第五話 様々な予兆
「大体の事情は呑み込めたよ。おそらく神官長は呪印を介する事で、悪魔との対話を成立させているんだろう。しかしなあ……悪魔の顕現には数多の数の生贄が必要になる……。そんでもって神官長の孤児院への訪問……。やばそうな匂いしかしないな……」
「まだバルエル神官長の狙いは正確には分かりません。分かりませんが、確実に良くない事をしようとしているのには間違いありません。ですので、今は一刻もこの事をお父様にお知らせしないといけません」
「今回は外れか……」
「えっ?」
「いんや、何でもないよ」
ルークスの小さく呟いた言葉をクロエは聞き取る事は出来なかった。ただ、その後すぐに料理の準備ができたようなので、クロエは聞き返すこともできず、二人は明日の事について食事をしながら、取り決めをする事にした。
テーブルの上にさっと置かれたのは、クルミの入ったパンとトマトベースの干し肉が入ったスープだ。立ち上るスープのいい香りにクロエは思わず、喉を鳴らしてしまう。思えば、クロエは様々なごたごたがあったせいで、丸一日半ほど何も口にしていなかったのだ。
「美味しそう……」
「そう? ありがとう。まあ、殿下の口に合うかは分かりませんが、良ければどうぞ召し上がれ」
「クロエでいいです」
「……すいません」
何故かむっとした様子で反応したクロエに、何故かルークスは反射的に謝ってしまうが、この時点で、どう足掻いても彼の将来は奥さんに尻に敷かれるタイプである事は確実ではないだろうか? むろんこの事にルークス自身は気づいていない。
そしてクロエは促されるままに、スープを口に運んだ。トマト以外にも何か野菜が入っているのだろうが、既にスープに溶け込んでいて形は残っていない。ただ、口の中に広がる様々な野菜の甘みが、それぞれの存在を雄弁に主張しており、彼女の空腹と相まって、優しく体に染み込んでいった。
「これ! すごくおいしいです! 何処かで料理でも習われたのですか?」
「ははっ、口に合ったのなら良かった。料理はね……昔一緒にいた友達がね、上手かったんだ。そいつに教えてもらったんだ」
そう言うと、ルークスは何処か遠い目をして、微かにほほ笑む。この時クロエは彼のその表情に何か物悲しく切ないものを感じて、何かに急かされるように、その先を思わず聞いてしまった。
「そのお友達は……今はどうされているのですか?」
「あいつは…………かなり以前に別れたままだな……。さてさて、今日は早めに休まないといけないし、明日の段取りをさっさと決めよう。ああ、それと体を洗いたかったら、裏手に水浴び場があるから好きに使ってくれていいよ。何なら熱魔法でお湯にも出来るし」
笑いながらルークスはそう言うものの、話題を逸らされた事にクロエは気づいていた。ただ、今日知り合った人に過去の事をあれこれ聞くのは失礼だと思った彼女は、それ以上その事には触れず、早々に食事を終えて、話の通りに水浴び場へ向かうのだった。
「……はあ。ここが男の家だって分かってんのかねえ、王女様は。まあ、あんなに無警戒じゃ反って手なんか出せないけど」
水浴び場へ向かったクロエを尻目に、ルークスは一人で溜息をつく。
「友達……か……」
さっきのクロエの言葉を思い出し、思わず漏れた彼の呟きは誰にも聞かれる事は無く、ただ彼の胸の内にだけ深く深く沈み込んでいった――。
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「さて、昨日話したけど、出発する前に俺は冒険者ギルドに寄らなくちゃいけない。それに殿下……じゃない、クロエの準備も色々と必要だから、すぐ出発ってわけにはいかない。昨日話した事は大丈夫だよね?」
殿下と呼ぼうとしたルークスにクロエはまたむっとした様子を見せたので、慌てて言い直したルークスだったが、内心では後で不敬罪で訴えられたりしないよな……、とそんな事を考えてしまう。
「大丈夫です。でも、なぜ冒険者ギルドに? 旅の護衛はルークスさんですよね?」
「すごい信頼してくれてるね……。まあ、行くのは護衛を頼むためじゃなくて、その……以前少しやらかかした事があって、ギルドカードが凍結されたままなんだ。大分前にその期間は終わってるんだけど、今まで更新に行って無かったからね。ほら、検問所を通るとき身分証いるでしょ? ランクはそこそこあるから、身分を隠したクロエを一人連れていっても、手早く通してもらえると思うし」
「私の我儘でごめんなさい……」
昨日の内に決めた事だが、クロエは城に着くまでは衛兵達には身分を明かさないつもりでいた。それは、彼らではおそらく黒装束達に襲撃された時に撃退できない。それどころか、むしろ彼らが傷つき、死んでしまうかもしれない事をクロエが恐れたからだった。
「いんや、我儘どころかむしろ妥当な判断だと思うよ。正直言って、俺の方が護衛としては強いから」
馬車に乗りながら、二人はアリクアムにある近場の冒険者ギルドへ向かう。アリクアムは小国とはいえ、歩いて移動しきれる程、狭くはない。馬車に揺られること、約三時間。朝一に出たとはいえ、人の多い場所に着いたのは正午少し前頃だった。
「さて、クロエの正体を隠せるような服と……剣を習ってるんだったよね? ならそこら辺の装備もあった方がいいよね」
「何から何までありがとうございます、ルークスさん」
「報酬は既に貰ってるからね。これは仕事の範囲内。気にしなくていいよ」
「でも――」
クロエが言い返そうとするのを待たずにせっせと進んでいくルークス。慌ててクロエがついて行った先は仕立て屋だった。
「とりあえず適当なローブとかを店の人に選んでもらおう。クロエの顔と髪は目立つから、フード付きのを頼むとして、後は……足元だな。それに……」
ルークスはテキパキとどんどん段取りをしていくので、クロエはその間ひたすら、あわあわとしているだけだ。傍から見れば、そんな様子も何処か可愛らしいものなのだが、ルークスは全く気付いていない。
そして全ての準備が終わった時、クロエはどこからどう見ても放浪している旅人のような、飾り気のない格好になっていて、フードを被っているためか、雰囲気的にも暗そうな見た目になってしまった。
「流石にこれは……やりすぎたか」
「私は自分の姿を見れないので分かりませんが、そう言われると気になりますね……」
クロエも女の子なので、あまりひどい格好はしたくないと思ってしまうのだが、こればっかりはルークスに意見するわけにもいかず、悶々としたまま、さらにフードを深く被る。むろん、こんな小国の一仕立て屋には鏡など置いてはいないので、連れの人か店の人に確認してもらうしか格好は確かめられないのだ。
次いで二人が向かったのは、鍛冶屋だ。
店の中には、青銅や鋼で出来ているであろう様々な武器が飾られており、中には包丁など家庭的な道具なども取り揃えてある様子だった。
「クロエは剣を扱うんだよね?」
「そうですね、私の剣の先生はルクスリアでは有名な方だったので、それなりに扱える自信はあります。まあ、ルークスさんと比べると……ちょっと……」
そう言ってクロエは苦笑いする。
「う~ん、なんなら道中少しだけ剣を見てあげようか? ルクスリアは大国だから、王城まではどんなに急いでも4~5日はかかりそうだし、また追手が来れば、場合によってはさらに遅れるかもしれないし」
「ホントですか! ありがとうございます!」
ルークスはこの時何気なくこんな事を言ってしまうのだが、こんな些細な事が、これまたルークスに面倒な事態を引き起こすきっかけになろうとは、この時の彼はまだ知る由もない……。