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第二話 そりが合わない男、八月一日

 なんの収穫もなく、手ぶらで帰社する。

 戻って来た陽菜子を鈴木は労ったが、きちんと仕事を果たせなかったので、居心地悪く思う。それから、八月一日(ほづみ)の態度を思い出し、苛立ちを募らせていた。

 そんなことなど気付きもせずに、鈴木はにこにこしながら話しかけてくる。


「鷹野さん、八月一日(ほづみ)君男前だったでしょう?」

「あ、いえ、あまり余裕がなくて、顔など覚えていません……」


 そう答えれば、今度会った時にじっくり眺めるように勧められた。


「もうね、本当に綺麗な顔で、着物も素敵で、眼福(がんぷく)って感じなのよ!」


 和裁士、八月一日(ほづみ)桐彦。陽菜子的には、二度と会いたくない、相性の悪い相手であると決めつけていた。

 (かぶり)を振って、気持ちを入れ替える。取材について報告をしなければならない。


「それで、頼まれていた仕事の件についてなんですが――」


 陽菜子の無知が原因で、呆れられてしまった。話が通じないと思ったのか、その場で取材に応じてくれなかった。

 原稿を持ち帰れなかったことを詫びれば、鈴木は大丈夫と笑い飛ばした。それから、慣れない部門の仕事を突然頼んで悪かったと頭を下げていた。


「着物関係の職人さん、結構真面目な人が多くて、八月一日(ほづみ)君はこちらが粗相してもいつもにこにこしていたから、大丈夫かなって思ったんだけど……。本当にごめんなさいね」

「いえ……」


 企画内容は八月一日(ほづみ)が手帳に写して持ち帰り、近日中にデータで送ってくれる旨を報告すれば、それは良い案だと鈴木は絶賛。


「今度から、取材はデータでやりとりしたいわ~」


 その呟きを聞いて、歴戦の編集者は(したた)かだと思う陽菜子であった。


 ◇◇◇


 終業後、着物部門の仕事を覚えるために『雅』の編集部に足を運ぶ。

 そこで、基本的な着物について学んだ。

 まず、一番驚いたことと言えば、着物は季節によって仕立て方が異なるという点。

 冬から春、秋は裏地のついた(あわせ)、夏は裏地のない単衣(ひとえ)薄物(うすもの)を着用する。

 インタビューにあった薄物とは、夏用の着物を示す言葉だったのだ。

 続いて、長襦袢は着物の下に着る肌着のような物だということが発覚する。他にも、着物を纏うまでいくつかの小物を必要としていた。

 『雅』の編集長鈴木は校了を終え、晴れやかな表情で着物の下の小物について教えてくれた。

「『肌襦袢』に『裾よけ』、その上に『長襦袢』でしょう、胸を平らにする『和装ブラジャー』、襟元を綺麗に見せる『襟芯』、着崩れを抑える『腰紐』、『伊達締め』、『帯枕』、帯を美しく見せる『帯板』――小物は以上かしら?」


「……はあ」


 陽菜子はまたしても、返事と溜息の混じったものを発する。着物を着る前なのに、これだけの品々があると言われ、うんざりしてしまった。


「あとの小物も大した数じゃないわ。襦袢の上にかける汚れ防止『半襟』に、半襟と着物の間に挟む『伊達襟』、帯を結び時に帯枕に被せる『帯揚げ』、『帯締め』、『帯留め』、『足袋』、『草履』――以上?」

「十分多い、です……」


 頭を抱える陽菜子に、鈴木は本棚から着物辞典を抜き取って差し出した。


「それ、貸してあげる」


 陽菜子は両手で受け取り、頭を下げた。荷物を纏めて帰宅をする。

 外はすっかり暗く、吹く風はいまだ冷たい。

 『雅』の編集部の様子を眺めていて感じたことは、仕事の力を入れる部分、部内の雰囲気、個人のモチベーション、何もかもが『minet(ミネ)』と違っていた。上手くやっていけるかは、まだわからない。

 着物についても、猛勉強しなければならないと思った。

 ふと、八月一日(ほづみ)に言われた言葉を思い出し、奥歯を噛みしめる。とりあえず、打倒八月一日(ほづみ)を目指し、頑張らなければと決意を固めた。

 時刻は二十二時。帰りの電車で揺られながら、陽菜子は電車のつり革を握りしめ、窓の外の景色を眺める。

 ほとんどのビルは最上階近くまで、ポツポツと灯りが点いていた。遅くまでご苦労なことだと思う。

 移動中も、スマホで着物についての基礎知識を頭に叩き込んだ。

 ガタン、ガタンと音を立てながら走る電車は、トンネルに入る。

 窓の外は煌びやかで落ち着かないビルの風景から、真っ暗となった。そこに映るのは、キャラメルブラウン髪にひょろひょろ体型の女の姿。我がことながら着物とは縁のない存在だと思う。

 陽菜子は厳しい家庭で育った。高校生まで、髪を染めるなんてとんでもない。ピアスなんてもってのほかという環境だったのだ。

 高校を卒業後、上京して一人暮らしをするようになり、自由を謳歌(おうか)した結果、オシャレに目覚めた。理由はあまり覚えていない。今までとは違う自分になっていくのが楽しかったとか、そういう単純な物だったように記憶している。

 派手な色合いの髪に深いこだわりはない。似合うのはきっと若い今しかないと思ってしているだけだ。

 三十近くなれば、髪を黒くして、きちんとしようとは考えている。

 『minet(ミネ)』で結果を残そうと奮闘していたが、そんな中での着物専門誌への異動。モヤモヤとした気持ちが膨らんでいく。

 陽菜子の中で着物と言えば、母方の祖母の姿を思い出す。常に和装で、背筋をしゃんと伸ばしている姿はとても凛々しかった。

 戦後より洋服へと移り変わる時も、(かたく)なに着物を纏い、人生を共に歩んでいた人だと、母親から聞いたことがあった。

 幼い頃の記憶と共に蘇る祖母の姿。上手く着物を着こなすことは『粋』で『雅』なのだと話していたことを思い出す。

 中でも印象的だったのは、紫陽花の着物。あれを見たのは何年前だったのか。なんとか記憶を蘇らせる。それは、紫色の生地に、白い紫陽花模様で、訪問着だと言っていたような気がしていた。

 訪問着をスマホで検索する。出てきた情報は、『華やかな場に着ていく準礼装』とあった。

 着物の中でも、礼装、準礼装、格式、略礼装と種類があることを知った。

 どうしてか、その着物のことが気になってしまった。もう一度、見てみたいと思う。着物についても、何か話を聞きたい。仕事へのステップアップに繋がるのではと考えていた。

 もうずいぶんと長い間会っていなかった。連絡先も知らない。

 小学生の頃はお盆と正月の年二回は必ず会いに行っていたが、中学辺りから数年に一回になっていた。部活もしていたし、習い事の大会などもあったので、タイミングが合わなかったのかなと、振り返っていた。

 帰宅後、母親に電話をして、祖母の電話番号を聞き出そうとした。着物について聞きたいと話せば、母親の声は浮かないものとなった。


「ねえお母さん、お祖母さんと、何かあったの?」

『いいえ、何も』


 これ以上質問は許さないと言わんばかりの声色だった。陽菜子の母は、渋々といった感じで電話番号を教えてくれる。

 早速祖母に電話をすれば、驚かれた。最後に会ったのは、高校生の時だったのだ。遊びに行ってもいいかと聞けば、もちろんだと言ってくれる。

 ホッと胸を撫で下ろす陽菜子であった。


 ◇◇◇


 異動を言い渡されてから三日経った。引継ぎを行いつつ、時間を見つけては『雅』の編集部に足を運んでいた。

 ちょっとした手伝いをしつつ仕事の雰囲気を掴もう。そんな目的で行っているのに、調べものを任されたり、原稿のデータ打ちをしたりと、即戦力な勢いで仕事を任されてしまう。困惑しつつも、できる限りのことをするようにしていた。

 本日頼まれたのは、レンタルしていた物を一つ一つ紙袋に入れ、小物の名称が書かれてある紙を貼りつける作業。


「……長襦袢は、お化けが着ているみたいな、アレ」


 陽菜子は独自の覚え方で小物を記憶していた。長襦袢は髪の長い女性のお化けが着ていそうな服と覚えている。

 小物についてはしっかり勉強していたので、自信を持って袋に詰めていく。


「え~っと、次は……ん?」


 まず、読み方がわからなかった。漢字は衣装の衣に、桁という『衣桁』という組み合わせの文字である。

 紙を手に持ち、首を傾げていると、背後より声が掛かる。


「それは、衣桁(いこう)と読むんですよ。着物を掛ける、衝立式のハンガーみたいな物です」


 陽菜子は驚いて振り返る。そこには、六十代半ばくらいの老人が立っていた。

 集中していたので、人の接近にまったく気付いていなかった。ドギマギしつつ、返事をする。


「衣桁、ですか」

「はい。ここにはないみたいですね。もしかしたら、倉庫にあるかもしれません」

「あ、ありがとうございます。探しに行ってみます」


 にっこりと笑みを浮かべる老人。柔らかい雰囲気で、優しそうに見える。

 突然現れたこの人はいったい……? 陽菜子は首を傾げる。

 まずは自己紹介でもしようと考えていれば、編集部の扉が勢いよく開いた。


「ただいま!」


 ここで、他の課に行っていた鈴木が帰って来る。 


「あ、吉野さん、お疲れ様です」


 老人の名は吉野ということが発覚した。ぎこちない陽菜子と吉野の様子を見て、鈴木が一言。


「あれ、二人って初めて?」


 陽菜子と吉野は同時に頷いた。


「鷹野さん、こちらは吉野さん。大ベテランの編集で、すっごいから!」


 具体的に何が凄いのかわからなかったが、オーラが普通の編集とは違うと陽菜子は思った。なんとなく、拝んでしまう。

 吉野孝市(よしのこういち)。六十歳であおい出版を定年退職後、派遣社員として再入社し、働いている。現在六十三歳だと鈴木は紹介する。


「吉野さん、こちらは鷹野陽菜子さん。新しい編集部員なんだけど」


 吉野は細い目をさらに細めてにっこり微笑むと、元気よく自己紹介をする。


「こんにちは、吉野と申します。好きな食べ物は月見うどんです」


 想定外の紹介に、陽菜子は笑ってしまった。吉野ははにかむ陽菜子に質問する。


「鷹野さんはここの前はどこの部署に?」

「『minet(ミネ)』っていうファッション雑誌の編集部です」

「そうなんですね。だったら、僕の服装どうでしょう?」


 曇りない銀縁フレームの眼鏡に、黒いジャケット、茶色のベスト、深緑のネクタイに、上着と同色のチノパン。かなりオシャレだと陽菜子は思う。


「素敵ですね」


 メンズは専門外であったので、率直な感想を述べる。

 陽菜子の高評価を聞いて喜ぶ吉野。その隣で鈴木が「よかったですね~」と呑気な様子で言う。

 この、親戚の家感はなんなのかと、陽菜子は思う。『minet(ミネ)』の編集部はもっとギスギスしており、編集同士がライバルみたいな関係で、日々切磋琢磨していたのだ。

 ほのぼのとした空気に、若干の違和感を覚えてしまった。

 そんな陽菜子の様子を気にもせず、鈴木は吉野についての紹介を付け加える。


「吉野さんね、生家が呉服屋さんで、着物についてもとっても詳しいから、何かわからないことがあったら、鷹野さんもドンドン聞いてね」

「はい、わかりました」


 ちらりと吉野を見る。目が合えば、手を差し出してきた。仲良くしましようと言われ、しっかりと握手を交わす。紳士な様子に、陽菜子は戸惑った。職場の同僚との距離感に悩む二十五歳である。

 吉野はこのあと打ち合わせがあると言って、出かけて行った。

 二人きりとなった編集部で、陽菜子は鈴木に何か手伝うことがないかと尋ねる。


「えっと、簡単なことしかお手伝いできませんが」

「本当? 嬉しい!」


 飛び跳ねるような勢いで、書類の入った封筒を手渡された。胸に押し付けられた茶封筒を手に取って、表に書かれた文字を読む。


八月一日(ほづみ)様……?」


 想定外の宛名に目を見開く陽菜子。これは和裁士の八月一日(ほづみ)かと尋ねる。


「そう! 昨日、渡さなきゃいけない書類だったんだけど、忘れていて」


 契約書なので、直接渡しに行って欲しいと頼まれる。


「今日もね、小虎堂で待ち合わせをしているから、頼めるかしら?」

「うわ……、あ、はい」


 浅草で会いたくない男ナンバーワンに輝く男、八月一日(ほづみ)桐彦。またしても、会わなければならぬとわかってげんなりとする。今回は予定にない面会なので、お詫びの菓子折りも持たされた。

 気に食わない相手だけれど、しっかり愛想よく接しなければならない。それが大人なのだ。

 憂鬱な気分で、浅草の町に向かう。

 待ち合わせ時間十五分前であったが、八月一日(ほづみ)はすでに小虎堂で待ち構えていた。陽菜子が店に入って来たことに気付くと、笑顔で軽く手を振る。本日は瑠璃(るり)紺色(こんいろ)の和装姿だった。


「どうも、お疲れ様です、陽菜子さん」


 またしても馴れ馴れしく名前で呼ばれ、その場で肩を落とすように脱力した。眉間の皺を伸ばしながら、引き()った笑顔を浮かべつつやんわりと指摘する。


八月一日(ほづみ)さん、陽菜子さんじゃないですよ」

「あれ、違いましたか?」

「合っていますけれど、名前で呼ばないでくださいね、という意味です」

「ああ、なるほど。でしたら、ねこちゃんと呼んでも?」

「どうして、下の名前とねこちゃんの二択なんですか!」

「せっかくなので、可愛い名前で呼びたいなと思いまして」


 いったい何を言っているのだと、不審者に見るような視線を向ける。こめかみを押さえ、どうすればいいのか考えるが、答えは浮かんでこない。


「何か?」

「いえ……」


 顎に指先を添え、首を傾げる八月一日(ほづみ)を前に、陽菜子は溜息を吐く。

 埒が明かないと思い、仕事を始める。書類をテーブルに広げ、内容の確認をしてもらうことにした。ペンと朱肉を出し、サクサク記入をするように促す。

 八月一日(ほづみ)は指先で契約書の文字を追いながら、陽菜子に話しかけてくる。


「あおい出版さんの取材って、後藤さんって男性の編集さんか、吉野さんっていうお爺さんの二択なんですよね。鈴木さんと会うのは(まれ)で」


 鈴木や後藤は忙しく、取材にやって来るのはほとんど吉野だと話す。かなり着物に詳しい人だと評していた。


「なんか、女性の編集さんだと、気分も華やぎますね」

「それは良かったですね」


 本気か冗談かもわからない言葉を、陽菜子はさらりと流した。


「それはそうと、着物について、今日はいかがですか?」

「今日は、とは?」

「あれ、着物を着てくれる約束をしていませんでしたっけ?」

「していません!」


 しっかり刻まれていた眉間の皺を指先で伸ばし、はあと盛大な溜息を吐く。


「なぜ、そこまで着物を推すんですか?」

「純粋に、似合うと思ったからです」

「私に?」


 陽菜子は小学生の時から高校までの約十年間、空手をしていた。肩幅は張っているし、腕は太い。(もも)にはしっかりと筋肉が付き、立派な物だという自信がある。そんな姿を見て、どうして着物が似合うのかと思ったのか、理解に苦しんだ。


「どうでしょう、一度着てみては?」

「いいです。今、忙しいので」

「そうですか……残念です」


 もしかしたら、陽菜子と打ち解けようと思って着物を猛烈に勧めるのかと推測する。けれど、見当違いの相手に似合うと言いきるのはどうかと思った。

 無駄な会話はさておいて、仕事の話に戻る。


「あ、そうそう。雑誌の原稿、完成したので持ってきました」

「ありがとうございます」 


 テーブルの上にあった封筒を差し出される。この場で確認してくれと言われた。陽菜子はどうか難しいことは書いていませんようにと祈りながら、開封して中の原稿を取り出す。

 テーマは『薄物』。それから、家庭でできる長襦袢のお手入れについて。

 まず書いてあったのは長襦袢の生地について。絹などの天然繊維の場合、水洗いは厳禁。最近は綿シルクという、自宅で洗濯できる生地もあるらしい。


「絹は水で洗うと縮んでしまうので」

「なるほど」


 汗染みはできる前に予防する。脇や背中など、汗染みになる前に、離れた場所から霧吹きをして、しっかり陰干しをしておくのだ。

 八月一日(ほづみ)の文章は簡潔の一言。シンプルなだけでなく、素人の陽菜子にもわかりやすく書かれていた。

 特に誤字脱字や誤用などもなさそうだったので、そのまま受け取る。書き終わった契約書もきちんと封筒に入れた。

 最後に、陽菜子は居住まいを正し、礼儀として一言謝っておく。


八月一日(ほづみ)さん、こちらの不勉強と準備不足で、手間をかけさせました」

「い~え、いいですよ。お仕事ですので。どうぞお気になさらず」


 八月一日(ほづみ)の言い方に棘があったように感じ、僅かにムッとしてしまう陽菜子。

 着物についての本を買ったり、毎日『雅』の編集部に通ったりと、自分なりに頑張っているつもりだった。着物の知識も、初対面の頃よりはマシになっている。

 けれど、それをひけらかすつもりはない。仕事ができない言い訳にもしたくなかった。

 今に見返してやると、八月一日(ほづみ)にじっと強い視線を向ける。けれど、どうしてか微笑み返されてしまうのだ。意味がわからず、訝しげな目を向ける。

 八月一日(ほづみ)が笑みを浮かべた理由は、思いがけないものであった。


「本当に、あなたは猫みたいですね」

「どういう意味ですか?」

「毛を逆立ててばかりで、ちっとも懐かない」


 だから「ねこちゃん」と呼んだのだと、意味を今になって理解する。

 当然ながら、その評価は面白くない。仕事で来ているのに猫扱いをするとは、失礼極まりないと思った。

 陽菜子は無言で立ち上がり、伝票を雑に握って会計しに行く。領収書を書いてもらったあと、八月一日(ほづみ)を振り返って言った。


「ドウモ、アリガトウゴザイマシタ」


 心にもない言葉だったからか、ロボットが読み上げたような棒読みになってしまった。

 八月一日(ほづみ)の表情など確認せずに、店を出る。

 今回も凄まじく息が合わない二人であった。


 ◇◇◇


 八月一日(ほづみ)と別れたあと、どうにもむしゃくしゃしていたので、終業後ある場所に立ち寄った。

 秋葉原駅直通ビルの中にある、バッティングセンターである。

 週末なので、デートに来ている男女が目立った。陽菜子は内心チッと舌打ちをした。

 飲み会帰りのサラリーマンや、合コンの打ち上げなど、店内は混んでいたが、辛抱強く順番待ちをした。

 ここは大学時代、サークルの打ち上げなどで使っていた場所だった。社会人になってから初めてやって来た。

 数年前にオープンしたバッティングセンターで、投手の映像付きで球が打てる最新型が導入されている。

 最初は肩慣らしで、速度は九十キロに設定。金属バットを掴んで構える。

 カコーン! と、小気味いい音を鳴らし、球は飛んで行った。

 だんだんと速度を速めていく。

 初めの打率は二割ほど。だんだんと感覚を思い出し、飛んでくる球を次から次へと打ち返す。最後に、百六十キロに挑戦した。

 三球ほど空振りに終わったが、四球目はバットに当たり、球は孤を描いて飛んで行く。

 剛速球を打ち返し、清々しい気分となった。

 その後、ゲームセンターに寄り、パンチングマシーンに挑戦する。

 お金を入れ、すうと息を吸い込む。陽菜子は心の中で叫んだ。


 ――八月一日(ほづみ)の野郎! 理由はよくわからないけれど、気に食わないんじゃ~~!!


 ドシンと重たい一撃を、マシンが受け止める。いつもより、力のこもったパンチだったように思う。

 はあと息を吐き出し、数値を映すディスプレイに注目をした。

 大学時代の最高記録は百二十。今日はどうかと、眺めていれば、テッテレ~と、聞いたことのない電子音が鳴った。

 出た数値は、二百。今月のトップ記録だという文字が出てきた。周囲にいた人達からも、どよめきが聞こえる。

 陽菜子自身も驚き、記念にスマホで写真を撮った。いつの間にか拍手が巻き起こり、恥ずかしくなったので、軽く会釈をしつつその場を去った。


 久々のバッティングセンターとゲームセンターはストレス発散となり、気分も爽快のまま帰宅となった。


 コンビニで買ってきたお弁当を食べつつ、久々に大学時代の友人達へグループメールを送ってみる。

 バッティングで百六十キロ打てたことと、パンチングマシーンで二百を出したことを写真付きで報告した。

 すると、すぐに反応が返ってくる。


 ――都会に生きる雌ゴリラかよ。アグレッシブ過ぎ。

 ――もしかして一人で行ったの? 彼氏は?

 ――新記録とか超ウケる! 陽菜子は相変わらずだね。


 友人達は陽菜子の新記録に対し、呆れ果てていた。

 皆、大学時代はサークルで馬鹿やっていたメンバーであったが、一人は呉服屋に就職し、秋には結婚をする。一人は旅行代理店に就職し、日本と中国を行き来している。一人は学校の先生になり、忙しい日々を過ごしていると言っていた。

 皆、就職して頑張っている。陽菜子は相変わらずだと言われて、我に返った。

 言われた通り、恰好も、考えも、行動も、学生時代と何一つ変化がない。どうしたら、変わることができるのか、まったく思いつかなかった。

 疲れているので考えても無駄と諦め、今夜は大人しく眠ることにした。

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