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第七話 芝草模様の謎

 帰宅後、仕事関係のメールを返信し、風呂に入る。爪の手入れをしたあと、相談があるというメールをもらっていた友達に電話をした。


『陽菜子~~』

「うん、どうしたの?」


 朝比奈優衣(あさひなゆい)。大学時代の友人で、就職先は銀座にある老舗呉服店。出身は山梨県。大学への進学を期に、上京してきた。高校の時より金髪にギャルファションに身を包んでいたが、就職活動を始めることを機に黒髪に戻した。日々、着物を身に纏って接客している。かつての姿を知る人々は、立派に更生したものだと感激するのだ。

 そんな優衣の結婚相手は呉服屋の息子。家族経営をしている店に、優衣は就職したのだ。

 先月、婚約を友人達に発表していたが――


『もうね、超酷いの!!』


 そうなることは陽菜子も予想していた。なぜならば、優衣の婚約者は、二十歳年上の四十五なのだ。しかも初婚ではない。


「ねえ、やっぱり兄さんよりも、弟のほうが似合って……」


 店の従業員は四名。四十五歳の優衣の婚約者義人(よしひと)と、二十歳の弟零士(れいし)、それから二人の母親である女将。

 陽菜子はずっと弟の零士ほうが良いと言い続けていたのだ。てっきり、婚約者と問題があったと思っていたが、そうではなかった。


『違うの! 酷いのは義人さんじゃなくて、姑のほう!』

「それって、お店の女将さん?」

『そう!』


 さっそく嫁姑問題かと、頭が痛くなった。

 一度、陽菜子は優衣の職場に行ったことがある。歴史ある呉服店は庶民御用達の店ではない。一見さんお断りの、格式高い店なのだ。

 そこを取り纏める女将は、隙のない外見をしていた。長きに渡り、銀座で店を守ってきた女傑(じょけつ)というのが陽菜子の印象であったのだ。


「それで、女将さんがどうしたの?」

『着物の反物をくれたんだけど……なんて言えばいいのか……』

「うん?」


 電話口では上手く説明できないので、優衣の次の休み――水曜日に会えないかと聞いてくる。


「え、でも、出版社は基本的に土日休みだし」

『あ、そうだった』


 ならば、土曜日か日曜日に、優衣の仕事が終わったあとで会おうという話になった。


 土曜の夕方。

 陽菜子と優衣は表参道のカフェで待ち合わせる。

 店内は満員で、外の席に案内された。昼間は雨だったので、地面は濡れていたが、椅子やテーブルは綺麗に水分が取り除かれていた。


「陽菜子、なんでも頼んでいいよ。今日は私の奢りだから」

「いいのに」

「遠慮しないで。給料日だから」


 一応遠慮をしたが、最終的にはお言葉に甘えることにする。

 優衣は仕事着――着物姿だった。美人なので、道行く人はチラチラと見ている。ついでに陽菜子も見てくるので、ジロリと睨み返していた。

 まずは近況を語り合う。陽菜子が着物雑誌担当になったと言えば、嬉しそうにしていた。


「わからないことがあったら教えてあげる」

「ありがとう、助かる」


 意地悪をされていないか心配されたが、優しい人ばかりなので首を横に振る。


「うちの店も取材に来てよ」

「いや、そっちの女将さん、取材とか絶対嫌がるでしょう」

「確かに。宣伝したら忙しくなるって怒るかもね」


 一方で、優衣の呉服店は売り上げ好調。来年の春には京都に支店を出すことになっていると話す。


「そこの店は義人さんが店長をするの」

「ってことは、優衣も京都に?」

「いや、それが、私は東京に残って欲しいって、女将さんが……」


 京都の店は一人でも十分に回していける規模だと話す。

 逆に、二人もいなくなれば、東京の店は回らないと言っているのだ。


「結構繁盛しているんだ」

「そうなの。最近は外国のお客さんも多くて」

「そっか」


 優衣は寿退社も考えていると言う。


「それを女将さんに言ったら、反対されて、喧嘩になってしまって」

「いや、あの女将さんと喧嘩できる優衣が凄過ぎるわ」


 喧嘩は半月ほど続いた。店ではそれらしい様子を見せていなかったが、店の裏は大変険悪であった。耐えきれなくなった呉服屋の次男零士に、仲直りするよう懇願(こんがん)され、現在は休戦中だと言う。


「それで、この前おかみさんが仲直りの印だって、着物の反物をくれたんだけど」


 優衣は風呂敷に包んでいた、丸められた反物を見せる。美しく、気品のある藍染だった。

 一目でいい品だとわかったが――優衣にはそう映らなかった。


「これ、あんまりじゃない!?」

「え、そう?」

「そうに決まっているじゃない! 地味な藍染の、芝草模様なんて!」


 女将は「これが似合う女性にお成りなさい」と言って優衣に渡した。確かにいい反物であることは承知しているが、花嫁に相応しい着物ではないと、怒っていたのだ。


吉祥(きっしょう)文様(もんよう)の一つも入っていないなんて……」


 吉祥文様――縁起の良い模様のことで鶴、亀、鳳凰、竜、松竹梅、四君子、牡丹、檜扇、丸文、宝尽くしなど、お祝いの席で好まれる。

 華やかな花嫁衣装にも使われることが多い。それが入っていないと、不満を漏らしていたのだった。


「陽菜子、知っている? 芝草って、野生に生えているやつなの。つまり、雑草ってこと」

「いや、それはどうだろう。趣のある夏っぽい柄だと思うけれど」

「雑草なの!」


 女将は雑草のように、慎ましく目立たないように過ごせと言っているのではと、優衣は解釈をしていたのだ。


「結婚なんて一生に一度なのに、地味に大人しく過ごせなんて! もう、あんな女将がいる店なんて辞めてやる!」


 優衣はどんとテーブルを叩いた。すると、その衝撃で藍染の反物が転がり、地面へと落下してしまった。


「あ!」

「え?」


 地面は雨で濡れている。しかも、運が悪いことに水たまりへと落ちてしまったのだ。

 ガタリと立ち上がり、優衣は雨水に濡れてしまった反物を見下ろす。そして――


「い、いい気味! これで、反物は駄目になった!」

「ちょっと、優衣……」


 優衣は帯の中から財布を取り出し、五千円札をテーブルの上に置く。


「ごめん、私帰る」

「えっ!?」


 宣言通り、そのまま颯爽とカフェを出て行ってしまった。

 藍染の反物を拾い上げたが、優衣は踵を返したあとだった。声をかけても、振り返らない。

 夕闇に消えていく後ろ姿を呆然と眺めていたが、ウェイターがやって来て我に返る。


「お待たせいたしました。生ハムとルッコラサンドのお客様?」


 陽菜子はゆっくりと挙手する。


「続いて、スモークチキンとパプリカのチーズサンドのお客様は――」


 視線を泳がすウェイターに、その辺に置いておくように指示する。

 陽菜子は二皿のサンドイッチと藍染の反物を睨みつける。どうしようか、頭を悩ませることになった。


 ◇◇◇


 結局、優衣と連絡はつかなかった。

 途方に暮れた陽菜子は、花色衣の八月一日(ほづみ)に連絡をした。夜の八時半と微妙な時間帯であったが、まだ店に残っているようだった。

 店の戸を開けば、畳のスペースで縫い物をする八月一日(ほづみ)の姿がある。


「いらっしゃいませ、陽菜子さん」


 今日ばかりはいきなりの訪問だったので、一言謝った。とんでもないと首を横に振る八月一日(ほづみ)


「うちは事前の予約が必要な店ではないので、お気軽に、いつでもどうぞ」


 そんな風に言っていたが、店ののれんは下げられている。陽菜子は再度、頭を下げたのだった。


「それで、問題の反物は?」


 問われて、腕の中にあった風呂敷の包みを差しだす。水たまりで濡れてびっしょりとしていたので、途中でビニール袋を買って、入れて持って来ていた。

 反物は泥が付着していた。人の行き来が多い場所だったので、汚れていたのだ。


「これなんですけれど」

「ああ、大丈夫ですよ。綺麗になります」


 それを聞いてホッとする陽菜子。


「陽菜子さんもうっかり屋さんなところがあるんですね」

「いや、これは私じゃなくて、友達が落としたの」

「ああ、そうだったのですね。それは失礼を」


 良い反物ですという言葉に、頷く陽菜子。

 思い返せば、女将はなぜ、優衣にこれを渡したのかと、首を傾げることになる。

 藍染は良い品だというのはわかるが、芝草模様は若い娘にはあまりにも渋すぎたのだ。


「どうかしました?」

「いや、ちょっとわからなくて」


 どうしようかと迷ったが、このままモヤモヤするのも気持ち悪いと思い、八月一日(ほづみ)に強く口止めをしたのちに、事情を軽く話す。


「結婚前の娘さんに、藍染の反物を贈る、ねえ……」

「この着物が相応しい人になりなさいって」

「なるほど……」


 家族経営の呉服屋、兄が義人よしひと、二十五歳年下の弟が零士れいしと呟く八月一日(ほづみ)


「しかし、随分と年の離れたご兄弟ですね」

「弟は女将さんの再婚相手の間にできた子ども。兄の父親は五年くらいで別れたみたいなんです」


 しかし零士を産んだ夫とも数年で離婚。呉服店は実質、女将一人で守っていたということになる。


「不思議なご家族ですね」

「まあ、そうとしか言えないですね」


 歳の差が離れている義人と零士は、兄弟というよりは、親子の雰囲気である。


「そういえば、着物についても、零士さんは義人さんから習ったって話を聞いたような」

「では、弟さんにとっては、義人さんは兄であり、父親、さらには着物の師匠であったわけですね」


 快活な義人と、大人しい零士。派手な性格の優衣が兄に惹かれるのは仕方がない話だったのだ。


「それで、何かわかりました?」

「いえ。まだ憶測の域ですので言えません」

「憶測でいいから教えてほしいです」


 懇願したが、八月一日(ほづみ)は首を横に振るばかりであった。


「まあ、一つだけ、言えるとすれば――藍染には、虫除けの効果があると言われているんです」


 藍で染めた布地には、虫除けの効果がある。他に、殺菌、消臭、保温などの薬理的効能もある素晴らしい布地なのだと八月一日(ほづみ)は陽菜子に語って聞かせた。


「今、言えるのはそれだけですね」

「わかりました」


 あっさりと引き下がる陽菜子。こう見えて、八月一日(ほづみ)は頑固なので、頼み込んでも言わないと思ったのだ。あとは家に帰ってじっくり考えることにした。


「では、こちらの反物は預かっておきますね」

「お願いいたします」


 夜も遅いので駅まで送ると八月一日(ほづみ)は言う。


「いえ、悪いので」

「でしたら、少し待ってもらえますか?」


 五分ほどで店じまいを終えるので、一緒に帰ろうと誘われた。


「今日はタクシーに乗って帰ります」

「お家はこの辺で?」

「いや、違うけれど、祖母にもらったタクシーチケットがありますので」

「左様でございましたか」


 別れ間際、陽菜子は八月一日(ほづみ)に紙袋を差しだす。


「こちらは?」

「食べきれなかったサンドイッチです。手を付けていないので、よろしかったらどうぞ」


 スモークチキンとパプリカのチーズサンドだと言えば、ちょうど空腹だったと言い、喜びながら受け取っていた。


「あ、そうだ。陽菜子さん、明日の夜、夕方とか用事はありますか?」

「いえ、特に」

「でしたら、反物を見に行きませんか?」


 なんでも、八月一日(ほづみ)の知り合いの呉服屋が閉店後、商品を見せてくれるとらしい。どうかと誘われる。

 断る理由はなかったので、「どうぞよろしくお願いします」と返した。


 改めて芝草の反物のクリーニングを頼み、店を出る。


「それでは、お気をつけて」

八月一日(ほづみ)さんも」

「ありがとうございます」


 夜空を見上げ、はあと憂鬱な息を吐く。

 次から次へと問題が出てくるものだと、気分は複雑なものになっていた。

 


 ◇◇◇


 帰宅後、藍染めについて調べてみる。

 歴史は古く、始まった時代は千三百年ほど遡る。シルクロードを経て、日本に伝わってきた。

 鎌倉時代では、藍は勝ち色と呼ばれ、縁起担ぎに纏う武士も多かった。江戸時代では藍染めが庶民にも広がり、たくさんの柄が誕生した。

 このように、人類最古の染料とも言われている藍は、日本の文化に深く根付いていたのだ。

 また八月一日(ほづみ)が言っていたように、藍染めは虫除けの効果があり、箪笥の中でも虫食いに遭うことはないと書かれてある。

 調べてわかったのはそれくらいで、女将の真意と結びつきそうにない。

 また、芝草には花言葉のような意味があるのかもしれないと検索してみたものの、野山に生える雑草という情報しか得られなかった。

 時計を見てみれば、深夜一時になっていた。欠伸をして、ぐっと背伸びする。

 今日は眠ろうとパソコンを消し、布団へ潜り込んだ。

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