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第八話 女将の真意

 日曜日の爽やかな朝。

 陽菜子はコンビニで買った食パンをトースターに入れ、キツネ色になるまでの間にスクランブルエッグを作る。

 チンと音が鳴る頃には、皿にミニトマトとスクランブルエッグが載った物が完成していた。

 電子ケトルで湯を沸かし、インスタントのコーヒーを淹れる。

 朝食をテーブルに並べ、ぼんやりと朝の政治系のニュースを見ながら食べることになった。

 スマホを見ても、返事はきていないようだった。はあと溜息。

 優衣は出勤の日なので、店に行けば会える。けれど、今はいいかと後回しにした。

 一週間分の洗濯をして、近所のスーパーに買い物に行き、昼食はチャーハンを作って食べる。そのあとは、テレビを見ながらコンビニで買ったまま積み上げていたファッション雑誌をパラパラと捲る。

 これは、出版者に入社をしてから、勉強のために買っていた他社の雑誌。着物専門誌である『雅』に異動したので必要ないのに、癖で買ってしまうのだ。

 陽菜子はでかでかと書かれた【デートにオススメ! モテカワコーデ】と書かれたページを開く。涼しげなノースリーブの白いトップスに、花柄の可愛らしいスカートを穿いたモデルが、口元に手を当てるあざといポーズを取っていたのだ。

 もしも、同じ服を陽菜子が着れば、ゴツイ肩幅と筋肉質な腕が剥き出しとなり、太くて逞しい脚が剥き出しとなる。想像しただけで、ぞっとした。

 同時に、学生時代の初めてのデートを思い出す。初めて、女性らしい服装で行ったのに、似合わないと言われたことは、深い傷として、心に引っかかっていたのだ。

 ぼんやりと過ごしているうちに、八月一日(ほづみ)との約束の時間が迫りつつあった。慌てて準備をする。


 キャラメル色のフレアスリーブのブラウスに、黒いスキニーパンツ。足元はアンクルストラップの付いたパンプスに決めた。

 化粧は濃くして、睫毛も付ける。髪は左右をロープ編みにして、ピンで留めた。

 用事が終わったあと、銀座にある優衣の店に行こうと思っていたので、いつもよりオシャレに気を付けた。決して、八月一日(ほづみ)と会うからではない。

 財布とスマホ、ハンカチが入っただけのクラッチバッグを持って出かける。

 電車を乗り継ぎ、東京メトロの改札口を通って地上への階段を上がれば、声を掛けられた。


「陽菜子さん」


 一瞬、誰だかわからなかった。けれど、眼鏡を掛けた端正な顔立ちは八月一日(ほづみ)以外何者でもない。

 いつもと違い、スーツ姿だったので、誰だかわからなかったのだ。

 着物姿だと柔らかい雰囲気のある八月一日(ほづみ)だが、スーツ姿だとできる営業のような雰囲気がある。淡い灰色のスーツに、グリーンのネクタイは、暑い日でも爽やかに見えた。

 元ファッション雑誌編集の陽菜子から見ても、合格な着こなしである。


「服、今日はどうしたんですか?」

「行き帰りはスーツなんです。前は着物で電車に乗っていたのですが、満員電車で匂いとかが染み付いてしまったので、止めたんですよ。それに、もみくちゃにされて着崩れますしね」

「なるほど」

「陽菜子さんはプライベートの服も素敵ですね」

「……どうも」


 八月一日(ほづみ)の褒め言葉を聞いて盛大に照れていたが、態度に出さないよう、そっけない言葉を返した。


 駅から八月一日(ほづみ)の知り合いの店へと向かった。

 下町風情のある通りには、伝統工芸の江戸切子の店、演劇小道具店に、お香と線香の専門店などが並ぶ。


「帯、扇子、三味線、櫛……いろんな日本の伝統品が売っている店があるんですね」

「ええ。この辺りは伝統を受け継いだ職人や、それを商いとする店が並んでいます」


 神輿に和家具、包丁など、他では見かけない専門店も並んでいる。

 八月一日(ほづみ)の知り合いの呉服店は瓦屋根の趣ある外観で、創業七十年を超える老舗。看板には『浅草呉服店やまうち』と書かれていた。

 のれんは下ろされ、シャッターが閉まっていた。路地裏を抜けて裏口から入り、閉店した店舗の中へと勝手に入って行く。

 店内はそこまで広くなく、畳十畳分くらい。壁一面が棚のようになっており、反物が積み上げられている。


「山内さん、こんばんは」


 八月一日(ほづみ)が店の奥のほうへ声を掛ければ、四十代くらいの中年男性が出て来た。


「あ~、どうもどうも、いらっしゃいませ」


 手揉みしながら近づいて来る男は、八月一日(ほづみ)と一蓮托生で商売をしている呉服屋の山内。

 山内が呉服を売り、八月一日(ほづみ)が着物を作る。逆に、八月一日(ほづみ)から客に店を紹介するパターンもあった。


「いやあ、八月一日(ほづみ)君、商売上手で、今月は何人もお客さんを紹介してもらって」

「はあ」


 陽菜子もたくさんいる客の一人なのだろう。扱いが他の人より丁寧なのは、着物雑誌の編集だから。そう心の中で決めつける。


八月一日(ほづみ)君が彼女を連れてくるなんて、初めてだな~。プライベートは謎だから、びっくりしたよ」


 八月一日(ほづみ)は朗らかに笑う。陽菜子は低い声で、「彼女じゃないです」と即座に否定しておいた。


「またまた、照れちゃって! じゃあ、あとは若いお二人で!」

「ちょっと待っ……!」


 陽菜子の制止も空しく、山内は片目を瞑り、店の奥へと消えて行った。


「さて、選びましょうか」


 八月一日(ほづみ)は何事もなかったかのように、着物を選び始めた。


「淡いピンクとかどうですか? 明るい髪色との相性もいいと思うのですが」

「ピンクは、ちょっと……」


 もう二十五なので恥ずかしいと言えば、十分若いと返される。


「そういえば、八月一日(ほづみ)さんはいくつなんですか?」


 問いかければ、意外そうな顔をされる。


「なんですか、その顔。年齢は非公開なんですか?」

「陽菜子さんは私のことなど、欠片も興味ないのかと思っていましたから」

「いや、強いて言えばないですけれど、話の流れで聞いたまでで」


 そうでなくてはと、八月一日(ほづみ)は笑いながら返す。ちなみに、年齢は三十一だった。落ち着いているわけだと、納得する。

 陽菜子にとってどうでもいい情報が発覚したところで、反物選びに戻った。


「では、こちらはどうでしょう?」


 着る目的や時期が決まっていないのならば、通年着ることができる柄がいいと、八月一日(ほづみ)は話しながら反物を手に取った。

 今度は深緑の、大輪の菊模様が描かれた物である。中国から伝えられた菊は長寿を象徴する植物で、秋の花とされているが、格式高い花で、通年着てもいいとされている。

 緑の色合いは落ちついたものであったが、赤の菊模様で一見して華やか。綺麗な花なのに、陽菜子が着てしまえば、花色がくすんでしまう気がして――


「陽菜子さん?」


 名前を呼ばれてハッとなる。反物を目の前に出されたが、首を横に振った。


「いや、これも、いいです」


 どうせ自分には、華やかな柄は似合わない。

 学生時代に言われた言葉は、陽菜子が自覚している以上に深く突き刺さっていた。


 陽菜子の異変に気付いたからか、八月一日(ほづみ)はそれ以上勧めてくることはなかった。


「また、今度にしましょうか」

「すみません……」


 せっかく付き合ってくれたのに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 お詫びに食事でも奢ろうと、銀座に行かないかと誘った。優衣に美味しい店を何軒か紹介してもらっていたのだ。

 八月一日(ほづみ)は笑顔で応じてくれる。


 ◇◇◇


 浅草から銀座まで、電車で二十分ほど。交差点を抜け、デパートなどが並ぶ通りまで歩いた。中央通りを抜け、ブランドショップが並ぶ通りに優衣の勤める店はある。


「あそこの呉服屋、友達が務めているお店で」

「おや、良いお店ですね」


 遠くから眺めれば、店内は客が数名いた。中にいるのは優衣と女将と次男の零士。忙しそうにしている。


「あの、この前話した芝草の反物の友達があの子なんです」

「ああ、そうだったのですね」


 ぼんやりと眺めていれば、路地裏から一人の男性がでてくる。

 背が高く、スーツ姿が決まっており、とても四十代には見えない若々しい外見。あれは、優衣の婚約者である義人だと、陽菜子は気づいた。

 何やら店先を窺うようにして通りにでている。


「あれがお友達の婚約者ですか」

「はい」

「なんだか、怪しいですね」


 八月一日(ほづみ)は陽菜子と同じことを考えていた。


「あとを追ってみますか?」

「いいんですか?」

「ええ。私もこの件については、引っかかっていました」


 こうして、陽菜子と八月一日(ほづみ)は優衣の婚約者を尾行することにした。


 義人は陽菜子がやって来た道を元に戻るように歩く。初め、行先はデパートかと思っていた。以前、優衣よりデパートとも取引をしていると聞いていたのだ。

 けれど、予想は外れ、デパートの前は足早に通過する。

 目指していたのは駅だった。

 ここまで来て、どうしようかと思ったが、妙に気になる挙動だった。八月一日(ほづみ)も付き合ってくれると言うので、そのままあとをつける。


 義人は電車を乗り、途中で乗り換えて新宿で降りた。向かった先は、駅からそう離れていない外資系のホテル。

 やっぱり取引かと思う。ここでもどうしようかと迷ったが、このまま引き返すのも癪だった。八月一日(ほづみ)も最後まで付き合ってくれるらしい。

 こうなったら、ホテルにある喫茶店で紅茶でも飲もうと思い、堂々と義人のあとに続いて入った。


 和モダンな庭園を眺めながら紅茶などが楽しめる、ラウンジの喫茶店。義人はそこで誰かと待ち合わせをしていた。

 相手は――綺麗な女性だった。年頃は三十代半ばといったところ。ダークブラウンに染めた髪は艶やかで、色気のある美人だった。

 八月一日(ほづみ)と話をする振りをしながらしばし観察をしてみたが、服装が派手で、どうしても取引相手には見えない。

 席はほどほどに離れているので、会話などは聞こえないが、随分と親密そうに見える。

 肩を寄せ合い、ケーキは仲良く半分こ。顔を近づけ、ひそひそと内緒話までしていた。

 義人を店の前で見た時に覚えた怪しい予感が、再び脳内を過る。はらはらと眺めていたが、ついに義人は女性の手の甲を掴んだ。

 その瞬間、陽菜子は庭園を撮る振りをして、二人の様子を写真に収める。間違いなく、浮気だろうと思った。

 けれど、確信はできない。触れた手はすぐに離されたからだ。


 陽菜子達は先に喫茶店を出る。ロビーのソファに陽菜子は腰かけていたが、途中で義人と女が受付へとやってきた。部屋のカードキーを受け取り、エレベーターの方へ腕を組んで歩く。

 まだわからない。最上階にあるレストランに移動するだけかもしれない。

 陽菜子は立ち上がる。

 スマホを弄る振りをしつつ、録画の設定にして、あとを追った。なんとか、一緒のエレベーターに乗ることに成功した。


「何階ですか?」


 義人に声を掛けられ、陽菜子はぎょっとした。どうやら、代わりにボタンを押してくれるようだ。余計なことをと思う。

 どうすればいいか困っていたら、八月一日(ほづみ)が助け船を出してくれた。


「一緒の階みたいですね」

「そうでしたか」


 八月一日(ほづみ)の機転が利いた返しのお蔭で、事なきを得た。

 エレベーターはぐんぐんと上がっていく。


「あ、あれ、君は……」


 義人に背を向けていたが、あろうことか話しかけられた。一回優衣の紹介されて顔を合わせたことがある。なので、髪色と背、体格でバレないかと、ヒヤヒヤしていたのだ。

 どうしようか。焦っていると、目の前にいた八月一日ほづみが、思いがけない行動に出る。

 ぐっと陽菜子を抱き寄せ、警戒心のこもった声で言葉を返した。


「うちの連れが何か?」


 聞いたことがない低い声色に、ゾクリと肌が粟立つ。一方で、義人は妙な迫力に怖気づいたのか、「人違いだった」と弁解していた。


 陽菜子の顔を隠すためか、八月一日ほづみは抱きしめた体勢を解こうとしなかった。


 こういった異性との触れ合いに慣れていない陽菜子は、心臓がバクバクと鳴っている。

 動揺が相手に伝わっていませんようにと、神に祈った。


 チンと音を立てて、エレベーターが止まった。

 先にどうぞと、八月一日(ほづみ)は手で示す。会釈をして、出ていく義人と女性。

 やっとのことで、抱擁から解放される。

 数秒間を置いて、陽菜子達も出た。

 羞恥心をその場に捨てるかのように、首を横に振る。気合いを入れ直した。尾行再開だ。

 腕を組み、仲睦まじい様子で廊下を進む二人。もう、間違いないだろう。

 部屋に一緒に入って行くという、決定的な場面を映したあと、録画停止のボタンを押せば、ピコンと音が鳴る。共に、はあという盛大な溜息が漏れた。


 虫除けとは、そういう意味だったのかと気づく。


 女将は暗に優衣へと伝えていたのだ。義人は悪い虫なので、結婚相手として選ばないほうがいいと。

 これは本人へ絶対に伝えるべきだろうと思う。


「義人め……なんてことを」

「まったく、酷いですね」


 頭を抱える陽菜子。やってられないと、吐き捨てた。

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