呼ばれる妖になりました。
ウェイでは“オニ”と呼ぶ、あの恐ろしき妖です。
鬼も幾種類ありますが我が追っているのはエツと言う、かつてアヤの国南方にあった国で生まれた鬼どもです」
もっと聞きだすのに抵抗を受けるかと思っていたイセザリは、意外な思いでその告白を聞いた。
「ほう……」
コムクリの言葉は続く。
「オンジはタケミノ方様をお世話した際、あの方に頼まれたそうです。
イズモを苦しめた、あの鬼を倒す術を、誰かウェイ人に伝えてくれ……と。
志半ばで倒れる我の願いを引き継ぐ者に、この戦いのやり方と、そしてエツの神を渡してくれと」
「どう言う事だ?」
コムクリは背中でイサゼリの声を聞き、逡巡を重ねた末に、思いきった声でこう尋ねた。
「長い話しになりますが、我の秘め事も含めてお話しましょうか?」
イサゼリは「言ってくれ……」と言って、コムクリに話の続きを促した。
コムクリは躊躇いをしばし胸に浮かべた後、静かに語り出した。
「イサゼリ様、我は本来あなた様からこのような歓待を受けてはいけない身の上なのです」
「ほう……」
「我は太市の生口でした、父はムクリの咎人、そして母はそんな父に犯されてしまった被害者です。
我は誰からも祝われる事無く、呪い子として生まれ、占いの結果我を殺せば大きな災厄を招くと言った、美和山の巫女の言葉のおかげで生きる事が出来ました。
占いで使う骨の罅が、もう少し別な場所で割れていたら、我はその日に死んでいたのでしょうね」
コムクリが生口、つまり奴隷だと聞かされて、イサゼリは瞬時に嫌悪感を抱く。
つまり彼は穢れの塊だった。
「…………」
次の瞬間、黙るイサゼリの脳裏に、今日果敢に鬼へと挑み、そして圧倒的な力でオオワニヒコを倒したコムクリの姿が蘇った。
そして胸に湧くコムクリの強さへの賞賛、そして穢れた存在であったことへの嫌悪感。
それらがせめぎ合ってイサゼリの心を、苦しめ始める。
そんなイセザリの様子を見る事無く、背中から感じる気配で全てを察したコムクリ。
目線を天空の月に投げ、秘密を明かした事で、心を軽くした彼は、月に微笑みかけながら言葉を続けた。
「我はウェイ人になれませんでした、生口として幼い頃から痛めつけられ、絶え間なく飢えながら暮らしました。
自分には民族と呼べるものは何もなく、唯怒りだけが我を我たらしめたのです。
オンジはそんな自分を買ってくれました。
オンジは私を愛し、生きる術、戦う術を授けてくれました。
だけどそれは私を憐れんだからではありません、オンジにはオンジの理由が在ったのです。
……オンジには呪いが掛けられておりました。
昔アヤの国にあった、エツと言う国の呪いです」
「エツの呪い?」
「ええ、タケミノ方様より賜ったと、オンジは言ってました。
タケミノ方様は敵である鬼を倒すべく、恐るべき秘術、恐るべき呪いを携えてスワの海へとのがれました。
ですがタケミノ方様は、決してその呪われた力を使おうとはしなかったのです」
「何故だ?使えばイズモはアワジの大王に敗れる事は、無かったやも知れぬではないか?」
「イサゼリ様、我の刺青を見て下さい、刺青は別に珍しい物ではございませぬが、彫られれている文様は、決してエミシやウェイでは彫らないモノです。
コレは、私の体に神を封じ込めている証なのです」
「どう言う事なのか判らないが?」
「イサゼリ様、人は鬼になる事が在ります。
そしてタケミノ方様はソレを知っておりました。
イサゼリ様はあの強大な力を持ったオオイズモの国が、なぜ天孫に敗れたのか分かりますか?」
コムクリの話が不意に変わる、その違和感に、イサゼリは沈黙で答えた。
コムクリは、会話がずれていることを承知で話を続ける。
「アワジの大王の傍に……鬼が居るのです。
人の姿をし、人と全く変わらない生活を送る、もっと恐ろしい鬼が。
イズモはその鬼達に敗れたのです」
「それはつまり……」
「エツから来た鬼どもです」
イサゼリはコムクリがそう言った瞬間、鬼になったオオワニヒコの姿を思い出し「まさか、オオワニヒコは」と呟く。
月を見上げるコムクリは静かに頷きそしてこう言った。
「アワジの大王の元に要る、エツで生まれた純血の鬼が、このヤマトにやって来たという事です。
彼等はどのような術を使うのかは知りませんが、人を鬼に変えます。
おそらくオオワニヒコは“純血の鬼”に食われたのでしょう」
「お前は、いったい……」
「我はオンジから、その全てを引き継ぎました。
ヤマトに帰って来たのは、此処からアワジに渡り、大王の傍にいる筈の、鬼どもを殺し、エツの神をアヤの国に返す為です」
「大王の元に行くのかっ!
それは認められぬぞコムクリっ」
イサゼリは早まった事をしようとするコムクリを咎める様に言った。
「呪いなぞほどけるであろうが!
大王は我らにとって大事なお方、お前をアワジに行かせる訳にはいかぬ!
どうしても行くと言うなら、私は今ここでお前を殺さねばならぬぞっ」
コムクリは黙って月を見、そして静かに涙を流した。
イサゼリはその涙の意味が判らない。
彼女はコムクリを激昂して咎めたが、その涙を見てその強い感情を思わずなだめた。
コムクリは言った。
「イサゼリ様、貴方様でも私を留める事は出来ませぬ」
明確な拒絶に貴人のイサゼリは、自尊心から来る怒りを抑えながら言った。
「理由を言え……コムクリ」
コムクリはポツリと寂しそうな音を立てた。
「私は務めを果たせなければ死ぬのです。
30歳にもなれず……オンジの様に」
イサゼリは思わず目を見開いた。
涙を流し、微笑んで月を見上げるコムクリの表情に嘘は無く、彼は思い出を辿りながら、月に語る様に言った。
「タケミノ方様は、死んだとき29歳でした、呪いの力を借りても、そして借り無くても彼には運命が残って居無かったのです。
だからタケミノ方様は志半ばで倒れました、呪いの力を使っても、志を果たす事が出来ないと判っていたからです。
彼はオンジに全てを託し、雄々しく戦い、そしてスワの湖辺で果てました。
オンジはソレを引き受けました、しかしオンジは優しい男です、彼は諍いに向いた性根ではありません。
だから乱暴な性格の子供ならば、務めを果たせるのではないかと考えたのです。
だから“我”なのです。
我はムクリの子だからでしょうか?諍いを好みます。
オンジが悲しむから、見境なく諍う事は致しませぬ、致しませぬが、どうしても諍いが好きなのです。
オンジは我に戦いの術を伝えました、我が乱暴な性格だから我を引き取って育てたのです。
……なのに彼は我に優しく接しました。
我は、オンジが好きでした、優しかったからです。
オンジは我の心を救いました。ですが我に死の呪いをかけました。
ああ、残酷で優しきオンジ……
色々考えましたが、我はオンジに恩が在ります。
死にたくはありません、どうせ死ぬと言うならば、オンジやタケミノ方様の願いを叶える為に死にとうございます」
「ならぬ、ならぬぞコムクリ……」
「イサゼリ様、申し訳ございませぬ。
我は此処に留まれませぬ、今すぐ太市を立ちます」
イサゼリは信じられない与太話を聞いたと思って、思わずコムクリを怒鳴りつけようとした。
……その時である。
大きな羽を広げた影が満月の光を一瞬遮り、そしてオオシバヒコの屋敷の屋根に降り立った。
振り返るコムクリとイサゼリ。
見ると屋根の上には肌が透けるほど薄い、チイと呼ばれるアヤの国の女性の服を身にまとった、背中に黒い翼をもつ女がそこに居た。
豊満な肢体を持ち、妖艶な貌をなまめかしく動かしながら睥睨する様に、高所から見下ろす異形の女。
女はコムクリの姿を見ると、挑発する様な笑みを浮かべて語りかけた。
「久しぶりと言うべきか、それとも初めてと言うべきか。
一体どちらだと言うのかねぇ?」
その声が響いた瞬間、コムクリの全身を覆う刺青が、生き物の如くうねりだす。
焼けつく様な憎悪が全身をのたうちまわり、そしてコムクリの意識を乗っ取ろうとしだした。
必死で抵抗するコムクリ。
呻き、悶えながら全身を震わせる彼に、イサゼリは恐れを抱きながら言った。
「まさか、お前も鬼になるのか!」
コムクリはソレを聞くなり、殺意に満ちた目をイサゼリに向けた。
「小娘!私はかよう下劣な者にならぬ!」
普段とは違う、低く怒りに満ちた声音で叫んだコムクリ。
突如豹変したその様子に、イサゼリは思わず言葉を失う。
これを見て、屋根にいる女が笑いだした。
「ほほほ、面白い事を言う女ね。
まさかミズチともあろう者が、まさか我々の様な存在と同じに見られるとは……」
「黙れ、掩日!
貴様等クズ共と同じに見られる等、私は許さぬ!」
コムクリは低く、そして恐ろしげな声で掩日と呼ばれる、翼の生えた女を脅した。
掩日は「ほ、ほほほほ」と、コムクリを屋根の上から嘲笑うと言った。
「やれる物ならやってみるがいい。
エツではお前に散々に世話になった。
お前が我等を憎むように、我等もお前を憎んでおるのだよ……ミズチ」
ソレを聞くコムクリの瞳が、縦長の瞳孔へと姿を変える。
そしてギリギリと歯ぎしりをしながら掩日の顔を睨みつけた。
コムクリは怒りに震えながら「他の連中もアキツ島に来ているのは判っている」と静かに口走った。
掩日はそれを聞いて「ふふ……」と笑い、こう言った。
「さぁ……どうかしらね?
私は知らないわ」
「掩日、貴様は何故ウェイ人どもの国に来た?」
掩日は「ミズチともあろう者がそのような事を知りたいのかえ?」と、面白そうに尋ね返す。
「アヤの国と比べて明らかに劣る国だ。
貴様等が望む物が在るとは思えん……」
掩日はコムクリの話を聞くと、恋い焦がれる様な眼で月を見ながらこう答えた。
「そう……此処は全てが未開の野蛮な土地。
まるで私が生まれた頃の、大河沿いの世界のよう……鉄も文字も無かった、今よりも人間は少なくて、そして非力だった。
今のアキツ島はそれに良く似ておる。
アソコでは人間達は恐れを抱くと、好んで人間を我らに供物として差し出した、我等は少し彼らに便宜を図れば飢える事も無かったしのう。
……我々鬼は、あの国で神であった。
だが、エツの国がやって来た時、全てが変わった。
あの王が我等を貴様と共に封印したからじゃ!
我等は空腹では死ねぬ、剣に封じられ何百年も苦しみを味わった!
仲間も無く、ただ暗がりで何百年も、孤独と空腹に苦しんで過ごす辛さ等、貴様には判るまい……
しかも、エツの国を守るために力を常に吸い取られ、生かすでもなく殺すでもないあの境遇は、決して忘れぬ……
思い起こすだけでも一生の恥辱じゃ。
だがそんなエツの国はもう無い、ソの国に滅ばされ、そしてソの国はシンの国に滅ぼされ、そしてシンの国はアヤの国に滅ぼされた。
我等は封印をほどくのに必死だった、成し遂げたがなぁ、おかげさまで。
憎い貴様は恩人よ……ミズチ」
恩人と呼ばれ、コムクリは不愉快そうに顔を恐ろしげに歪めた。
ソレを見下ろす掩日は「フッ」とコムクリを鼻で笑い言葉を続けた。
「数百年ぶりに世に出た時、全てが様変わりしておった。
恨み骨髄までしみていたエツの国がもう無かったのじゃ……恨みを晴らしようも無い。
それにアヤと名乗ったあの国が、私には私の故郷にはとうてい思えぬ。
作られる壺の絵柄に見なれた図柄は無く、はびこる教えは堅苦しい物ばかり……
身なりも昔とは変わり、かつて尊ばれた誠実を秘めた野蛮さは、洗練と言う名の狡猾さに変わり果てた。
……アレはエツでは無い、かつてはエツであった物かもしれぬが。あんな紛いモノはエツでは無く、そして故郷でもない。
ならば我等は新しき故郷をこの地に作ると決めた。
此処は今でも人間を我らに差し出してくれる。食料には困らぬでの……」
掩日の話を聞いたコムクリは眼を細め、そして恐ろしげな声音でこう尋ねた。
「すなわちウェイ人達の国を乗っ取り、自分達の国を作ると言うのか?」
この問いかけに対し、掩日は答えた。
「ミズチ、そなたも我等と共にこの地で国を作らぬか?
最早準備は整った、後は決起するのみ」
聞いたコムクリは激昂し、アヤの言葉で叫んだ。
『良迷い事を申すな!
うぬらに受けた仕打ちは決して忘れぬ!
その恨みを果たす為なら、万里の波濤だって越えた……
貴様等を一匹たりとも生かしてはおかぬ、幾千年掛かっても、そして行く道に万里の距離が横たわろうとも。
うぬらは全員皆殺す!震えて待つが良い。
掩日、断水、転魂、懸剪、驚鯨、滅魂、却邪、真鋼。
貴様ら安心して暮らせる場所等、この世の何処にも無いと知れいッ!』
ソレを聞いた掩日は端正な顔を憎悪で歪めながら言った。
「しつこい男じゃ、だがその体で果たしてソレが出来るかえ?
ミズチほどの神が人間に憑依しても、所詮人間は人間。
お前の本当の力は使えぬ……」
得意げにコムクリにその不利を諭す掩日、ソレを見て鬼気迫る形相でコムクリが叫んだ
「私は昔の私では無い……邪となり、悪となっても貴様等を倒す。
かつてのぬるい私はもう何処にもおらぬ!
この者は命と引き換えに私を宿したッ」
コムクリがそう言うと、掩日は羽をはばたかせて天高くに飛び上がる。
そして「ミズチ、咎(罪)を重ねたか」と言い、南の山へと飛び去る。
「逃げるか!掩日。
何処までも追い詰めてやろう、逃げられると思うな掩日!」
コムクリはその背中に怨嗟の声を上げ、そして掩日が消え去るまでその姿を見つめた。
やがてコムクリは手にした杖を手放し、体を地面に伏せながら慟哭しだした。
「ハク……ハクや……
やっと見つけたぞ、やっとだ……
う、うぐッ、ふぅぐっ……お、おおお、ハクや……許してくれ。
必ずお前の魂を救う……」
コムクリはそれだけを言うと、意識を手放しそしてその姿勢のままで、果てる様に目を閉じた。
その目からはとめどなく涙が溢れ、そして全身の筋肉からこわばりがほどけて、静かに呼吸と共に上下しだす。
その傍らで、これまでのやり取りを見ていたイセザリは、混乱し、恐れる様な眼でコムクリの表情を覗き見る。
彼は先ほどとは打って変わり、年相応の18歳のあどけない表情を浮かべ、やがて静かな寝息を立てた。
コムクリが眼を覚ます様子は無く、今しがた見た者が嘘であったかのように、安らかな顔である。
ソレを見ながらイサゼリは「コレは幻かそれとも現実なのか?」と呟く。
やがてかぶりを振るったイサゼリは、興奮を秘めた声で言った。
「……いや、神が私の前に現れたのだ。
そうだ、そうに違いない!
私の願いを叶えるために、きっとスサノ神が私にコムクリを使わしてくれたのだ!
私を閉じ込めたヤマトのくびきから、解放してくれようとのご配慮に違いない!
そうだ、そうに決まっている!
湖からひらりと舞い込んできて、それがタケミノ方様の縁者であった。
そして現れるなり、私を苦しめる事に執念を燃やす、あの蛇の様な性根のオオワニヒコを成敗した。
これが偶然であるには出来すぎであろう!
間違いない、スサノ神の信心がコムクリを私に引き合わせてくれたのだっ!」
イサゼリは信じた、コレは決して偶然ではないと。これをきっかけに自分の人生は大きく変わっていくのだと。
イサゼリは決心した。迷いを持たず、コムクリの存在を神の意志だと信じた。
足元には悲しみ、涙で顔を汚したコムクリが眠る。
イサゼリはソレを見ながら、暫くコムクリを自分の身から離さぬようにしようと、決めたのである。
感想、お気にいり、評価の程を是非とも頂きたく思います、それが小説を書く上での励みになります。
どうかよろしくお願い致します