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今川氏【史実】
①範国は、足利尊氏に側仕えしていた。5人兄弟の末っ子で、中先代の乱で父と二人の兄が戦死したので、駿河・遠江2か国守護に抜てきされた。
②範氏は、足利尊氏と足利直義が対立抗争したとき尊氏につき、今川氏の本家になった。
貞世は、九州探題に任命され南朝勢力を鎮圧した。しかし足利義満に疑われ、功を賞されなかった。遠江守護になったが、やがて斯波氏に奪われた。
③④不明。
⑤義忠は、斯波氏と争い遠江を得ようとしたが、失敗した。
⑥氏親は、家督争いに勝利した。遠江攻略に成功し甲斐に手を伸ばし西部を得た。分国法・今川仮名目録を制定した。京都戦乱から公家を保護し、文化が栄えた。
⑦義元は、兄・氏輝の死により後継候補の一人となり争いに勝利した。武田氏と同盟し、一時対立した北条氏とも同盟し三国同盟を作った。三河に進出し松平氏を服従させ、織田氏と戦い尾張にも進出した。1560桶狭間で織田信長に敗死した。
⑧氏真は、三河松平氏の独立や家臣の離反に苦しんだ。やがて西から徳川(松平)氏、北から武田氏に攻められ滅んだ。