第四話 その腕に刻まれし物
投稿が遅くなりました。
日曜にもう一話投稿しますが、最近は忙しいので、投稿ペースを上げるのは8月に入ってからだと思われます。
「そ、それは……」
ルークスが求めた思わぬ報酬にクロエはたじろいだ。
「な、何故ですか? 仕事であれば、対価とするのはお金なのでは?」
「……。まあ、俺の要求に不服なら俺への依頼を取り消してもらって構わないよ」
ルークスはクロエの質問には答えていない。だが、答える前の一瞬の沈黙が、解答への拒否である事を暗に示してはいたのだが。
「……。狡いですね、ルークスさんは。私があなたを頼るしかないであろう事を分かっていて、そんな答え方をしてくるんですから。……分かりました、お話しします」
そう言ってクロエは少し取り乱した居住まいを正して、神妙な面持ちでルークスに語りだした。
「私のいたルクスリアにある教会本部、そこにいる最高位の神官長が悪魔憑きに堕ちているんです」
クロエの口から出たのは一般の人ならば、全く信じられないような、ある種、馬鹿げた妄想とも言える言葉だった。
ルクスリアに限らず、ここウルム大陸では生と死を司るとされる神、エレスが信仰されている。それは太古の昔から信仰されているという歴史的な観点からもあるし、実際に信仰篤い神官であれば、その恩恵を受け、一時的な死者との対話、あるいは祈祷による加護などが実際に起こる事から、実利的な面も含まれているだろう。
そして特にルクスリアでは、そのエレス神を祀る為の、他国には類を見ない大聖堂が建てられている。これがあるために、わざわざルクスリアに越してきて信仰を捧げる熱心な信者も少なからず存在しているくらいだ。
さて、そんな大聖堂が存在している事から、各国に散らばる教会や信徒を取りまとめるためにも、ルクスリアには教会本部と言われ、高位の神官が集まり、様々な事を話し合う場所が存在している。そこには教主という実質的な教会のトップがいて、それに次いでいるのが選抜された数人の神官長である。
クロエが言っているのは、この人物が悪魔に憑りつかれているという事だ。
「それは……確実な情報なのかな?」
「それは間違いないです。私がこの目で見たんです。神官長の法衣の下に、悪魔憑き特有の呪印が刻まれていたのを」
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クロエがこれを目撃したのは、まさに偶然だった。
それは数日前、クロエが定期的に行っている各孤児院への訪問中の事である。その日はルクスリアの国境沿いにある孤児院へクロエが赴いていたのだが、ちょうど神官長の職務の一つである布教の務めもそこで行われていた。
「神官長様、お勤めご苦労様です」
「これは、これはクロエ殿下。いつもながら、国民に対するその献身的なお姿には感服せざるを得ませんな」
孤児院にある来客用の一室で、髪が白み始めた年齢の神官長バルエルとクロエは座りながら互いに挨拶を交わす。二人としては、その地位の関係性から国の式典などで、以前から顔と名前程度は知っている程度の間柄ではあった。
「いえ、王女といっても、私個人で国民の皆さんの為に出来ることは多く無いので、せめて出来る事をやっているまでです」
「いやはや、人というのは誰かのために何かをしたいとは思ってはいても、行動に移すのは得てして難しいものです。殿下はそれが出来るお方であるという事実を誇られた方が良いですよ」
「……ありがとうございます。でも、神官長様もこうやって布教の為に精力的に動かれているではありませんか。それも誰かの為にしている事なのでは?」
「ははははは。殿下はお褒めの言葉も上手いと見えますな。さて、殿下と今しばらく歓談したいとは思いますが、私は子供たちへの教義がありますので、この辺りで失礼させていただきます」
「あ、そうですね! お引き留めして申し訳ありませんでした。……あ! 私も教義をお聞きしてもよろしいですか? 私も改めてエレス教の教義を学び直したいと思い付きまして……」
クロエのその言葉にバルエルは何故か焦ったような様子を見せる。
「そ、それは畏れ多いことです。今日の教義は小さい子ら用にあつらえたお話ですので、とても殿下が学び直せるような点はありません。僭越ながら殿下はまた、次の機会になされた方がいいかと思います……」
「そうですか……、残念です……」
その言葉を聞くとバルエルは安心したように失礼します、と一言残し退出していった。残されたクロエは教義があるので子供達と話をすることも出来ず、仕方なく一人孤児院の中庭にふらりと出てみた。
中庭は手入れの行き届いた、青々とした芝生が広がっていて、花壇には色とりどりの花が植えられていた。クロエは教義が終わるまでこの花達を愛でようとしていたのだが、ふとクロエの視界の端にある孤児院の2階の部屋の窓にバルエルがチラリと映った。
彼のその挙動から誰かと話をしている様子に見えた彼女は、此処の院長と話しているのかな、と思いそっとその様子が見えるように位置を変えた。
誰もいない。
だが、明らかに彼は誰かと会話している様子なのだ。
その時、何となく気になったクロエは思わず、探知の魔法を使ってしまった。
ぐるり。
その瞬間、2階にいたバルエルが凄まじい勢いで振り向いた。
「あっ……!」
勢いよく振り向いた瞬間に、バルエルの来ていた法衣がはためき、僅かにだが右腕が一瞬露わになる。彼の右腕には、魔法を少しでも習ったことのある者なら直ぐに分かる、悪魔憑き特有の血色で刻まれた呪印が施されていた。
中庭へ振り返り、クロエの姿を見つけたバルエルはその顔に笑みを浮かべる。
しかし、その笑顔に親しみの感は無い。
そこにあるのは、ぞっと怖気のするような張り付いた笑みだけ。
その笑顔に、言い知れぬ恐怖を感じたクロエは思わず、護衛の騎士達がいる孤児院の入り口まで一直線に駆け出した。クロエはひどく焦りながらも、騎士達に事情を説明する。騎士達の判断により、一旦クロエを王城まで退避させようと、一行はすぐさま馬車でその場を離れた。
しかし、その途中で例の黒装束達に襲撃されたのだ。
騎士達は奮闘するも、彼らの数、そして殺しに長けたその実力に、一人また一人と倒れていく。そこで残った騎士達は相手の実力に及ばないと判断し、捨て身の作戦で、クロエだけを何とか馬車から分離させた馬に乗せて逃した。
だが、クロエ自身は馬には乗れるものの、王城までの詳しい道のりを知らない。その上、背後からは尋常ならざる速度で追手が来ている。クロエは必死に駆けた。途中、国境沿いの簡易な検問所があったが、すぐ後ろに追手がいる上、検問所の衛兵では追手に殺されてしまうと思ったクロエは速度を落とさず、検問所を強引に突っ切った。
「おい! そこの馬に乗ってるやつ、止まれ! ここは検問所だぞ! 速度を落とせ! おい……おいおいおい! のわあっ!」
何となく誰かの声が聞こえたような気がしたクロエだったが、気にしている場合では無い。そのままクロエはアリクアムに強引に突入したのだ。
そうしてクロエは必死に殺しの手から逃れるうちに、遂に出会った。
彼女の、そして国の命運を握るその黒髪の青年に。