一章 第六話鬼となった男
―オオアマミノミコトの宮殿内、大広間
「ミコト様、訴人のオオワニヒコ様が参られました」
取り次ぎの人間がそう声をかけ、最初にオオワニヒコを連れて、大広間へ入室した。
大広間の中央には見事な銅の大鏡が飾られ、青々とした大麻の束が、真榊として鏡の前に置かれている。
この装飾の意味なす所は、裁判は人だけでは無く、神が見ていると言う事を示している。
オオアマミノミコトは、そうした神を顕わす銅の鏡の前に端座し、そして厳かに言った。
「入るが良い……」
オオアマミノミコトの言葉に従い、オオワニヒコが入室する。
部屋の中にはオオアマミノミコトだけでは無く、ワニ氏やカツラギ氏、アシダ氏等の有力豪族の面々が顔を連ねる。
彼等はこの裁判の見届け人なのだ。
オオワニヒコが、皆の前に姿を露わすと、ワニ氏と縁のある豪族から「励めよ、オオワニヒコ!」とか「負けるでないぞ!」等の励ましの声が上がる。
ソレを制する様に、別の取り次ぎの者が「被告人のイサゼリノモモカヒメ参りました」と告げた。
オオアマミノミコトは先程同様に「入るが良い」と言って、被告人の入室を促す。
やがて手珠や、頸珠をジャッ、ジャッと響かせ。イサゼリが入室した。
入ってきたイサゼリを見て、皆は輝く何かが入って来たと思った。普段よりも格段に美しい姿のイサゼリノモモカヒメ。
彼女は静かに指定の場所に座り、オオアマミノミコト、及び居並ぶ重臣たちに頭を下げる。
彼女は、好意的と言うより、ワニ氏に批判的な豪族から「若いのに立派な振る舞いだ……」と、独り言の様な励ましの言葉を貰う。
こうして双方の対立に様々な人の思惑が巡り、奇妙な空気を孕みながら裁判が始まった。
まず訴人の訴えを朗々と、記憶力に優れた家臣が、皆に告げ始めた。
「オオワニヒコの訴えの元、これよりオオシバヒコが子イサゼリノモモカヒメの審議を行う。
両者は神の名に於いて、嘘偽り無く本当の言葉を吐くべし。嘘偽り申せばただちに神罰が下るであろう。
両者良いですな?」
イサゼリと、オオワニヒコは互いにコクリと頷いた。ソレを見て言葉がさらに続く。
「オオワニヒコの訴えによれば、昨日夕刻の頃、ヤマトの湖辺にて両者は偶然に遭遇、その時エミシ装束の者が現れて、イサゼリノモモカヒメの命を受けて、オオワニヒコが家臣ナラシバのくるぶしを棒にて叩きつける。
ナラシバは倒れ、出仕も叶わぬほどの負傷をおった。
以上間違い無いか?」
判官役を務める、家臣の声にまずイサゼリが声を上げる。
「その言葉は正しくありません!
私をオオワニヒコは待ち伏せており、証拠に私をオオワニヒコの家臣は弓で脅しました!
故に私の家臣がナラシバと揉めたのです
待ち伏せでなければ、あのように弓を用意して私を襲うなどない筈です!」
ソレを聞いたオオワニヒコは激怒して叫んだ「偽りを申したのは貴様だ!私は断じて待ち伏せ等してはいない」
イサゼリは眼を尖らせながら言う。
「ならばなぜ、私に弓を射かけたのだ!」
「そなたが悪いのよ、そなたがその怪しげな風体で人の心を惑わすのがな」
このオオワニヒコの言葉は、軽率だ。
何故なら弓で脅したと証明した様な物だからだ。
ワニ氏に誼を通じる豪族は、この言葉に目を見開き、次に苦々しい表情でオオワニヒコの顔を見た。
彼は言外に(馬鹿正直に話すな!)と伝えたつもりだったが、オオワニヒコは(お前は俺の味方では無いのか?)と思い、逆に睨み返してしまう。
その様子を見ながら、イサゼリはオオワニヒコが容易に挑発に乗りそうだと判断し、さらに過激な言葉で攻め立てる事にした。
「私の話を聞いていたのか?
愚かな男だ、私は何故弓を射かけたのか、と申しているのだ。
身姿が悪いから弓を射る?
それが通用するなら祭りで、仮面をつけた者だって身姿がおかしかろうが!」
オオワニヒコは顔を赤く染めて「私を愚かだとは貴様無礼であろう!」と叫ぶ。
そしてイサゼリを震える手で指し示しながら、席を立って詰め寄りこう言った。
「そもそも仮面をつけた者達は、神に捧げる舞を踊る為に仮面をつけているッ。
貴様の様に常日頃から怪しい……」
オオワニヒコの言葉を制する様に、イサゼリは咎める様に叫んだ
「双神山に居るヤマトのクニツ神の岩座は、我らがアワジのミクリヤノスメラヒメよりし守護を命じられた場所。
私はその神に仕える者だぞ……
私のこの身姿はそれにふさわしい物だ!
あなたはオオワニヒコは大王の姉であり、大巫女様でもあるミクリヤノスメラヒメを軽んじるのか!」
話を大きく展開するイサゼリ、大王の名が出た事でオオワニヒコは動揺する。
「大王に逆らうつもりなどは、決してない……」
「ならば身姿が原因で私に弓を射かけるとはどういう事だ?
答えよ!オオワニヒコッ」
オオワニヒコはワナワナと口を震わせながら言った。
「狩りに出かけたのだ、そなたとはその帰りに遭遇したにすぎぬ……」
イサゼリはフンと鼻でオオワニヒコを笑いながら言った。
「狩りの帰りですか……それでは弓を持つのも仕方がないですね。
だがそれで私に弓を向けても良いと言う事にはならない筈だ。
ちなみに……話は変わるが当日の狩の獲物は何だったでしょうか?
私はその日、あなた方の獲物を見てはいないのですが」
「獲物は取れなかった」
「……ソレを私に信じろと?」
「私が嘘を申したと言うのか!」
「ウソかどうかは分かりません!
ただ私は信じられぬと申したのです!」
オオワニヒコは口をワナワナと震わせた。
……黙るオオワニヒコ、赤かった顔が青ざめて行く。
沈黙が、イサゼリの言葉を正しい物だと証明する様にこの場に居る全員の心に広がっていく。
……まだ裁判が始まって僅かしか無い時間で、自滅する様に崩れて行くオオワニヒコ。
この一連の流れに、ワニ氏と誼を通じる豪族は思わず声を上げた。
「ミコト様!オオワニヒコは本日心が異常をきたしております!
普段はこの様に分別も判らぬ者ではございません!」
イサゼリは思わずこの乱入者に噛みつく。
「なんだ!此処は神前の裁判の場である!
関係のない者が分け入るのは許され……」
「ミコト様!オオワニヒコの様子がおかしいっ。なにとぞっ、なにとぞ日を改めて下さりませッ!」
オオアマミノミコトもこれには賛同した。
「う、うむ。オオワニヒコは昨日から良く寝ておらぬ、何やら今日の振る舞いも常日頃のソレとは別物であった。
どうやら日を改めた方が良いようだな」
イサゼリはたやすく掴みかけた勝利が、外部の人間の介入で消されゆく様子に、激昂して言った。
「納得できません!
そもそも私を訴えたのはオオワニヒコであります!
普段と違うと皆様はおっしゃいますが、私にはいつもと同じにしか見えませぬ!
もし裁判を今日しないと言うなら、私への訴えは今この場で取り下げて頂きたい!」
イサゼリのこの言葉はワニ氏と仲の良くない豪族も、そしてどっちつかずだった豪族も同意し「そうだ、そうだ」とか「重ねて裁判をするよりも、今この場で取り下げるべきだ」との声が上がる。
ワニ氏側の豪族たちも『致し方あるまい』と声を上げ、このまま終わりを迎える流れが生まれた。
……この時である「ぬ、ぬああああ」と、悲痛の呻きを上げて、オオワニヒコがその場で頭を抱えてうずくまり始めた。
「ああ、ああああっ、ああああああ」
オオワニヒコのすぐ傍らにいたイサゼリは、オオワニヒコの様子に目を見開く。
オオワニヒコの皮膚が目の前で徐々に青く変化し、そして毛が徐々に生え始めたからだ。
「な、なんだ?」
思わず腰を浮かしてオオワニヒコと距離を開けるイサゼリ。周囲の人間も「どうした?一体何が……」と言って不安げにオオワニヒコの様子に目を向ける。
この時、オオワニヒコが苦しそうなうめき声でこうつぶやいた。
「わ、私は異常ではない、おかしくは無い……」
そう言うなり、床の上で小さく身をたたむオオワニヒコ。やがて頭を抱える彼の手が皆の見る前で瞬く間に大きくなり、そして尖った爪もまた手と同様に伸び始める。
「おかしいのはお前達の方だ、お前達がこの女を庇い立てするから、国は乱れ、そして姉上はおかしくなったのだ……」
うずくまったまま語り続けるオオワニヒコ。髪が長く伸び始め、全身の筋肉もまた、服の上からでも判るほどに盛り上がっていく。
「ミコトを支えたのは我らがワニ氏である」
オオワニヒコがそう呟いた時、ついに服は裂け、そして隆起した青い体が目の前に現れた。
やがてオオワニヒコはすくっと立ちあがり、その全身を皆の前に見せた。
『お、おおっ!』
思わず見ている豪族たちの声が上がった。
最早別人としか言いようのないオオワニヒコがそこにいた。恐ろしい形相を浮かべ、額に生える二本の角を白く輝かせる。
全身毛むくじゃらで、青い皮膚を持った筋骨隆々の姿がそこにある。
オオワニヒコはその姿で周りを見回すと、口元から涎を流しなら言った。
『腹が減った……』
オオワニヒコはそう言うなり、すぐ傍にいた、訴人の訴えを皆に告げる役の家臣を捕まえ、そして口を大きく開ける。
家臣は、まるで抵抗するのを忘れた様に、おとなしく頭をオオワニヒコにかじられた。
バリ、ボリバリ、ボリ……ビチャ、ビチャ……
血が滴り、そして首を失った体が、ここではじめて手足をばたつかせた。
……皆がその光景を見た。
「で、出たぁあぁあぁぁぁぁぁッ!」
誰かがそう叫ぶや否や、部屋の入口にいた兵士が部屋の中に入ってきた。
ソレをきっかけに我先にと、人がこの場から逃げ惑う。
イサゼリはソレを見て思わず茫然自失となり、次にすぐに逃げようとしたが、鏡の前に居るオオアマミノミコトが座ったまま、変化したオオワニヒコから目を離す事も出来ないで居るのを発見した。
「……くそっ」
意を決してオオアマミノミコトの元に駆け寄るイサゼリ。オオアマミノミコトを揺すりながら声を掛ける。
「しっかりして下さい!急ぎ逃げましょう」
「も、モモカヒメ……足が、足が動かぬ」
オオアマミノミコトは恐怖で体が動かなかった。
思わず唇を噛んで、周りを見渡すイサゼリ「手を貸せぇッ!誰か手を貸せぇッ」
その声を聞き、幾人かの豪族がオオアマミノミコトの元に駆け寄る。
オオワニヒコはその様子を、人を食べながら見つめていた。
「し、死ねぇぇッ!」
そんなオオワニヒコに、兵士が槍を振るって突きいれる。
パシン!ドスっ!
まるで体の後ろに目が在るかのように、オオワニヒコは反応し、槍を片手で払うと、そのまま爪で兵士の喉元を突き刺した。
喉を裂かれこの場に沈む兵士。
オオワニヒコは血で汚れた自分の爪を見ながら言った。
「弱いなぁ、人間とはこんなにも弱い生き物な……弱い……」
そしてオオワニヒコは悩む様に頭を抱えた。
そして「アレ、おでは人間でないっけ?」と呟く。
どういう心境なのかは分からないイサゼリは、豪族を促してオオアマミノミコトを立たせてこの場を離れようとする。
ところがオオワニヒコが、気まぐれの様に呼び止める。
「までお前等、お前等には用が在る。
でもなんだっけ?忘れた……
ああ、そうだ。喰っちまって良いって“掩日”
様が言っていたっけ」
イサゼリはオオワニヒコの言葉を聞いて、こいつは気が狂ったんだと確信した。
オオワニヒコの言葉は続き「おい、そこの色男、お前は“掩日”様を知って居るか?」と、意味の判らぬ事を言った。
イサゼリはオオワニヒコを見据えながら「知らぬな、出来れば教えてもらえまいか?」と答えた。
気持ちを昂ぶらせない様な、丁寧な語り口。
イサゼリと豪族は、オオワニヒコを逃がす事を考えていた。
しかしこの部屋の入り口は一箇所しか無い、鏡のある場所から最も遠い場所にそれがある。
しかし入口と今いる場所の間に……オオワニヒコが立っていた。
壁沿いにオオアマミのミコトを守りながら、ゆっくりを歩いて行く一行。
豪族の誰かが、普段腰に下げる太刀を思わずまさぐる。しかし裁判の時は帯剣してはならないのが決まりである。
当然武器は持っていない。
オオワニヒコはそんな一行を見ながら、残虐な笑みを浮かべ「あぁ“掩日”様は大変綺麗なお方だぁ」と呟いた。
そして次の瞬間オオアマミノミコトの行く手を遮る様に素早く動いてこう言った。
「逃げないでおくれ、おではお腹空いて死にそうなんだ」
……一瞬、イサゼリも、他の豪族たちも“死”を頭に思い描いた。
自分達もまた、先程の男の様に、こいつに食われてしまうのだろう……と。
自分達の行く手を遮り、涎を垂らしながらにんまりと気味の悪い笑みを浮かべる、目の前のオオワニヒコ。
奴から漂う、饐えた血の臭いが彼らに絶望を植え付ける。
誰しもがもうダメだと思った……
バーン!
次の瞬間壁板が破裂音と共に砕け散り、壁の向こうから延びた、太い木杖がオオワニヒコの脇腹をえぐる。
吹き飛ぶオオワニヒコ、木杖は二度三度と壁の別の場所を突き破り、そして瞬く間に壁に穴を開けた。
「ご無事でしたか!」
壁にあいた穴からコムクリが姿を現す。
「コムクリかっ!助かったぞ」
イサゼリは思わず歓喜の声を上げた。
コムクリは部屋の中に入ると、床の上で痛みに呻くオオワニヒコを見ながら言った。
「やはりそうか、貴様らエツから来た鬼の手下どもだな!」
聞き捨てならない言葉を吐いたコムクリ。
イサゼリは彼の横顔をチラリと一瞬見、そして次に、今出来たばかりの穴へとオオアマミノミコトを押し入れた。
そして(コムクリはどうやら何か知っているらしい)と思った。
一方、痛みに呻くオオワニヒコは、間もなく立ち上がり、コムクリを見据えながらこう言った。
「な、何者だオメェ……」
「我か?我は……」
次の瞬間オオワニヒコはコムクリに跳びかかり、素早い動きで爪を振るう。
コムクリはソレが判って居たかのように、杖を迫るオオワニヒコの指に突きいれた。
杖はたちまちのうちに爪を割り、伸びたオオワニヒコの指先を砕く!
「ギャァァァァァァァァッ!」
オオワニヒコは痛みで叫ぶ、コムクリは急ぎ振り返り「イサゼリ様、急いでこの場を離れて下さい!」と言った。
イサゼリはコクリと頷くと、オオアマミノミコトを伴ってコムクリが開けた穴からこの部屋を後にした。
そんなコムクリに向けてオオワニヒコは恨み事を吐きつける。
「痛ぇよ、イデェよ……
あんまりだ、畜生、やっとこれから楽しく暮らせると思ったのによぉ……」
コムクリはそんなオオワニヒコの言葉を聞きながらどこかぼんやりとした、感覚に頭を乗っ取られ始めていた。
体の上を、怒りに満ちた何かがはいずり回り、筋肉が隆起して行く。
そして視覚が、より“深まる”のを感じた。
足を広げ、杖を頭の上に持ち上げ、その切っ先を相手の足首めがけて垂らすコムクリ。
やがていつもよりもドスの利いた低い声でこう言った。
『アヤの言葉が判るか、クズ野郎』
ヤマトの言葉では無い、アヤの言葉。鬼の目が見開かれる。
その様子を見たコムクリは、自分が自分では無くなると思い始めた。何かが彼の体を借りて、喋り、そして杖を構えているのだ。
そしてコムクリの心が、大いなる歓喜に撃ち震え始める……
探していた何かをやっと見つけたと、心が絶叫する。
やがてこらえきれなくなったコムクリはゲラゲラと笑い、そしてにんまりオオワニヒコに笑みを投げると、擦れる様な低い声で言った。
『貴様“掩日”は何処だ……何処にいる!』
オオワニヒコもまた訛りの無いアヤの国の言葉で言った。
『お、お前は誰だ!いったい何者だ?』
コムクリの目が、ソレを聞いて瞳孔が猫の様な縦長に裂ける。
ソレを見て鬼は、コムクリの正体に気づいて言った。
『お。お前……お前は。
そ、そうかわざわざウェイにまで俺達を追って来たのか』
『そうよ、剣は封じられてなければ互いに呼び合う。
“転魂”の封印が解け、結界が消え失せた時、我もまた剣の封印をほどいた。
その剣に潜み、うぬ達を皆殺す日を待ちわびていたのよ!』
コムクリはそう言うなり、杖を振るってオオワニヒコの脇腹を突き破る!
一撃を喰らったオオワニヒコは悶絶し、そして無茶苦茶に手を動かして、コムクリを殴りつけようとした。
コムクリは体を揺すりその一撃を巧みにかわし続ける。
やがて隙を見つけたコムクリは、手にした杖を、力づくで相手の右足首を上から下に、振り下ろした。
杖は一撃でオオワニヒコの脛を打ち砕く。
オオワニヒコの足はありえない角度で曲がり、人食いの彼は悲鳴を上げて転げまわった。
「あ、あははは、あははッははっ!
ふわーっはっはっはっ!」
コムクリは愉快だった、目の前のろくでなしが悲鳴を上げる、心が高揚するのを止める事が出来ない。
―この日をどれだけ長く待ち望んだ事か。
『痛めるのは良くて、痛めつけられるのは嫌いか?クズ野郎め……』
アヤの国言葉で嘲り続けるコムクリ。
オオワニヒコは急ぎ上半身を起こした、そして目の前に要る、憎悪にたぎる笑みを浮かべたコムクリを見上げた。
殺意に満ちた、コムクリのギラついた目と見合わせてしまったオオワニヒコ。
オオワニヒコの目に、先ほどとは打って変わった絶望の色が濃く浮かぶ。
オオワニヒコは涙を浮かべながら、コムクリに言った。
「おでは生まれたばかりだ、見逃してくれ」
コムクリはアヤの言葉で答えた。
『命乞いか?寝言は寝て言え、バカめ……』
次の瞬間、コムクリは杖をオオワニヒコの頭頂へとたたき落とした。
オオワニヒコの首や頭はその体奥深くに陥没し、目の玉が飛び出る。
打たれた頭蓋骨は深くへこみ、やがて口から血の泡が吹きあがった。
そして……オオワニヒコは痙攣しながら床にその身を横たえた。
「……掩日が何処に居るのか聞きそびれた」
ソレを見てコムクリは……そう呟いた。
理性では無く、殺意の感情に心を満たされた結果、目的を果たす事せなかったのを。此処でようやく思い出したのだ。
オオワニヒコは怪異な姿となりおおせ、ビクンビクンと痙攣しながらまだ死にきれていない。
意識は絶ち切れていた、間もなく死ぬだろう。
コムクリはそのままこの場を離れようと、踵を返した。
これ以上こいつの顔を見るのは嫌なのだ。
外に出ると、部屋の入り口に、槍を持ちながら戦いに参加しなかった兵士が、情けない姿でうずくまっていた。
恐ろしかったのだろうとコムクリは考えた。
やがてコムクリは「おい」とその兵士に声をかける。
兵士は「ひぃッ!」と言って、コムクリにその泣きじゃくった顔を見せた。
コムクリは溜息を一つ吐くとこう言った。
「あの鬼……お前はアレが鬼だと知って居るか?」
「し、知らぬ!」
「そうか、あの鬼にとどめを刺してくれ。
多分我はアレを倒したと思うが、主が心配なのだ。頼まれてくれ」
コムクリはそれだけを言うと、イサゼリの姿を探す事にした。
兵士はその後ろ姿を(変わった男だ)と思って見送った。
途中たくさんの兵士が今頃になって、裁判が行われた部屋に向かっているのを遠目に見た。
摺れ違うと色々と尋ねられひどく面倒臭い事になりそうだ。
なのでソレをやり過ごす為に、コムクリは適当な部屋に隠れ、やり過ごしてからこの場を後にした。
その後イサゼリが解放され、そしてコムクリと共に帰宅できたのは、夜になってからである。