第十三話 東京下町グルメ
本日は婦人向け着物季刊誌『雅』の別冊付録、『下町グルメ散歩』の取材に陽菜子は向かう。大人数の撮影スタッフなどは連れずに、吉野と二人で行うのだ。
「しかし、意外でした。吉野さんがカメラ撮影できるなんて」
「老後の趣味なんですけれどね」
吉野は一度あおい出版を定年退職し、半年後に契約社員として再入社した。
休職していた半年の間に取った資格が、『フォトマスター検定』。写真とカメラの実用知識の資格である。
「凄いですね」
「いえいえ、大切なのは撮影の腕なので」
そんなことを話しながら、二人は取材先へと向かって行った。
一件目は駅から徒歩二分の場所にある、江戸前寿司の老舗店。お任せ握りを頼み、皿に美しく盛り付けられたネタを撮影していく。
「ここの記事を書くのは鷹野さんなので、どうぞ召し上がってください」
一人だけ食べるのはなんだか悪いなと思ったけれど、この先何軒も回らなければいけない。なので、遠慮なく食べることにした。
まずは福岡から仕入れたという、ヒラメの握りをパクリ。今が旬なので、上品な脂が乗っている。
次にアジ、タイなどの淡白な味わいのネタを続けて食べた。
寿司のメインと言えばマグロ。キラキラ輝くルビーのような赤身を、口に運ぶ。たっぷりと脂の乗ったマグロは、舌の上でとろけた。上質な味わいで、甘味がある。
一口お茶を飲んで、イワシやコハダなどの光物を攻略し、最後にさっぱりとしたカッパ巻を食べて完食となる。
記事を書かなければならないので、じっくりと味を噛み締め、メモを取っていた。最初はなんて良い取材なのかと思っていたが、しだいに面倒になる。美味しい物は何も考えずに食べたい陽菜子であった。
店主に話を聞き、旬のネタについて聞いたあと店をあとにする。
今度はプライベートで食べにこようと心に決めていた。
続いて、両国にあるうなぎ屋へ向かった。今度は吉野が食べる。
瓦屋根と縁側のある日本家屋のような佇まいで、大正八年創業の老舗店である。店内はたれの香りが漂っており、お腹いっぱいの陽菜子でも、食欲がわいてしまう。
運ばれてきた鰻を、吉野は十数枚撮影したあと、実食する。
「たれが香ばしく、皮はパリパリ、実がふっくらしていて、とても美味しいです」
テレビのグルメレポーターのようなわかりやすく的確なコメントをする吉野。白焼きと肝焼きも注文し、しっかりと完食していた。
「さて、最後は甘味ですね」
「……はい」
「三軒行きますからね。気合を入れて行きましょう」
「……うぃっす」
鰻の定食に白焼き、肝焼きと、お腹いっぱいになるメニューを食べ終えたばかりの吉野であったが、元気いっぱいだった。とても、六十過ぎの老人とは思えない。
東京下町の甘味と言えば、浅草。東京メトロで移動し、『雅』に配属されてからすっかりお馴染みとなった町に降り立つ。
まずは浅草ではお馴染みのたい焼き屋から。路地裏にある、こじんまりとしたお店で、撮影許可は得ているが、行列に並んでくれと言われていたので、観光客に混じって並ぶ。
たい焼きと書かれた藍色ののれんの下より、ずらりと行列ができていた。ここの店は、数匹一気に焼く型を使わずに、一匹一匹丁寧に焼いているのが特徴。
十五分ほど並び、吉野と陽菜子、二匹分を購入。しっかり撮影したのちに、表に置いてあった椅子に座り、焼きたてを食べる。
「うわ、カリカリ!」
皮は薄く、香ばしい。餡はほど良い甘さで、塩分も僅かに利かせてあるのか、飽きの来ない味わいだ。尻尾の先までしっかりと詰まっているのも魅力の一つ。
「さて、次ですね」
「はい」
吉野のリードで甘味二軒目に挑む。
「やっぱり下町甘味の王道と言えば、あんみつですよね」
「あんこ……二回連続……」
にこにことあんみつについて語る吉野に、たこ焼きが食べたいと呟く陽菜子。
対照的な二人であった。
あんみつ屋は駅から徒歩五分。雷門通りにあるお店で、歴史ある佇まいと畳座敷に年期の入った木の机がどことなく懐かしい。そんなお店である。
「鷹野さん、ここは私が食べますので」
「すみません」
甘い物は好きだが、続けざまに食べられるほどではない。一方で、吉野は根っからの甘い物好きだった。
しばし待つと、ガラスの器に盛りつけられたあんみつが運ばれてくる。
具材は赤エンドウに虎豆、紫花豆、花白豆、餡、求肥、ずんだ餅、ミカンやモモ、サクランボなどの缶詰フルーツに寒天。
色とりどりのあんみつに、上から黒蜜を掛けるのだ。
吉野は撮影を終えたのちに、食べ始める。
黒蜜を垂らし、寒天を匙で掬う。賽の目にカットされており、大き目だった。一口食べ、幸せそうに笑みを深める吉野。
「豆はふっくらと炊かれており、寒天はつるっとのど越しがよく、求肥はもっちり。黒蜜は甘すぎず、淡い味わいがいいですね。美味しいです」
やはり、吉野の食レポは完璧だった。陽菜子はメモを取りながら、勉強になるなと、尊敬の眼差しを向けていた。
最後はあんみつ屋と同じ通りにある、きびだんご屋。
串に刺さっただんごにきな粉がたっぷりとまぶされたお菓子である。ここは陽菜子が担当する。
仲見世通りにあるので、観光客で溢れている中をなんとか進んでいく。
きびだんごは五本で三百三十円。出来立てが薄紅色の袋に入れて手渡される。あつあつの甘酒も一緒に注文した。
香ばしいきな粉に柔らかなだんご。五本あったが、甘すぎずあっという間に食べることができた。甘酒は疲れた体に沁み入るよう。
「どうですか?」
「え、あ、なんか、だんごがモチモチで、美味しくて、げっほ!!」
吉野のように食レポをしようとしたが、きな粉で噎せてしまい、失敗に終わった。
◇◇◇
夜、帰宅した陽菜子に電話が掛かってくる。
ディスプレイに表示されたのは、母初恵の名。
思わず、「げっ」と口にしてしまう。
普段、母親から電話をしてくることはめったにない。あったとすれば、何かあった時だ。
それは、陽菜子が茶髪に染め、噂伝いに母親の耳に入った時。それから、ピアスの穴を開けた時、車の免許を取った時など。
たいてい、兄の口からバレるのだ。今日も多分、何か話を聞いたのだろうと、恐るおそる電話に出る。
「もしもし?」
『久しぶりね、陽菜子』
「あ、うん」
秋風のように冷ややかな母親の声を聞いて、身震いする。
用件はいったいなんなのか。どきどきしながら尋ねた。
『あなた、着物雑誌に異動したんですって?』
やはり、情報の漏えいだった。
『雅』に異動した話はまだ初恵に言っていなかったのだ。いつか報告しようと思っていたのに、一番ダメな形でバレてしまった。
母親は幼い頃より、祖母幸恵に和装を強要され、すっかり着物嫌いになっていた。
なので、陽菜子が着物雑誌の編集部へ異動になったと知れば、あまりいい感情は抱かないだろうと、考えていたのだ。
黙っているつもりはなかった。
初恵の機嫌を見て、言うつもりだったのに――。
「言おうと思っていたんだけど、ちょっと忙しくて」
『母さんとは出かける暇があるのに、私に電話をする時間はなかったのね』
「……」
情報源は兄博史ではなく、幸恵だったのだ。
「いや、なんか、言いにくかったっていうか……」
『娘のことも知らないなんてと、母さんに嫌味を言われたわ』
「うっ……」
元々仲が悪いのに、さらに険悪な仲になっていた。陽菜子の連絡不足のせいで。
せっかく二人の中を取り持とうと思っていたのに、このザマである。
「ごめん、今度から、小まめに連絡するから」
謝り倒して、電話を切ることになった。




