私の護衛
アビントン商会の4番目にやっと生まれた女の子。それが私、フローラだ。
男ばかりが3人続けて生まれた後、商売が大変に忙しくなり、それを乗り越えて大商人と呼ばれるようになってふと、やっぱり女の子も欲しくなったらしい。
もう兄弟は大きくなっていたし、両親は中年と呼ばれる年齢になっていたけれど、諦めきれなくて家族で話し合い。
1年間頑張って、そうして生まれたのが私なんだと言う。
そんな訳で、両親も兄たちも、私にはとっても甘い。そして過保護である。
どの位かと言うと、
「フローラ、君に護衛を付けようと思う」
10歳の私に、こんなことを言う位だ。
この国は、初等教育が整備されている。どんな田舎でも羽ペンが持てるようになれば文字を習うし、簡単な計算は出来るように教えて貰う。
小さな村なら村長さんの家に集まると言うし、教会がその役割を担うこともあるようだ。
街になればちゃんとした学校があるし、ある程度お金持ちなら家庭教師を雇っても良い。国で決められた項目をちゃんと出来るようにすることが肝心なのであって、方法は定められていなかった。
そして、その初等教育を習う中でこれは優秀だと思われた子供は、国が管理する全寮制の学院へ行く事が出来るのだ。
初等教育が6歳から9歳まで。学院は10歳から。各々望むところまで単位を取得してそれぞれ卒業していくシステムで、全ての単位を取得すれば王城で働くのも夢ではなかった。
私ことフローラも、その学院に来月から行くことになっているんだけど。
「父さん?」
「なんだいフローラ」
「私、来月から学院よ?護衛って何?」
あ、もしかして学院へ行くまでのことだろうか。でも、もう護衛付きの乗合馬車に予約を入れてあるはずだし…?
首をかしげながら向かいのソファに座る父親を見上げれば、すごく真剣な顔をしていて。
「だから、学園生活で何が起こるか分からないだろう?」
「学院は全寮制よ?部外者は許可がない限り入れないんじゃなかったの?」
「うん、そうだよ。良く知ってるね」
「学院案内を見たもの。どうやって護衛を入れるのよ」
護衛なんか必要ないだろうと言えば、父さんは絶対そんなことはないと反論してくるだろう。今までの経験から言ってそうだ。過保護で甘いうちの家族からしたら、私は雨風にさらしちゃいけないものらしい。
ちょっとそこまで散歩に行くのも誰かと一緒でないとダメと言われ、心底心配され続ければ、何だかもう最近は負けるしかなくなっている。
なので、「私に護衛はいらない」ではなく「私に護衛はつけられない」の方向で説得しなきゃならないのけれど。
「大丈夫。その子も来月から学園に通う子だからね!」
パチンと決められたウインクに、あっさりと私の試みは無駄に終わったのだった。
「て言うか待ってーまってー。来月から学院に通うってその子も10歳じゃないのー?勘弁してよぅー」
うだうだと応接室の隣にある部屋でソファに懐きながらの独り言。当事者の私を置き去りに、今日がその護衛の子との対面の日だった。
自分が子供だっていうのも勘弁してほしいのに、護衛に10歳の子供が付くなんて。
10歳の子供に、何が出来ると言うのだろう。体はまだ小さく、力もない。
学院で襲われるとは思わないけど、そんな時に私をちゃんと守れるとも思わない。正直、盾になる位が精々じゃないだろうか。
それを理解している上での護衛なら父親を軽蔑するところなのに、自信満々に大丈夫と言ってきかないのだ。
「あーあ、学院に通うってだけでも大変なのに…」
何せ、あの学院は。あの学院こそが。
「レーヴ・デ・エコール、恋する君と10年間……かぁ」
そう、私が前世でやった、乙女ゲームの舞台なのである。
私には、前世の記憶があった。普通に学校に行って、普通に会社員になって、そして、少しばかりオタクで。
漫画とゲームとアニメが好きで、休みの日にはPCの前に陣取って。
幾つかやった乙女ゲームというジャンルの中に、そのタイトルはあった。
乙女ゲームにありがちな眉目秀麗なヒーローたち。
それが普通の乙女ゲームと違っていたのは、10年間と言うゲーム内の時間の長さと、その戦略性。そしてエンディングの多さ。
何よりも、バッドエンド以外では『誰も不幸にならない』というコンセプト。
攻略対象に婚約者はいなかった。それは学院を卒業すると同時に婚約するのが一般的だから。
その代りにライバルとなる女の子がそれぞれいて、その子たちと切磋琢磨しながら過ごす。
彼女達にも好感度パロメータがあって、それが一定の値を超えると一緒に勉強でき、1人でやるよりステータス上昇の効率が良い。
エンディングも攻略対象ごとのハッピーエンドの他に、ライバル令嬢との友情エンド。攻略対象とライバル令嬢両方の好感度が高いトゥルーエンド。
全員のハッピーエンド、トゥルーエンドを見た後に解放される攻略対象全員を落とすハーレムエンドの他に、なんとライバル令嬢をも全員落とした真・ハーレムエンドまであったのだ。
主人公のビジュアルが全く設定されていないこともあって、男性にも人気が出たはずだ。
確かにライバル令嬢はみんな、可愛かったり美人だったり凛々しかったり清楚だったりしたから、友情を深めるのも楽しかった。
婚約者がいながらヒロインに手を出す下種なヒーローはおらず、婚約者と言う立場を盾に増長する令嬢もいない。
そもそも学院で優秀な成績を残した女の子なら、誰でも高貴な身分の人の婚約者になれる可能性がある、と言う世界観だったのだ。
攻略対象には当たり前のように王子様や貴族子息、他にも有能なヒーローがいたから、玉の輿に乗りたい平民の娘さんも、将来有望なお婿さんが欲しい貴族のお嬢さんもそりゃヒロインをいじめている場合じゃないのである。
勉強してアルバイトしてライバル令嬢と友情を深めつつヒーローと恋をして。
そんな乙女ゲームの中に、いるのだ。
『毎週土曜日学院の中庭で、攻略に有利なアイテムを売っている商人さん』
が。それが私の記憶が確かならば、アビントン商会のフローラなのである。
「お嬢さんは、護衛に反対?」
応接室のテラスで、私より少し小さい男の子が首をかしげる。同じ年なら二次成長が始まるまでは女の子の方が発育は良いはずだから、この子が特別小さいと言う事ではないと思う。
名前はルカだと、さっき聞いた。父さんが贔屓にしている傭兵団の、総団長の末っ子らしい。
紹介されて、私が不満そうにしていたのが分かったんだろう。少し話そう?と窓の外に連れ出された。父さんも止めなかったから、相当信用しているらしい。
当り前だろう、だって私に護衛なんかいると思わない。しかもこんな小さい子だ。今は私も10歳だと言う事を棚に上げて、そう思う。
こくりと頷くと、まぁ確かに、とルカは首をすくめた。
「僕も、護衛として役に立つとは思ってないんだ。背もこんなに小さいし。剣も満足に振れないしね、まだ」
テラスの手すりに背中を付けたその子の瞳は紺色なんだと、今更思う。髪の色も、同じみたいだ。さっき部屋の中で見た時はもっと暗く見えたから、黒髪黒目に見えて、日本人みたいだと思って懐かしくなった。
「これはね、うちにも利益がある話でさ。さっきも言ったけど、うちは傭兵団で、ぶっちゃけ皆、学が無い。文字の読み書きとか、簡単な計算は出来るけど、貴族と話す言葉遣いだとか、礼儀作法はさっぱりだ。けど、そういうのが必要なときってあるんだよね」
庭は庭師がきちんと管理していて、もうすぐ春の花が咲く。うっとりするような香りは、蕾が膨らんでいる証拠だ。
「だから、この話は渡りに船でさ。僕は学園で君の護衛をするかわりに、君のお父さんは僕の学園での学費と生活費を出す。君のお父さんは『最愛の娘に護衛を付けた』という精神的な安定を買って、うちは将来僕が傭兵団の交渉役になれるように教育の機会を得る。そういう話なんだ」
風が気持ちよくて、男の子の声変わりの始まっていない、軽くて高い声は耳を通り過ぎる。
「だから、ね。うんと言って?」
いい天気だ。きっと、散歩したら気持ちい……。
「『毎週土曜日中庭にいる商人』になら、護衛は必要だと思うよ?」
音がするほどの勢いで振り向いた私の前で、ルカと名乗ったその男の子は。
「護衛兼、学友兼、前世の話が出来る友人ってことで、どうかな?」
チャシャ猫みたいに、笑ったのだった。