安心できる場所
何か音が聞こえたけれど、それはとても微かで私の眠りを妨げるほどのものでは無かった。
だから、私はゆさゆさと優しく揺り動かされて、名前を柔らかく呼ばれるまでその中にいたのだ。
「……じょう。お嬢。フローラ。起きて。迎えに来たよ」
意識が浮上して、ゆっくりと目を開けると飛び込んで来たのは、闇に溶けるような藍色の目。
「……ルカ?」
「うん。俺だよ。迎えが遅くなってごめんな、お嬢」
頭を撫でられて、起きるよう促されて。
一緒に寝ていたはずのエリカはいなかったから聞けば、知り合いの騎士さんが来たからそっちと話していると言われた。
「知り合い?隣の国から?」
「うん。お嬢はどこまで聞いた?」
「あんまり聞いてないわ。エリカが良いところの子だってことだけ」
「そっか」
なんだか、現実味が全然ないけれど、ルカが手を広げておいで、と言うから。その目があんまり優しかったから。
私はその胸に抱きついて、ちょっとだけ泣いた。
ルカと一緒にいたのは、学院の教官とエリカの知り合いだという隣国の騎士さんと、あとは魔法使いらしい人と、30歳位の騎士さんと、女の騎士さんだった。
女の人がいるのは万が一に備えてだろう。何をされているか分からなかっただろうから。
私達を攫った人たちはすでに捉えられて、乗って来た馬車に縛って詰め込んだみたいだ。私が落ち着いて小屋から出た時にはすでに処理は終わっていたようなので、良くは分からない。
「お嬢は俺と一緒で良いよな」
私とエリカの分の馬は無いみたいだった。まぁ私は馬になんか乗れないんだけど。
エリカは知り合いの騎士さんと、私はルカと一緒に同乗することになった。教官さんがこっちに乗るかと誘ってくれたけど、ルカの乗馬の腕は知っているから不安はない。
ルカの膝と肩を借りて何とか馬に横乗りになると、彼はひょいと身軽に私の後ろに乗って、囲い込むように手綱を握った。
ルカの肩に顔を乗せて、すっかり体重を預けた私はこれまでのことをぽつぽつと話して、ルカもうんうんと聞いてくれた。
たまにルカは手綱から手を放して、何かをひょいと投げる。そうするとキャウンとかギャアとか言う声が明かりの届かない場所から聞こえた。
「投げナイフ?拾わなくていいの?」
「これ、母さんの特別製だから」
「なるほど」
錬金術師のおばさん製ってことは、何か仕掛けがあるんだろう。見せて貰った魔法具はみんな凄いもので、仕組みを聞いてみても分からなかったけれど、それを使うルカには普通のことだった。
「ルカ!」
「はい!」
「今日は近くの村に泊まるぞ!」
「はい!」
先頭を走る教官さんが、馬の足音にかき消されない声で言う。ルカもそれに応えるためだろう、大きな声で耳が少し痛かった。今何時位だろう。夕ご飯、食べ損ねたな。
「腹減ったな」
「うん」
ルカもお腹が空いているようだ。もしかしなくても、私を探していてやっぱり食べていないんだろうか。
「ごめんね」
申し訳なくなって謝ったら、剣のまめがある手でまた頭を撫でられた。
「これが俺の役割だから、気にしないの。な?」
ルカは何にも責めない。それが少し辛かったけれど、甘やかされることは心地よかった。
村の宿屋について、食堂に残っていたスープに固い黒パンを浸して食べる。
ところで困ったことにツイン2つとダブル1つしか空いてないらしい。ツインの方に簡易ベッドを入れてくれるらしいからそれは良いとして。
男の騎士さんは報告の為に帰るから除外する。残るのは教官さんと、魔法使いのおじさんと、女騎士さんと、隣国の騎士さん。そしてエリカに私とルカである。
「私、ルカと一緒にダブルで良いです」
そう言うとルカ以外にはぎょっとした顔をされたけれど、ちょっと考えてほしい。
私とエリカがダブルを使うと、女騎士さんが余ってしまう。ツインであろうがいい年した男女が同室なのはどうだろうか。
男同士でダブルも駄目だ。何となくだけれど、なんかすごく駄目だ。
と言うわけで気心の知れた私とルカがダブルを使って、エリカと女騎士さんが1室、教官さんと魔法使いさん、それから隣国の騎士さんでベッドを追加した1室、というのが1番いいと思うのだけれど。
「ルカ」
「はい?」
「お前はそれでいいのか」
「何も問題ないと思いますが」
「……そうか」
そんな訳で、その夜はルカと一緒になった。
「お嬢、その服いつもと違う感じだけど可愛いな」
部屋に入って、お風呂が使えると言うので宿のご主人に甘えさせてもらうことになって、ルカがそんなことを言い出した。
そう言えば新しい服を買って着替えていたんだった。友達ときゃいきゃい騒ぎながらお互いに着せ替え人形にしたお昼がとても昔に感じたけれど、たったの数時間前だ。
いつもはシンプルなのを好んで着ているけれど、選んでもらった服はフリルとレースが主張しないけれどついていて、可愛い感じだ。色々あって皺だらけになってはいるけれど、洗濯すればこれからも着られるだろう。
「可愛い?」
「うん、お嬢かわいい。役得だな」
備え付けのタオルを渡されながら、そう言えばルカの格好もいつもと違うなと気が付いた。
「ルカはその格好どうしたの?」
「あー…ちょっと、従騎士になっちゃって……」
「おおう、マジか…」
詰襟の、グレーの上着。かちりとしたそれは見習い騎士の制服だった。ただの生徒では巻き込めないからと何の説明もなく任命されたらしい。
「教官に騙されたつーか、はめられた感パないんだけど。従騎士って辞めれたっけな」
「騎士になれなかった人は何人かいるみたいだけど、何か問題を起こした以外で辞めたってのは聞いたことないかな」
「だよなぁ」
ルカの眉がへにゃんと下がる。皆の憧れの騎士さま。その見習いの従騎士。本来なら18歳からだと聞いたことがあるから、それより2年も早いことになる。
「注目の的だねぇ」
「何とか騎士になるのは阻止したい……!」
傭兵の家業が大好きなルカは最初から騎士になる気は無くて、けれどどんどん外堀を埋められている気がする。
「がんばってね」
「がんばる」
何だか頑張る方向が普通と違うなとおかしくなってくすくす笑って、エリカとお風呂で落ち合って、女騎士さんも一緒に入って。
ルカと一緒に潜り込んだ清潔なダブルベッドは暖かくて安心できて、翌朝村の新鮮な野菜を使ったご飯はとても美味しく感じられた。