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第六話 小夜時雨

 翌日、出勤していた後藤に陽菜子は朝から謝りに行った。もちろん、差し入れの件である。


「昨日は、差し入れの不手際があり、すみませんでした」

「ああ、そのことか」

「着物で食べるという点が、頭になくて」

「いや、指示を出さなかったこちらも悪い。次からは気を付けてくれ」

「はい」


 後藤は怒っていなかった。陽菜子は内心ホッと安堵する。

 鈴木がやってくれば、フロアも一気に明るくなる。今日も一日頑張ろうと、気合を入れる陽菜子であった。


 昼休み、放置していたスマホを取り出せば、二件メールが入っていた。

 一件目は大学時代の友人から。書かれてあったのは一言だけ。相談したいことがある、と。

 二件目は祖母幸恵から。

 昨晩、花色衣から連絡があり、着物のクリーニング結果を見に来て欲しいとあったが、雨の足元が悪い中、でかけるのは困難なので、代わりに見に行ってくれないかというものであった。早めに仕事が終わったら、帰りに見てくるという旨を返信した。

 友人からのメールは長くなりそうなので、また夜に連絡をするとだけ打っておいた。

 一ヶ月ほど前に結婚間近と言っていたので、嫌な予感がひしひしとする。 

 付き合い始めた頃に紹介もされていたが、まさか結婚まで辿り着くとは思ってもいなかったのだ。

 陽菜子的に、婚約者の男は引っかかる点が多過ぎる。二十も年上で、バツイチなのだ。

 やはり、問題が起きたかと、落胆することになった。

 昼食のサンドイッチを齧りつつ、スマホをテーブルの脇にやる。

 サンドイッチは朝から陽菜子が作った物で、安売りの食パンなので、若干パサついている。パンの耳も、喉に引っかかるようだった。中の具はハムとチーズ、レタス。冷蔵庫にあった残り物である。


「あれ、鷹野さん、お昼それだけ?」


 鈴木が陽菜子の貧相な昼食を、背後から覗き込んだ。そうですと返事をすれば、お弁当を交換しないかと、交渉が持ちかけられた。


「うちはね、じゃ~ん、ちまきなの」

「うわあ、美味しそうですね」

「でしょう? 昨日から、実家の母が遊びに来ていて、蒸してくれたの」


 笹の葉に包まれた本格的な中華ちまきである。中身は鶏と筍のおこわ。それを、サンドイッチと交換してくれるというのだ。


「いいんですか?」

「ええ、もちろん」


 陽菜子はありがたくトレードに応じる。中華ちまきは笹の葉の香りが豊かで、ご飯もモチモチであった。筍のコリコリ感と、出汁が染み込んだ鶏の風味が堪らない。ひと時の幸せを感じていた。

 しっかり食事を取ったあとは、目が回るような忙しさに追われながら仕事を片付けていく。本日は鈴木、後藤、午後からは吉野がやってきて、『雅』の編集部はフルメンバーとなる。

 おかげで、ほとんど残業せずに終業となった。

 その後、陽菜子は花色衣に向かった。が、途中で雨に降られる。しとしと雨から次第に土砂降りとなり、折り畳み傘では防げない雨量が降り注ぐ。

 本日は零パーセントだと天気予報士が言っていたのにと、信じられない気分となる。

 小走りで店の軒下まで向かい、溜息と共に傘を畳んだ。濡れた傘をビニール袋に入れていると、ガラリと店の引き戸が開く。店の奥から顔をだしたのは、花色衣の和裁士八月一日(ほづみ)であった。


「いらっしゃいませ。あ、陽菜子さん」

「どうも」


 濡れた姿を気まずく思いつつ、軽く会釈をする。

 今日の八月一日(ほづみ)は飴色の着流し姿だった。作業中だったのか、袖が邪魔にならないよう、襷掛(たすきが)けにしている。


「すみません、駅までお迎えにあがればよかったですね」

「いえ、お気遣いなく……」


 謝られても、雨なのでどうしようもない。そう思っていたが、八月一日(ほづみ)は恐縮しきった態度を崩そうとしなかった。


「まさか、足元の悪い中、来ていただくなんて……」

「祖母が、気になっていたようなので」

「左様でございましたか。本日のご来店、まことにありがとうございます」


 八月一日(ほづみ)はタオルを持って来ると言う。そこまで長居をするつもりはないので止めたが、そういうわけにはいかないという言葉を残していなくなる。

 店内へと入れば、展示してある着物が変わっていることに気づいた。

 明るい青に、白く染め抜いた露草が涼しげな単衣であった。もうそんな時季なのかと、四季の移り変わりを実感する。

 八月一日(ほづみ)と入れ替わるようにして、以前、お茶を運んでくれた女性が陽菜子にタオルを持って来てくれた。お礼を言って受け取り、濡れた髪と服を拭う。

 使い終わったタオルを畳んでいれば、お茶とお菓子が用意された。

 体が冷えていたので、温かいお茶をありがたく思う。

 ふと、視線を落とした先にあった茶請けは、見慣れぬ和菓子であった。三角形にカットされた白い餅のような物に、小豆が乗っている。

 皿を持って、不思議そうに眺めていれば、女性が声をかけてきた。


「そちら、京都のお菓子で、水無月(みなづき)って言うんです」

「へえ、初めて聞きました」


 デパートで京都物産展が開催されており、珍しかったので買ってきたのだと話す。


「お店の人からの受け売りなんですが、その昔、夏越(なご)しの(はらえ)に、氷室から氷を持って来てお祓いをしたそうで――」


 夏越しの祓。一年の折り返し地点となる六月三十日に神社などで行う無病息災を祈る行事である。

 室町時代の御所では夏越しの祓をするさいに、氷を取り寄せて厄と暑気を祓った。

 当時、氷は高価な物で、庶民に手の届く品ではなかった。

 そこで、ういろうで氷を見立てたお菓子を作り、夏越しの祓を行ったという謂れがある。

 三角にカットされたういろうは暑気を祓い、上に乗せた小豆は厄祓いの意味がある。

 陽菜子は竹串で水無月を一口大にわけて食べる。

 ういろうのもっちりとした食感と、甘く炊いた小豆が絶妙であった。上品な味わいのある和菓子である。


「これ、美味しいですね」

「よかったです」


 女性は白河と名乗る。見習いの和裁士だと話していた。年は十八と、案外若かった。


「着物を着ていると、老けて見えるんですよねえ」

「大人っぽくて、似合っていると思いますが」

「ありがとうございます」


 母親が蒐集(しゅうしゅう)しているアンティーク着物を直して着ていると話していた。


「これは、大正時代の物なのですが」

「へえ、昔のなんだ。可愛い」

「ありがとうございます!」


 白地に薔薇の絵柄が描かれている物で、西洋文化を取り入れるデザインが当時流行っていたのだと、白河は興奮気味に語る。

 しばらく話し込んでいると、八月一日(ほづみ)が戻ってくる。白河は会釈をして、奥に引っ込んで行った。


「何やら、随分と盛り上がっていたようですね」

「暇だったから、話に付き合ってもらっていただけですよ」

「左様でございましたか」


 眼鏡の奥の瞳が、厳しい色を匂わせていたので、あとで白河が怒られないようにフォローをしていく。即座に陽菜子は話題を変えた。


「それで、着物は?」

「あ~はい、こちらになります」


 店にある桐箪笥の中から、座布団にするために預けていた着物がでてくる。

 丁寧にたとう紙に包まれていたが、するりと紐が解かれ、中身を見ることになった。


「あ……!」


 色あせていた着物は昔と同じ姿を取り戻していた。幸い、変色具合は軽度で、クリーニングも短期で完了したのだ。


「本当に、元に戻ったんですね……凄い、本当に……!」

「はい。とても綺麗なお着物です」


 変色は洗い張りという方法でクリーニングすると八月一日(ほづみ)は説明をする。


「洗い張りとは、着物をすべて解いて洗う技法を言います」


 着物は解いて水で洗うことにより、生地の光沢などが蘇り、肌触りなども良くなるのだ。


「それから、当店の職人がヤケ直しを施しまして、このように、以前の美しい姿を取り戻しました」

「へえ……」


 八月一日(ほづみ)は洗い張りを担当したと話す。


「ヤケ直しは高い技術が必要でして、私も修業の身でございます」

「そうなんですね」


 和裁士は十年ほどで一人前と認められる。けれど、技術の向上を目指すため、日々学ぶという姿勢に終わりはない。八月一日(ほづみ)は和裁士の仕事をそう語る。


「それで、こちらは本当に座布団にしてもよろしいでしょうか?」


 今日は着物のクリーニング状況を確認するように言われていた。けれど、八月一日(ほづみ)は幸恵より、陽菜子の意見を聞くように言われていたと話す。

 そういうことだったのかと、ここへ行くように言われていた意味を理解することになった。

 未練はまったくなくなっていた。予定通り、座布団を作るように依頼する。


「承知いたしました。では、このままお預かりをしておきますね」


 完成は一ヶ月後を予定していると言う。

 さすがに座布団を手で持ち帰るのは大変なので、直接幸恵の家に配達に行くことが決まっていた。


「配達までしているですね」

「ええ、大切な商品ですから。最後まで見送るのもお仕事なんですよ」


 花色衣の職人のプロ意識は凄いと思う陽菜子。自分も、仕事に対してそれくらいの熱量を注ぎたいと改めて思うのだった。


 外に出たらまだ雨が降っていた。夜の通り雨に、陽菜子はあと溜息を吐く。

 折りたたみ傘を取り出すと、カラリと花色衣の引き戸が開く。さっと差し出されたのは、雨傘だった。そのあと、顔を出したのは襷を外した八月一日(ほづみ)である。

 得意の相好(そうごう)を崩した表情を浮かべつつ、陽菜子に話しかけてきた。


「陽菜子さん、駅まで送りますよ」


 結構ですと言いたかったが、雨の中歩かせてやるかと思い、頷いた。

 雨の勢いは弱くなっていて、しとしと雨となっている。濡れた地面は店先に並んだ提灯の灯りを映し出して風情があった。


「いやあ、降りますねえ」

「今日、降水確率は零パーセントって言っていたのに降るなんて」

「あ、それ、まったく雨が降らないって意味じゃないらしいですよ」

「どういうことですか?」

「天気予報って、ゼロパーセントじゃなくて、レイパーセントって言うじゃないですか」


 二つの言葉の意味はまったく違うのだと話す八月一日(ほづみ)


「ゼロの意味はまったくない、『無』で、レイは『わずか、極めて小さい』という意味があるんです」

「ということは、天気予報の零パーセントは雨が降る可能性があるってことですか」

「そうですね」


 がっくりとうな垂れる陽菜子。


「予報を出す時に、一パーセントの位は四捨五入するんです。そういう決まりらしいですよ」

「なるほどなあ……」


 駅に辿り着く前に、雨は止んだ。陽菜子は傘を丁寧に畳んで八月一日(ほづみ)に返した。


「そうだ、陽菜子さん、今度、反物を見に行きませんか?」

「あ、はい……」


 つい先日、八月一日(ほづみ)に仕立てを頼んだことを思い出した。


「和装士さんは反物の買い物までお付き合いしてくれるのですね」

「いいえ、陽菜子さんだけです」


 その親切を、どう受け取ればいいのか、わからなかった。

 けれど、陽菜子一人で反物を選ぶのは難しいだろう。わざわざ祖母幸恵に選んでもらうのも申し訳ない。


「では、迷惑でないのなら」

「迷惑だなんて、とんでもないです」


 ここで、プライベート用の電話番号を交換する。


「では、楽しみにしていますね」

「はあ」


 乗り気でない様子を隠そうとしていなかったが、八月一日(ほづみ)は気にせず、にこにこしていた。

 あっという間に駅に辿り着く。


「それでは、気をつけてお帰りになってください」


 八月一日(ほづみ)はお辞儀をして、踵を返す。

 わざわざ駅まで送ってくれたので、その後ろ姿に、陽菜子もお辞儀を返したのだった。


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