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第十七話 秋――彩りを帯びた世界

 母の電話を切ったあと、すぐに祖母幸恵へ電話を掛けた。


『もしもし?』

「あ、私、陽菜子だけれど」

『ええ、携帯の名前を見ればわかりますよ』


 さすが母娘だと思った。返しがまったく一緒だったのである。

 幸恵は最近、陽菜子と連絡を取り合うために携帯電話を買った。一ヶ月で使い方を覚えた猛者なのだ。


「あの、今日、楽しかったね」

『ええ、八月一日ほづみさんには、ごちそうになって』


 本日はすべて八月一日ほづみの奢りだった。というか、陽菜子は毎回そうである。


「なんか、毎回毎回悪いから、私も何か、一着仕立てを頼もうかなって」

『まあまあ!』


 幸恵は嬉しそうに声を弾ませる。


『陽菜子さんに似合いそうな反物があるんですよ』


 鎌倉の家に来いと誘われる陽菜子。苦笑しつつ、時間を見つけて訪問する約束をした。


『今度、八月一日ほづみさんに作ってもらうのは訪問着と言っていましたね?』

「あ、うん。そう」


 訪問着は昼間の礼装で、結婚式や表彰式、パーティ、年賀など、たいていの場に着ていける一着である。


『でしたら、今度は付け下げとかでもいいかもしれないですね』


 付け下げとは訪問着の代わりに着ていくことができる、気軽な社交着である。

 訪問着よりもデザインなどがシンプルな印象があり、華やかさに欠けるが、通好みの着物なのだ。幸恵は普段、付け下げを着て出かけることが多いと話す。


「そっか。訪問着だと華やか過ぎて着ていく場も限られてしまうけれど、付け下げは着ていける場所が広がるんだ」

『そうですね。お茶会とか、好んで着る方が多いです』

「お茶会か~」

『今度、一緒に行きましょう』

「う、うん」


 自分にできるのか、いささか不安に思ったが、新しいことに挑戦するのもいいかもしれないと、陽菜子は思う。


『今度、八月一日ほづみさんも一緒に鎌倉へいらっしゃったらどうです?』

「あ、いや~、どうだろう。忙しい人だから」

『でも、この前機会があればと言っていました』

「ええっ……」


 いつの間に仲良くなっているのか。陽菜子は眉間に皺を寄せる。

 他にも着物の仕立てを依頼していることも明らかとなった。


『若いけれど、腕の良い和裁士です。将来が楽しみですね』

「うん。今度、言っておくよ」


 雑談はこれくらいにして、本題に移る。


「あのさ、お祖母さん、前に、母さんに反物送った?」

『いつの話ですか?』

「二月くらい?」

『ああ、木綿の反物ですね』


 それがどうしたのかと聞かれ、事情を軽く説明した。


『あの子、どの反物を送っても怒るんですよ』


 幸恵は以前、成人式用の反物を初恵に送ったことがあったと話す。


『高価な物を勝手に選んで送ったのが気に食わなかったみたいで、大喧嘩。結局成人式にはスーツで行ったって話ですよ』

「な、なるほど」


 そんなことがあったので、今回は安い木綿の反物を送ったのだと、幸恵は主張する。

 双方の言い分が理解できた陽菜子は、はあと溜息を吐く。


『安物だと怒っていたけれど、人の価値なんて物で決まるわけではないのに、あの子ったら』

「……うん」


 母初恵は身に着ける物でその人の価値は決まると言った。

 逆に、幸恵は人の価値は物で決まるわけではないと言う。

 二人の言い分は、どちらも正解であり、不正解であるのだと、陽菜子は個人的に思う。

 けれど、それを上手い具合に説明するのは難しい。いろいろと、複雑な世の中なのだ。


 ◇◇◇


 陽菜子はその日から、どうすれば木綿着物の良さを伝えることができるのか、研究を重ねた。

 イケメン俳優の着物写真を集めることから始め、素材について、柄についてなど、資料を纏めていく。

 週の半ばごろ、八月一日ほづみからメールで連絡が入った。母親へのプレゼンの結果はどうだったのかと。惨敗だと告げた。

 力になれることがあったら、なんでもいいので相談して欲しいと言ってくれる八月一日ほづみの存在を、ありがたく思った。


 母親へ見せる資料なので、データ管理ではなく、いちいち印刷して集めていた。

 作業時間は家と、会社での休憩時間にも及ぶ。

 熱心に書類の整理をする陽菜子の背後に、忍び寄る者が現われた。


「あら、鷹野さん、それ、なあに?」


 声にびっくりして振り返ると、『雅』の編集長である鈴木が机の上を覗き込んでいた。


「へえ、木綿の着物か~」


 休憩時間に作業をしていたので、問題はない。けれど、編集部にあった資料なども勝手に使っていた。

 鈴木の差し出す手を、拒否できなかった。


「ふうん。『日常と共に生きる木綿着物』か。なるほど」


 パラパラと、資料を捲っていく鈴木。

 これをどうするのか。聞かれるのではないかとドキドキしていたが――


「いいわね。これ、今度の会議にかけましょう」

「え?」

「春の号の特集、何にしようか迷っていたのよね」


 春の号とは、一月発売の『雅』だ。基本的に、季節を先取りして発売するので、冬発売であっても、特集は春物なのだ。


「二月は木綿着物の日もあるし、反物買って、仕立てたら春くらいになって、木綿着物を着るのに良い時季になるから、ちょうどいいわね」


 バンバンと、陽菜子の肩を叩く鈴木。


「こういうの、鷹野さんはしないって思っていたけれど、やってくれたわね。とっても嬉しいわ」

「あ、はあ……」


 もう、母親のために作った資料ですとは言えない雰囲気となった。

 偶然にも、陽菜子の母親の年齢と『雅』の読者層の年齢が被っていたのだ。


「あ、あの、そういえばさっき、木綿着物の日とかなんとか言っていましたが?」

「二月十日は太物の日と言って、木綿着物の日なのよ」


 木綿、麻、ウールなどは糸の太い素材で作られており、反物にして芯に巻きつければ、絹に比べて太くなる。

「ふ(二)と(十)もの」という語呂合わせで決まった記念日なのだ。


「宮崎県の呉服屋が提唱して、認定された日だったような」

「そうだったのですね」

「ええ。着物と言ったら絹でしょう? 木綿の着物を知ってもらうために、作ったんじゃないかしら?」

「なるほど」


 なぜ、幸恵が二月に木綿の反物を送った謎が解明する。

 太物の日にちなんで、木綿着物を布教しようとしていたのだ。


 こうして、意外な形で世に出ることになった陽菜子の木綿の着物の資料であったが、見事、会議で企画が通った。

 一人だと不安なので、八月一日ほづみの監修を付けることができないかと頼んでみると、許可が出る。


 そして、八月一日ほづみと二人三脚で企画を煮詰めることになった。

 小虎堂で打ち合わせを行う。陽菜子が頼んだことは――


八月一日ほづみさん、雑誌に顔出ししてください」


 母親に、なんとか食いついてもらうためには、イケニエ……ではなく、イケメンが必要だったのだ。


「顔出しですか」


 八月一日ほづみは企画の資料に視線を落とし、厳しい表情でいる。

 陽菜子の頼みでも、即決とはいかなかった。

 そんな状況であったが、八月一日ほづみは一つの条件を挙げる。


「陽菜子さんも一緒だったらいいですよ」

「え!?」

「雑誌の顔だし。ただ、陽菜子さんは後ろ姿などで構いません」


 突然の提案に、大混乱となる。

 母親の気を引くことも大事だが、読者の気を引くことも大事だった。

 その両方を可能とするのが、八月一日ほづみの顔出しだったが――


「私も、木綿の着物を着て、撮影すると?」

「そうです」

「で、でも、初めての着物は、八月一日ほづみさんが作ってくれた訪問着って決めていて――」


 そこまで言ってハッとなる。完全な公私混同であった。


「あ、ご、ごめんなさい、私――」

「そこまで初めてを大切に想っていてくれていたなんて……」


 八月一日ほづみは手を伸ばし、向かいに座っている陽菜子の両手をぎゅっと握る。


「ありがとうございます。とても嬉しいです」

「え、いや……」

「やっぱり、陽菜子さんの撮影は止めておきましょう。初めては、私の訪問着を着てください」

「あ、はあ……」


 なんか、妙なスイッチが入ってしまったと、たじろく陽菜子。

 一方で、八月一日ほづみはにこにこと嬉しそうだった。


「あの、それで、撮影は?」

「顔出しはOKです。ですが、陽菜子さんはダメですよ」


 その理由は、とんでもないものだった。


「こんなに可愛らしいお方を、他の人に見せるわけにはいきませんから」

「はい?」


 早口過ぎて聞き取れず、陽菜子は首を傾げる。


 八月一日ほづみは微笑むだけで、言い直そうとはしなかった。

 陽菜子はとりあえず手を離してくれと、やんわり指摘をした。


 ◇◇◇


 冷たい風がぴゅうと吹き、ハラハラと舞い散る紅葉。

 暖かな色に包まれた秋は、終わろうとしていた。


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