全てはここから
護衛になることが決定してから学院へ出発する日まで、俺はアビントンさんちで過ごすことになった。
お嬢の人となりを知るためでもあるし、戦いのない場所で過ごすことを体に慣らすためでもある。学院では、夜中物音に跳ね起きることはしなくていいのだ。
庭師さんと料理人と使用人の人に簡単な仕事を貰いつつ、お嬢について聞いてみると大体好意的な言葉が返ってきた。『おはよう』も『ありがとう』も『ごめんなさい』もちゃんと言うと。
アビントンさんちは働きやすくて、長く勤めたいと言う人が多かった。
学院へ行く日が来るのはすぐだった。
もう大きな荷物は送ってあって、持っていくのは手荷物だけだ。
お嬢の分はそれこそハンカチとかのど飴とかそんなもので、俺もそれに何かあった時用の投げナイフが追加される位だった。
正直確認するほどのものではなかったけれど、別れの挨拶を邪魔しちゃいけないと思って、それを口実に少し離れた。
使用人一人一人と言葉を交わし、ハグをしているお嬢は、みんなから愛されているんだろう。そしてそれを、彼女も知っている。
「ルカ、お待たせ。行きましょう」
玄関をくぐるその顔は、幸せに満ちていた。
アビントンさんがお嬢の為にと奮発した乗合馬車は、護衛付きだった。乗り込む前に護衛の人によろしくお願いしますと挨拶をしがてら、こっそり装備や馬を確認する。
この街から王都までは街道が整備されているが、たまにゴブリンやワーウルフが出るらしい。低ランクモンスターすぎて笑ってしまうけれど、普通の人には脅威のはずだ。
護衛隊の隊長さんの身のこなしを見て大丈夫そうだな、と判断し、お嬢と一緒に馬車に乗り込む。弱そう、と一瞬思ってしまったけれど、うちの傭兵団の奴らと比べるのが間違いなのだ。
予約した席に座って出発時間を待っていると、向かいに老夫婦が座った。
婆さんをエスコートして座らせた爺さんの傍らには、布に包まれた長い棒状のものが置いてあって、もしかしてあれは剣かな、と思う。
膝の上で繋いだ手を見れば、爺さんのそれは節くれだっていて大きい。もう消えかかっているけれど切り傷も見えて、まっすぐ伸びた背筋と相まって退役した元軍人っぽかった。
服の下の筋肉も、どこも緩んだりしてなさそうで、外の護衛よりも頼りになりそうだ。
そんなことを考えていると、ぴり、とした視線が飛んできて、慌てて顔を上げると眉間にしわを寄せた爺さんと目が合う。
俺は内心ヒヤッとしながら、照れ笑いを浮かべてぺこりと頭を下げた。
途中で好奇心旺盛らしい婆さんに話しかけられたりしながら、王都までの4時間は何事もなく過ぎて行った。
学院に着くと、早速寮に案内された。男女比が偏っているから女子寮は2人部屋、男子寮は4人部屋らしい。
学年が上がって人数が少なくなると男子も2人部屋になり、最終的には1人部屋を貰えるようだ。
「君の部屋はここだよ。ほかの生徒はみんな到着しているから、仲良くするように」
そう言った寮の管理人にお礼を言って、ノックのあと扉を開ける。言葉通りに中には3人の子供の姿があって、俺はその場で固まった。
「君が最後の一人かな。それじゃあ早速ベッドを決めようか」
「あ、うん、そうだね」
「ええと、うん」
茶髪と赤毛と、そして金髪。問題は金髪で、仕切っているのも金髪だ。
もしかしてと思いつつ、いやまさかそんなはずはないよなハハハと希望的観測をしながらも、部屋に入って中を見回す。
正面にデカい窓が二つ。右と左に2段ベッド、その手前にクロゼットと机が2つずつ。こういう時は自分の希望があれば遠慮せずに言った方が決まりやすい。
「俺は右の上ベッドが良い」
寝る子は育つを実践しているから、俺は早寝早起きだ。9時には寝るし、5時には起きる。
下のベッドだと梯子を上る時の音で夜中に起きてしまいそうな気がする。いや、そんな粗末な作りはしてないかもしれないけど、何となく上に人がいると言うのが嫌だ。
そして窓側を頭にするつもりの俺は両利きよりの右利きだから、左側が壁の方が何かあった時に動きやすかった。
どこでもいいと言う茶髪と下が良いと言う赤毛の意見を聞いて、金髪が最終的な案を発表する。
「じゃあ、これで良いよね」
左の2段ベッドに茶髪と赤毛、右が俺とその金髪。にこりと笑うその目は澄み切った青。
「それじゃあ改めて。僕はシャルル。よろしくね」
差し伸べられたその掌は下を向いていて、茶髪と赤毛は顔を見合わせ、俺は頭を抱えたくなった。
握手ではなく、敬愛の口づけを求めるその姿勢は様になっているけれど、はっきり言って普通はやらない。
金髪碧眼と、自然と指揮を執るその態度と、駄目押しのその名前。やっぱりこいつは、攻略対象の1人であり最難易度を誇るシャルル王子の様だった。
関わり合いにならないでおこう、とお嬢と決めた登場人物と早速知り合いになってしまったことを内心で嘆きつつ、運ばれていた荷物をさっさと片付けていく。
いくら『平等』とは言っても王族位は同室者を選ぶもんだと思っていたのだが、茶髪のレオンと赤毛のニコラも平民っぽかったので部屋割りはガチでくじ引きらしい。
必要最低限のものしか持ってこなかった俺の荷物は、クロゼットに余分なスペースを多く残してすぐに終わった。持ってきた投げナイフは包んだ布のまま最下段の奥にしまい込む。
1本だけ、ベッドにシーツを敷くついでに枕の下に隠し終わると、そろそろお嬢と約束した1時間になった。
同室者に案内を聞きに行ってくると伝えると、レオンとニコラはもう先に聞いたらしい。シャルルがついてきた。
ベッドのシーツ交換と机の上の整頓は自分で。共有スペースの掃除は授業中に掃除夫さんたちがやってくれる。
洗濯物はネットに入れて寮にある風呂場の所定のかごに入れておけば、翌日には部屋に戻ってくる。
食事も決められた時間に食堂に行けば食べられるから、至れり尽くせりだ。勉強に専念しろと言う事らしい。
案内役の生徒について行きながら、脳内に地図を叩き込む。出入り口になりそうな窓に目が行くのはもう仕方のない事だった。
ここで、俺は10年を過ごすことになるのだ。何事もなければいいな、という希望はきっと叶わないのだろうけれど。