表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
浅草和裁工房 花色衣 ~着物の問題承ります~  作者: 江本マシメサ
最終章 我が物と思えば軽し、傘の雪
23/25

第二十三話 大晦日にて

 あっという間にやってくる年末。

 陽菜子は大掃除に明け暮れていた。凝りだすと止まらない性分で、三日に及ぶ掃除の結果、家の中はピカピカになる。


 本日は十二月三十一日。

 八月一日ほづみより花色衣に来るよう言われていたのだ。時計は十七時過ぎ。集合時間は十九時であった。そろそろ準備するかと、行動を始める。

 窓の外では、雪がしんしんと降り積もっていた。年末年始はどうしてこう、天候が悪いのか。陽菜子は疑問に思う。

 温かい恰好をしようと、引き出しを開く。

 この前買った服は、また今度にすることにした。せっかくの連休なのに、風邪を引くのはもったいない。オシャレの極意は我慢することだと、元ファッション雑誌編集の陽菜子はわかっていたが、今日ばかりは無理だと思ったのだ。

 取り出したのは。黒とグレーのボーダーのニットに白のハーフジャケット。黒いレザースキニーを合わせ、靴はショートブーツを履く。首元が寒いので、マフラーをぐるぐる巻きにした。


 家を出て、電車で浅草まで向かったが――


「ゲッ!」


 駅を出てすぐの、目の前の想像を絶する光景に、思わず言葉が漏れてしまう。

 大晦日の浅草は、想像を絶する人混みだったのだ。

 この人達はいったい浅草の町に何をしに来ているのか。陽菜子は疑問に思う。花色衣に行くまで、大変な思いをしそうだと思っていたら、背後より声を掛けられた。


「陽菜子さん!」


 振り返ると、スーツ姿の八月一日ほづみが手を振っていた。


「良かったです、会えて。……すみません、年末のこの状況のことをすっかり失念していまして」

「これ、なんなんですか?」

「全部、初詣のお客さんなんです」

「ええ……」


 人々の目的は浅草寺。

 大晦日の浅草寺は十九時にいったん閉堂となり、元旦になると開堂する。皆、初詣をするために、並んで待っているのだ。


 さすがの八月一日ほづみも人混みではもみくちゃにされると思ったのか、着物ではなくスーツ姿であった。


 見渡す限りの人混みに、陽菜子は目を細める。

 続いて、八月一日ほづみに手を差し出され、さらに目を細くした。


「なんですか、その手は?」

「逸れそうなので、繋ぎましょうと」

「なっ……いや、いい、だいじょう――!」


 どん! と通行人から背中を押され、転倒しそうになる――が、八月一日ほづみがすかさず陽菜子を抱き止め、ことなきを得た。


「危ないですね。陽菜子さん、大丈夫ですか?」

「……まあ、はい」


 抱き止められた姿勢のまま、どぎまぎと返事をする。


「じゃあ、行きましょうか」


 ごく自然に、八月一日ほづみは陽菜子から離れ、当り前のように手を握って歩きだす。


「えっ、あの、手っ!」

「足元、雪に気を付けてくださいね」

「あ、はい」


 ここで気付く。八月一日ほづみは陽菜子が歩きやすいようゆっくりと、人を避けつつ進んでくれていることに。

 手を繋いでいることが恥ずかしいし、エスコートをしてくれることも照れるしで、だんだんと顔が熱くなっているのを感じる。


 動揺している間に、花色衣に到着した。

 すでにのれんは下ろされており、閉店状態だった。


 今日、呼びだされたのは、頼んでいた着物が完成したからだった。

 今までとは別の意味で、ドキドキしながら店に足を踏み入れる。


 店内の一段上がった畳の上の衣桁いこうに、八月一日ほづみの仕立てた陽菜子の着物が掛けられていた。


「うわ、これ、凄い……」


 八月一日ほづみが選んだ深緑生地に、大輪の菊模様が描かれた反物は、美しい着物の形に仕立てられていた。

 ひと針ひと針、手縫いで丁寧に作られた訪問着は、陽菜子が着るために作られた物。

 その感動は、言葉にできない。

 しばし、うるうると目を潤ませながら着物を眺めていた。


「お気に召しましたか?」

「あ、はい、その、ありがとうございました」


 陽菜子は八月一日ほづみに深々と頭を下げる。


「凄く、綺麗に仕立ててくださって、嬉しいです」

「良かったです」


 これならば、母初恵も綺麗だと思ってくれるはず。着物を見て、不安が和らいだ。


「あ、そうだ。これを――お礼、というわけではないのですが」

「なんですか?」


 鞄から取り出したのは、歌舞伎の襲名披露興行のチケット。

 あろうことか、あおい出版の吉野が用意したのは、桟敷席だったのだ。

 さすがの八月一日ほづみも、人気公演のチケットを手にして、驚きの表情を見せている。


「これ、うちのお客さんも喉から手が出るほど欲しいと言っていました」

「実は、あおい出版の吉野さんに譲っていただいて」

「なるほど」


 陽菜子は母と祖母を誘ったと、最初に白状する。


「それで、前にも話したとおり、母と祖母は犬猿の仲で……八月一日ほづみさんにも、その場に立ち会っていただけたら、と」


 なんて図々しい願いをしているのかと、恥ずかしく思う。

 けれど、二人の間を取り持つことが不安だから誘ったこともあるが、着物姿を八月一日ほづみに見て欲しいと思う心もあった。


「多分、八月一日ほづみさんに作ってもらった着物姿を、母に見てもらったら、きっと、考えも改めてもらえると、思うのです」

「なるほど。責任重大ですね」

「ですよね。すみません、なんか……」

「いえいえ、嬉しいです」


 八月一日ほづみはチケットを受け取ってくれた。


「私も、最後まで見守らせていただきますね」

「はい、よろしくお願いいたします」


 陽菜子は再度、深々と頭を下げたのだった。


 話がひと段落すると、トントントンと、花色衣の出入り扉が叩かれる。


「あ、ちょうど良かったですね」

「?」


 そう言って、戸を開く。


「こんばんは、そば吉です」

「ご苦労様です」


 八月一日ほづみは蕎麦のどんぶりと二つ、受け取った。


「では、来年もよろしくお願いいたします」

「こちらこそ」


 ぱたんと閉められると花色衣の扉。


「蕎麦、出前を頼んでいたんです」

「さすがですね」


 先ほどの浅草の町を思い出せば、飲食店に行こうという気持ちは湧いてこなかった。

 手渡された蕎麦のどんぶりはあつあつで、ラップを剥ぐと出汁の香りが漂う。

 八月一日ほづみはレジに置いてあった急須にポットから湯を注ぎ、お茶を淹れる。

 陽菜子は湯呑を差し出された。


「はい、どうぞ」

「何から何まですみません、ありがとうございます」

「いえいえ」


 それから、畳に座って蕎麦を食べる。

 蕎麦の香りが豊かで、麺はコシがあり、つるつるとした喉越しも良い。甘めの味付けのつゆも、麺によく絡んで美味しかった。

 大満足の一杯で、陽菜子は手と手を合わせて、ごちそうさまでしたと言う。


「大晦日でなければ、お店に案内したんですけれど。揚げたての天ぷらは絶品でして」

「いいですね、天ぷら。この前行った店とは違うのですか?」


 以前、陽菜子は八月一日ほづみと蕎麦屋に行ったことがあったのだ。桜エビのかき揚げが美味しい店だ。


「はい。そこより少し遠い場所にあって。今度一緒に行きましょう」


 陽菜子は素直にコクンと頷いた。


 時刻は二十一時前。そろそろ帰ろうかと、申し出る。

 八月一日ほづみは陽菜子のために、タクシーを呼んでくれた。


「このあと初詣でも、と言いたいところなんですが、本当、えげつないくらい混むので」

「ですね」


 花色衣の戸を開くと、さらに人が多くなっていた。うんざりするような混みようである。


「タクシー、来たようですね」

「ええ」


 ここで、お別れとなった。


「では、陽菜子さん、良いお年を」

八月一日ほづみさんも」


 着物は後日、宅配される。手元に届く日を、今から心待ちにしていた。


「気を付けて帰ってくださいね」

「はい」


 外まで送ってもらい、タクシーに乗り込む。

 手を振る八月一日ほづみに、陽菜子は会釈をした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ