第十八話 師走
季節は移ろい、並木道の葉は散りゆく中で、陽菜子は忙しい日々を送っていた。
年末年始は休業になるため、十一月から十二月に掛けて、スケジュールなどが前倒しで詰まっていくのだ。
当然ながら、一月発売の着物季刊誌『雅』の締め切りも目前に迫りつつある。
八月一日と協力して作る木綿の着物の企画も、どんどん形になっていた。
無事撮影も終え、原稿も完成する。
初めての企画であったが、八月一日のサポートもあって、なんとかこなすことができた。
同時進行で、祖母幸恵と母初恵の仲直り計画も立てていた。
どうすれば初恵に着物を良く思ってもらえるのか。
まず、頑張って作った木綿の特集が載った『雅』を見てもらうこと。最高に写真写りの良い八月一日の姿が掲載されているので、食いつくだろうと予測。
後日、それとなく感想を聞いてみる。
好印象であれば、東京に招き、陽菜子の着物姿を見てもらうのだ。その場に、幸恵も呼ぼうと考えている。
問題は、どこに集まるか。
食事会は少し気まずい。かと言って、お茶会などはかしこまり過ぎている。
悩んだ末に、吉野に相談してみる。
「でしたら、歌舞伎などいかがでしょうか? 今度、知り合いの役者さんの襲名披露興行があるのですが、それに行ってみては?」
「歌舞伎、ですか」
「はい。チケットを数枚いただいたのですが、なかなか知り合いに興味がある人がいなくて」
曰く、数年前に日曜朝のヒーロー物の番組に出ていた俳優だと言う。知名度はそこそこあると。
「そ、それだ!!」
「はい?」
「あ、す、すみません。あの、いくらでも出しますので、譲ってください」
「いえいえ、余っているので、差し上げますよ」
「そんなわけにも」
「では、出世払いで」
吉野はにっこりと微笑みながら言う。
言葉では勝てないと思った。
「何枚必要ですか?」
「三枚……いえ、四枚……すみません、図々しいお願いを」
「とんでもない。必要な方の手に渡るのは、嬉しいことです」
重ねてお礼を言う陽菜子。ここで、事情を少しだけ吉野に説明した。
「なるほど。難しい問題ですね」
「はい」
「しかし、作ったのが訪問着ならば、襲名披露興行はちょうどよかったですね」
着物を着ていくには、時・所・場合に応じた服装の使い分ける必要がある。
「まず、季節に合う着物を着ていくことはもちろんのことですが、座席や興行によっても着分けなければならないのです」
陽菜子は吉野が語る着物を着ていくシビアな条件に、驚くことになった。
「歌舞伎はですね、座席にグレードがありまして――」
一段高い位置に設けた桟敷席、一階席、二階席、三階席がある。
「歌舞伎はカジュアル服でも入れますので、周囲と合わせないと浮いてしまうのです」
「なるほど」
「襲名披露興行などは、特別なので、訪問着でも問題ないですよ。しかし、難しいのは通常の興行日ですね」
普段行われている興行でも、桟敷席は客席からも見える位置にあるので、付け下げや飛び柄の小紋などの華やかな着物を着ても問題ない。だが、訪問着だと、いささか大げさすぎる。
一階席に座る場合、華やかな着物は目立ってしまう。なので、小紋などのシンプルな装いがベストとなる。
「観劇には、染め着物が良いとされています」
話を聞きながら、陽菜子は額に汗を掻く。こんなにも、着物を着ていく条件が厳しいものだと思ってもいなかったのだ。着物の柄や、格を気にしていればいいという問題ではなかった。
「二階席、三階席ともなれば、着物を着ている人は少ないですね。夏ならば、麻の着物でも問題ありません」
「なんか、いっぱいいっぱいになりそうです」
歌舞伎で正しい着物の装いとなると、決まりごとも多く慣れない人にとっては堅苦しく感じてしまうと、正直な感想を述べた。
「そうですね。最近は浅草などで、着物で歌舞伎を観劇するイベントなどもありまして、ロビーには着崩れ直しをするスタッフもいたりなど、着物業界を盛り上げるイベントも開催されています。そういうところから、気軽に参加をするのもいいのかもしれません」
吉野の話をしっかりメモを取り、頭の中にも叩き込む。勉強になったと、深々と頭を下げた。
◇◇◇
やっとのことで『雅』春の号は校了となった。
長きに渡りバタバタしていた編集部も、ようやく安寧が訪れる。
時刻は十六時過ぎ。
「鷹野さん、お疲れ様。もう、帰ってもいいわよ」
鈴木より声をかけられ、驚く陽菜子。
耳元でこっそりと囁かれる。
「今日、デートなんでしょう?」
「え!? なん……」
なんでバレてしまったのか。いつも通り仕事をしていたはずだと、陽菜子は思う。
デートではないが、八月一日と打ち上げをする予定だったのだ。
「だって、今日は凄い服装に気合が入っているし」
「……あ、はい」
バックリボンのパフスリーブブラウスに、細身のズボン。踵の高い靴。陽菜子にしては女の子らしく、可愛らしい服装だったのだ。
「今からだったら美容室とかも間に合うし、プレゼントとか買う時間とかもあるかも」
「……ありがとうございます」
プレゼント。どうしようか迷っていたのだ。休日返上で仕事をしていたので、買いに行く暇もなかったし、遠慮されたり、趣味に合わなかったりしたらどうしようとかうだうだ考えていたら、結局行動に移せなかったのだ。
食事もたくさん奢ってもらったし、世話にもなった。感謝の気持ちを伝える形として、何か贈り物をしたいと、心の奥底では思っていたのだ。
結局、お言葉に甘え、早退させてもらう。
陽菜子が向かったのは――銀座。
老舗ののれんが揺れる、日本家屋をモチーフに作られた渋い佇まいのお店。
「いらっしゃいま……あ、陽菜子!」
笑顔で迎えたのは、呉服屋で働く友人優衣。
結局、彼女は呉服屋を辞めずに、働き続けていた。
かつての婚約者は店内にはいない。京都に行って、一人寂しく商いをしているという話を聞いた。
「で、今日は何をしにきたの?」
「あの、プレゼントをと、思って」
「男?」
「あ……うん」
目を丸くして、陽菜子を眺める優衣。
「な、何?」
「うわ、絵美里の言っていたこと、本当だったんだ!」
「え、絵美里、なんか言っていたの?」
「うん。陽菜子に男ができたって! うわ~~!」
「いや、彼氏じゃないから! 知り合いって言うか、お世話になっている人と言うか」
「うんうん、好きなんだよね」
「はあ!?」
「誤魔化さないで」
どうせ、何を言っても勝てないと思い、好きに言わせておいた。
「――と、プレゼントだったね」
「うん。なんか、良い物を見繕って欲しいなと」
「了解」
男性用の小物は種類が少ない。その分、いい品を仕入れていると優衣は話す。
「年齢は?」
「三十二」
「そっか。だったら、京扇子とかは……今は冬だし微妙か。う~ん。小物は着物の兼ね合いもあるから、難しいよね」
そうなのだ。せっかく選んでも、八月一日が持っている着物と会わなかったら意味がない。
「あ、これは? 帯とかに付けられる信玄ポーチ。これだったら無難な柄だから、どの着物にも合いそう」
網代編みのシンプルなデザインに、ほどよい大きさで、仕事中にも使えるのではと思った。
「じゃあ、それにする」
「お買い上げ、ありがとうございました」
他に客がいなかったこともあり、丁寧にラッピングもしてくれた。
「これ、来月セールに出そうとしていたんだよね」
「ええ……」
「だって、うち、若い男性客とかほとんどいないから」
今度店に連れてくるように言われたが、和裁士だと聞くと笑顔が消える。
「ぐいぐい営業しそうで怖い」
「してくるよ、多分」
「やだ~~。陽菜子の彼氏だから、紹介してもらおうと思っていたのに!」
優衣の嫌がる様子を見て、陽菜子は笑う。
「お願い陽菜子、私が呉服屋の店員だということは黙っておいて!」
「どうしようかな~」
「もう、いじわる!!」
初めて陽菜子が優衣に勝った瞬間であった。
 




