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第十四話 浅草にて、どぜう鍋

 母親との電話を終え、脱力する陽菜子。どうしてこうなったのかと、頭を抱え込む。

 とりあえず食事にしようと、冷蔵庫の中を探った。

 冷蔵庫から豚肉と玉葱を取り出し、切りわける。

 フライパンに火を入れ、切った材料を炒めた。火が通ったら、醤油、みりん、砂糖、酒、生姜ペーストなどを入れて味を調える。どんぶりにご飯をよそい、豚丼にするのだ。

 以前、友達に普段どんな料理を作っているのかと聞かれ、ハンバーグ、からあげ、カレーライスなどと答えたら、「野球部の男子が喜びそうなメニューだ」と言われたことを思い出す。

 豚丼も野球部の男子っぽいと言われそうだったので、野菜室からレタスを取り出し、ご飯の上に敷く。豚を被せるように乗せ、色味に白葱を散らした。仕上げに百均の道具を使って作った温泉卵を落とした。

 これで、彩りも良くなったと思ったが、豚丼は豚丼だ。女子力皆無のメニューと言えよう。

 今日は諦めて、野球部の男子が喜びそうな豚丼を食べることになった。


 食後、風呂に入り、必要なメールを送信して、寝室に移動する。

 そして、静かな部屋で考えた。母親に着物の良さを知ってもらうには、どうしたらいいのかと。

 何か良い着物がない物か、仕事で調べた物を書いたノートを開く。

 着物と言っても、さまざまな種類がある。

 まず、大きくわけて、「染め」と「織り」の二種類。

 白い糸を織り、完成した布地に色や柄を付けた物を「染め」着物と呼ぶ。

 一方で、染色した糸を織って生地にした布で作った物を「織り」着物と呼ぶのだ。

 礼装や社交着として纏うのが染め着物。

 普段着として着ることが多いのが織り着物である。


 逆に、帯の多くは織りがフォーマル、染めがカジュアルな装いとなっていた。

 その違いも、陽菜子は面白いと思っている。


 和装が普段着だった昔とは違い、着物の着方に正解などないと陽菜子は思っている。

 もちろん社交場など、きちんとした場所では正しい装いをしなければならないとわかってはいるが。

「着物はこうであるべき!」という、ガチガチの考えが多くの人に根付いているからこそ、着物は敷居が高いものというイメージが強まってしまうのだ。

 もっと柄が好きとか、帯が素敵とか、単純な理由で着てみてもいいのではと考える。深く学ぶのは、一度袖を通し、気に入ってからでも遅くないのだ。


 そう主張する一方で、「着物はちょっと」と言いたい気持ちは陽菜子もよく理解していた。祖母幸恵がきちっと着物を着こなす姿を見て、遠い存在だと思っていたのだ。自分は一生着ることがないだろうとも。


 母親にはまず、着物を身近に感じてほしいと思った。なので、普段着としても選ばれている織り着物の良さを知ってもらえばいいのではと思う。


 織り着物の代表的な物は、紬糸で織られた「つむぎ」、最高級の絹織物から作られる「御召おめし」、麻を織った着物「上布じょうふ」、木綿糸の織物で作る「木綿もめん」の四種類。


 紬は着ていく場所や季節によって柄が決まっている。なので、その話を聞いただけで、拒絶反応を示しそうだと思った。

 御召はもっとも染め着物に似ており、格式高く感じてしまう可能性があった。

 上布は夏に着る涼しげな素材だ。今からの季節にはそぐわない。

 最後に残ったのは木綿。ふんわりと柔らかく、肌に優しい。四季を通して着ることができ、しかも手入れはしやすく、絹の着物よりリーズナブルな価格設定なのだ。さらに、カジュアルな生地なのに品があるなど、着物の初心者にはありがたいことばかりである。


 知れば知るほど、母親には木綿の着物がぴったりなのではと思った。

 だが、どうやって勧めればいいのか。

 いっそのこと、口の上手い八月一日ほづみに会わせて、セールストークをさせるのが一番話が早いのではと考える。

 お堅い陽菜子の母初恵だが、男前にはめっぽう弱い。本人はバレていないと思い込んでいるが、戦隊もの出身の若い俳優が出ているドラマなど、毎回漏らさずチェックしているのだ。家族公認の秘密なのである。


 今度、八月一日ほづみに会った時にでも相談しようと思った。


 ◇◇◇


 土曜日。祖母幸恵と八月一日ほづみと三人で、浅草にどじょうを食べに行く。

 服装はクルーネックの白いロンティーに、ベージュの飾り撚糸モールヤーンニットを合わせ、下はキャラメル色のレギンスパンツにした。幸恵が驚かない、地味できれいめな服装である。

 身支度が済んだ陽菜子は、朝から幸恵を鎌倉駅まで迎えに行った。

「陽菜子さん、こちらです」

 駅でキョロキョロしていると、背後よりを掛けられた。

 振り向くと、和装姿の幸恵が凛とした様子で佇んでいる。

「わ――綺麗」

 陽菜子は自然とその言葉がでてきた。

 葡萄唐草模様の紬着物に、香色の帯とどんぐりの帯留め。秋らしい着物の上には、小豆色の羽織を纏っている。

 すべて、八月一日ほづみが仕立てた物だと幸恵は自慢げに話した。

「へえ、なんか、いいなぁ」

「陽菜子さんも仕立ててもらっているのでしょう?」

「そうなんだけど」

 冬頃を目安に注文しているので、あと二、三ヶ月は先の話であった。

 なぜか照れてしまい、慌てて話題を変える。

「お祖母さん、この前言った賭け、覚えている?」

「ええ。どじょうが不味かったら、好きな鞄を買うという話ですね。きちんと覚えております」

「よかった」

 話題を逸らすことに成功した陽菜子は、出発しようと声を掛けた。

「そろそろ行こっか」

「ええ、そうですね」

 まず、鎌倉から東京新橋まで乗り、JRから東京メトロに乗り換え。そのまま浅草まで向かう。

 電車慣れしていない幸恵のために、なるべく混まない時間帯を選んだつもりだったが、土曜日なのでどこに行っても多い。

 ケチらずに、タクシーで行けばよかったと後悔する。


 電車に揺られること一時間。やっとのことで浅草に到着した。

 八月一日ほづみは駅出入口で、すぐに見つけることができた。男性の和装姿で、目立っていたのだ。

 深緑の着物に藍色の帯、黄褐色の羽織と、秋をイメージするような組み合わせである。

 生地の素材は見ただけではわからない。まだまだ修行不足だと痛感する陽菜子。


「これ、会津木綿ですよ」

「え!?」

「すみません、熱心に見られていたので、素材が気になるのかなと思っていましたが?」

「さすがですね。正解です」


 はははと笑って誤魔化していたら、幸恵にひと様の着物をじっと眺めるものではありませんと叱られてしまった。


八月一日ほづみさん、ごめんなさいね」

「いえいえ、大丈夫です。陽菜子さんになら、大歓迎ですよ」

「あらまあ、仲が宜しいこと」


 幸恵の勘違いがさらに加速するような言葉に待ったを掛けようとしたが、タイミングが良いのか悪いのか、八月一日ほづみが呼んでいたらしいタクシーが到着する。


 江戸時代より浅草の地で愛される「どぜう」。東京の数少ない郷土料理である。

 陽菜子はどじょうなんてと思っていたが、幸恵の猛プッシュで食べることになった。

 ものの数分で、タクシーは店先に到着する。

 昔ながらの日本家屋風の佇まいに、どぜうと書かれたのれんが掛かっていた。

 幸恵は慣れた様子で名を名乗り、奥の部屋へと進んで行く。

 辿り着いたのは、掘り炬燵のあるお座敷。しばらく待つと、一人ずつどじょう鍋が運ばれる。炭火の上で、ゴボウと一緒にぐつぐつと煮こまれていた。

 どじょうは骨付きの「丸」と骨なしの「抜き」がある。陽菜子と幸恵が「抜き」、八月一日ほづみは「丸」を注文していた。

 生きたままのどじょうを酒に漬けこんで煮込む、珍しい調理法なのだ。

 鍋に敷き詰められたどじょう。鍋に葱を入れ、好みで薬味を付けて食べる。

 白葱がしんなりとしたら、食べごろだ。


「では、いただきましょうか」


 陽菜子は器にどじょうと葱をよそい、山椒を掛けて食べる。

 身は淡泊で、多少、野性的な風味がある。甘辛い味付けで、葱のピリッとした辛みとの相性は抜群だ。


「どうですか、陽菜子さん?」

「いや、あの、美味しいです」

「でしょう」


 ふふふと微笑み、勝利に酔いしれる幸恵であった。

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