第十一話 無垢なる花嫁
着物専門雑誌『雅』の編集部に入って、初めての出張が言い渡される。
向かう先は宮城県。
「宮城の結婚式はね、和の文化を大切にしていて、和装だけで何回もお色直しするのよ」
「そうなんですね」
鈴木が嬉しそうに語って聞かせる。
「白無垢だけじゃなくて、色打掛もお色直しするの」
「色打掛、ですか」
またしても、意味の分からない言葉が飛びだしてくる。『雅』の編集部では日常茶飯事だった。
鈴木の話についていけていないことに吉野が気付き、補足説明をしてくれる。
「打掛とは、帯を締めた上からはおる、長い丈の小袖のことを言います。色打掛は華やかな打掛のことで、披露宴などで着ることが多いようです」
「なるほど。ありがとうございます」
陽菜子は教えてもらったことを、手帳にしっかりと書いておく。
「宮城はねえ、結納とかも独自の文化があるの」
江戸時代から残る、文を交わす伝統的な風習。男性側から女性に送る『貰受状』と、女性側から男性側に送る『進参状』。これを結納品に加えるのだ。
他に『細工かまぼこ』といって、鯛を模したかまぼこを引き出物として贈る。
一部地域では近所の人に配り、幸せを分かち合うという風習もある。
「宮城は美味しい物がたくさんあるし、楽しみねえ、鷹野さん」
「そうですね」
今回、鈴木と陽菜子の二人旅となる。撮影スタッフは、現地で手配済みであった。
撮影で失敗をしないよう、陽菜子は気合いを入れて挑む。
◇◇◇
出張当日。陽菜子と鈴木は東京駅の新幹線乗り場で待ち合わせをした。時間ギリギリにやって来る上司の姿を発見し、ほっと胸を撫で下ろす。
東京から仙台まで、二時間ちょっと。駅から車で一時間ほど走った場所に、今回密着する新郎新婦の家がある。
「最初から最後まで和婚みたいね」
和婚とは洋装を纏わずに、最初から最後まで和服で行う結婚式のことである。
家で着付けをして、神社に行って神前挙式を行い、そのあとは迎賓館で披露宴を行う。
「ドレスを着ないってことですか?」
「みたいね。最近、じわじわと注目が集まっているみたいなの」
最近、人気女優などが神社で挙式をしている様子などが報道され、そこから火が点いたのではと、鈴木は推測する。
「参列者の平均年齢とかが高い場合とか、和婚のほうが喜ばれるのですって」
「そうなんですね」
親戚などを集めて行う披露宴は和婚にして、友人を呼ぶお披露目パーティではドレスを着るなど、場面によって装いを使い分けるカップルも増えつつある。
「しかし、『雅』で結婚式の特集をするのは驚きました。これ、鈴木さんの企画ですよね?」
「ええ、そう。まあ、今回はお母さん目線も入れて、ごり押しで通しちゃった感じなんだけどね」
『雅』は四十代から六十代女性をターゲットにした雑誌である。たまには華やかな特集もいいのではないかと、力技で企画を実現したのだ。
撮影は花嫁に加え、参列する新郎新婦の両親の着物もクローズアップし、『雅』の読者へ情報を寄せることも忘れない。
「何回か結婚式に行ったことがあるんですけれど、完全な和婚は初めてですね」
「昔は和婚なんて、珍しくもなかったんだけどねえ」
厳かな中で行われる様子を想像して、緊張すると漏らせばバンバンと肩を叩かれ、大丈夫だと励ましてくれた。
宮城県仙台駅に到着すると、張り切った鈴木に手を引かれて昼食を食べることになった。
仙台と言えば――牛タン。発祥の店に行き、本場の味を堪能する。
行列ができていたが、せっかく来たので、二人は黙々と並ぶことになった。
三十分ほど待つと、ようやく案内される。店内はほどよく広い。観光客から営業中のサラリーマンまで、客層は広かった。
店の奥からは、肉の焼ける良い匂いが漂っていた。
鈴木は牛タン定食に加えて、テールスープを頼んでいた。
料理を待つ間、鈴木は嬉しそうに話しかけてくる。
「ここのお店、一回来たかったの」
「有名ですよね」
「そうそう!」
しばらく待てば、炙り牛タンと麦飯が運ばれてくる。
皿に肉は四切れしかないが、一枚一枚はかなり分厚い。付け合わせが高菜漬けなのも面白いと思う。
店員に一言断り、スマホを取り出すと、パチリと撮影した。今度、友達に会った時に自慢しようと思う。
「鷹野さん、何かSNSはしているの?」
「いいえ、していないです。管理が大変そうなので」
「若いのに、珍しいわね」
呉服店に務めている友人、優衣はデート先で食べた物を撮影し、SNSにアップしていた。最近、恐るおそるアクセスしてみれば、以前と変わらずスイーツの画像などを上げているので安心していた。が、毎回僅かに写っている向かいに座っている男性が気になるところであった。
今度、話を聞きに行こうと思う。
「さて、いただきましょうか」
「はい」
味付けは塩のみ。箸で掴んで持ち上げれば、脂が滴る。
大振りの肉を、一口で頬張った。
炭火で炙って焼いてあるので、表面はカリカリ。噛めば弾力を感じ、じわりと脂が溢れる。
ほどよい塩味で、ご飯が進む。
鈴木は一皿では足りず、追加で注文していた。
「はい、一枚あげる」
「ありがとうございます」
はふはふと口の中で冷ましながら、歯ごたえのある肉を食べる。酒に弱い陽菜子でも、ビールで流し込みたいと思う味わいであった。
「……なんか食べ過ぎたわ」
食後、お腹をさすり、このあとの撮影は大丈夫かと心配する鈴木。
「鷹野さんの食べっぷりが素晴らしくて、つられて食べちゃったのよねえ」
「……そういえば子どもの頃母に、大口開けて食べるなって注意されていました。すみません」
「いいのいいの。私は好きよ。美味しそうに食べる姿は見ていて楽しくなるもの」
その言葉を聞いて、陽菜子は頬を緩ませる。鈴木のような人が母親だったならば、どんなに良かったと、ぽつりと呟いた。
「うち、母親が厳しくて」
「そうなの?」
「はい。実家が鎌倉の武家屋敷で、そこで古き良き大和撫子に育てられたんです」
「あらら、だったら古風な方なのね」
古風――着物を着ないのでそういうイメージはないが、三食和食で食卓には毎日花が飾られており、だらだらとした姿は一回も見せたことがない。そんな母親だった。
考え方はガチガチの昭和な人間だったと陽菜子は思う。そういう意味では古風だ。
「しかし、鎌倉の武家屋敷ねえ」
「取材しますか? 祖母、着物マニアなんですよ」
「是非!!」
前のめりでお願いする鈴木の姿に、陽菜子は笑ってしまった。
電車とバス、タクシーを乗り継いで、取材先の家に到着する。
挙式当日でバタバタしているにもかかわらず、温かく迎え入れてくれた。現地のスタッフもすでに到着しているようで、手厚い歓迎を受けていた。
お茶とお菓子を戴いていたら、花嫁の着付けが終わったと、声が掛かる。
女性カメラマンと共に、和室へと向かった。
白無垢に綿帽子を被った花嫁は、窓際の椅子に腰掛けていた。
庭先には紅葉したもみじがあって、着物の白と葉の赤、橙の対照的な色合いが美しい。
鈴木は自己紹介し、名刺を手渡すと、さっそく写真に収めていいか尋ねる。
「ええ、どうぞ。こんなところでよろしければ」
「いえいえ。シチュエーションとしては最高です」
陽菜子はカメラマンの指示を聞きながら、レフ板を構える。アシスタントは照明を当てていた。
数十枚花嫁を撮影し、今度は撮影を眺めていた母親を交えて写真を撮る。
「もしかして、私も雑誌に載るのですか?」
「はい。どの写真を採用するかは決まっていませんが」
「やだ、恥ずかしい」
「いえいえ、とんでもない。素敵な黒留袖ですよ」
黒留袖――既婚女性が纏う着物の中で一番格式高い物である。黒地の物を黒留袖、色地の物を色留袖と呼ぶ。主に、身内の結婚式に参列するさいに着用するのだ。
花嫁の母親は本加賀友禅の手書き黒留袖を着ていた。どこに出ても恥ずかしくない、奥ゆかしさと品のある着物である。
裾には秋の美しい野山が描かれていた。季節感もバッチリであった。
白無垢姿の花嫁の隣に、黒留袖を纏った母親が並ぶと、ぐっと写真の色味が引き締まる。
華やかなだけではなく、厳かな雰囲気となった。
その後、黒の紋付きを纏う新郎を交え、神社へ神前挙式をするために車で向かった。
平日とあって、神社の人通りはまばら。天気も良く、絶好の撮影日和であった。
宮城では、親族や友人らと花嫁行列を行う。赤い傘を差し、歌を謳いながら新郎新婦を祝福するのだ。
披露宴での花嫁は、黒引きの振袖に角隠しの姿で現れる。
角隠しは披露宴では脱がなければならないというしきたりもあるが、現代で気にする人はほとんどいないと鈴木は話す。
「綿帽子姿もいいけれど、角隠しもいいわよねえ」
「はい、とてもお綺麗です」
すっぽりと頭を覆う綿帽子は、挙式の間新郎以外に顔を見られないようにという意味合いがある。花嫁らしい楚々とした雰囲気が魅力的で、白無垢にのみ合わせることができる特別な装いだ。
一方、角隠しは角を隠して夫に従い家を守るという、日本古来の文化を象徴するような被り物である。
お色直しは二回。
赤地に鶴が刺繍された色打掛に、鮮やかな青に菊模様が描かれた色打掛と、花嫁は休む間もなく、衣装を変えていた。
「白無垢から色打掛に着替えることを、相手の家に染まるって意味合いもあるのよね」
「相手に染まる……」
「ま、相手の家に染まるのもほどほどに、だけどね。結婚生活は互いの妥協が大事。これが大変なの」
経験者の言うことは重たいなと思う。
それでも、陽菜子は今日一日で、結婚に対するイメージが覆った。
「なんか、こういうの見ていたら、結婚というか、和婚もいいなって思います」
「でしょう? 鷹野さんの結婚式には『雅』の編集が全力でお手伝いするから」
「それって、取材込みですよね?」
「あら、バレた?」
鈴木の揺るがない姿勢に陽菜子は感嘆する。
このようにして、慌ただしい取材の一日は過ぎて行った。




